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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ゴッホ 最期の手紙』

原題:Loving Vincent
ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン監督
ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン、ヤツェク・デネル脚本
2017年、ポーランド・英・米合作

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芸術家ゴッホがフランスのオーヴェルで拳銃死を遂げて1年。
人生にちょっと行き詰まってジリジリしている一人の青年が、
ひょんなことから一通の古い手紙を預かり、
本来受け取るはずだった相手に届ける役目を務めることとなる。
その手紙は、今は亡きゴッホが弟のテオにあてて書いたもの。
投函されず、ゴッホの死の床となった宿に残されていたのだった。
1年越しのメッセンジャー役を、イヤイヤ引き受けた青年だが、
生前のゴッホと接点のあった人びとから話を聞くうちに、
ゴッホの最期について疑問を抱くようになっていく・・・。

いまだ真相が判明していない「ゴッホの最期」をめぐって
静かに繰り広げられる、サスペンスストーリーだった。
結構ちゃんとセリフ劇で、ちゃんとサスペンスだった。
映像表現の手法の斬新や美しさを楽しむだけの作品に
止まってはおらず、その先のことをやろうとしていた。
そこに作り手の心意気を感じて好感を持った。
作り手がやろうとしていた「その先のこと」とは多分、
「生前のゴッホはきっとこういうことを
 思っていたんじゃないかな」
ということを、
ゴッホの絵画を動かして物語る」
という手法によって再現する、というものだった。
本当に相当愚直に、真剣に、それに取り組んだようだった。
エンディングを観ていて驚いたのは、
ほんのちょっとしたシーンにも、
まったく手を抜いていなかったらしいことだった。
物語の主要なキャラクターだけでなく、
一瞬、画面上に登場するだけのキャラ・・・
例えば、ゴッホが、可愛いねえと言ってだっこした、
よその家の子とか、そういうちょっとしたキャラでさえ、
適当に架空のモブキャラを作ったのでは断じてなかった。
ゴッホと付き合いのあった人やその子孫が保管していた、
古い写真に写り込んだ人などを細かく検討し、
雰囲気の良く似た役者を念入りに集めて、
ひとつひとつのシーンを作りこんでいったらしい。
まじめ~。

この物語の中では、
ゴッホと関わった人で、心ある人はみんな、
ゴッホの孤独とその死について、
それぞれの形で責任を感じてしまっていた。
自分があんなことを言ったから、
ゴッホが傷付いたのではないか。
自分があんなことをしなければ、
ゴッホはあそこに行かなかったのではないか。
そんな風に思ってそれぞれに悔やみ、
気に病んでいるように見えた。

彼らはみんな、
ゴッホの死という、過去のある特定の時間の中に
自ら閉じこもっていて、
そこから出ようしている感じの人はいなかった。
ゴッホが死んでやっと1年という設定だったので、
ムリもないかもしれないが。
「あいつは人に迷惑をかける変人で、
 不気味な行動が多くて、町の鼻つまみ者だった」
そんな風に決めつけていられる人たちの方が、
よほど人生がラクに見えた。

心に癒えない傷を負ってしまった、
大勢の人たちを見るのはつらかった。
ゴッホにしてみれば、
自分が死んだことによって、
周りの人びとをこんなに悲しませるつもりは、
さらさらなかったと思うので、
遺された人びとがこんなに苦しんでいることを、
もし天国のゴッホが知ったら、
さぞかし心を痛めるだろうな、と感じた。

人と人との関係というのは難しい。
ちょっとした一言や何の気なしの言動が、
大切だった人間関係を、修復不可能なほど
破壊してしまったりするんだよな~。
失ってみて初めて気付くんだよね・・・、
大切だったのだ、ということが。
それに、人間は、お互いに、
いつ死んで二度と会えなくなるか、わからない。
テオのその後などは、あまりにも痛ましかった。

でも、ゴッホの周辺の人びとにとっては、
そのつらい気持ちも、ゴッホとの思い出の一部、
という感じなのだろう。
だから、どんなにつらくても、
そのつらさを手放したくない、という風にも見えた。

メッセンジャーを務める青年ルーランは、
父親がゴッホと知り合いだった関係で、
生前のゴッホを一応知っているのだが、
他の人たちほど深く関わったわけではなかった。
ルーランは年齢的にとても若いこともあり、
この物語の、未来の希望と言える存在だった。
晩年のゴッホを診ていたガシェ医師が、
ある書簡を、ルーランに譲った。
それは心身とも充実していた頃のゴッホが、
テオに送った手紙の写しであり、
画家の道を歩む決意と希望が明るく綴られていた。
ガシェ医師はルーラン
「これから旅を始める君に、これをあげる」。
このシーンを観た時に、あることを思った。
この映画はゴッホの死についての物語ではあるのだが、
実は、ゴッホがいかに生きたかを語る物語だったのだ。
そして、その生は、これから生きていく人たちに、
確かに美しい何かを伝えようとしていると感じた。
心を病んでいた時、ゴッホはもしかしたら
「自分はこの世界に愛されていない」と
感じたことがあったかもしれない。
でも、彼自身は、いつもこの世を愛していたのだろう。
草木や花や、空の星や、生きとし生けるものを愛し、
可愛い子どもも、若く美しい女性も、老人の顔のシワも
しっかり見ていて、そのままの姿を描き残していた。
彼が人生を、世界を、前向きに受け入れていたことは、
彼の絵を観ればわかるのだ。
「この世界には、生きて、描く価値がある」
間違いなく、ゴッホはそう信じていたんだろう。

思い出に閉じこもってしまった友人たちの心にも、
ゴッホのそんな温かい思いが、いつか伝われば良いのだが。

『エル ELLE』

原題:Elle
ポール・ヴァーホーヴェン監督
2016年
仏・独・ベルギー

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2回観た。
ミシェルという特異な、言わば「怪物」と
彼女を相手取るにはあまりに弱すぎた、男たちとの
残酷な対比を描き出した物語だった気がする。

当たり前のことを言うようだが、
鑑賞者を90分でも2時間半でも、
その映画の世界に集中させるには、
ストーリーやキャラクターの設定に、
リアリティを持たせる工夫が絶対に必要だろうと思う。
どう考えてもありえないだろ! っていう物語でも、
少なくとも上映時間の間だけは、
鑑賞者に「ありえる!」と、信じさせないといけない。

わたしは、映画を観終えたあとに
「良く考えるとアレっておかしいよな~」って、
設定上のおかしな点や、不備に気付くことは割とあるし、
それは別に、あっても良いよな、と思っている。
でも観ているその最中は、
「おかしいよねえ?」とか絶対に思いたくない。
それは、鑑賞中に我に返らされる、ということを意味する。
そんなこと一瞬でもあったら、すっごく幻滅してしまう。
「ツッコミ待ち」の作品というのも世の中にはあるので、 
そういうのであれば、もちろん話は別なのだが・・・。

『ELLE』は、
ヒロインの素晴らしいキャラクター造型という点で
「作品内における絶対的なリアリティの構築」という、
優れた映画に必要なことを、高度に達成していたと思う。
わたしはミシェルという人物の特異性にすっかり夢中になった。
ミシェルは多分、「狂人」あるいは
「超人」の域に達している人じゃないかと感じた。

良く考えると、ミシェルのような人が
実際に存在することはまずない、と
言わざるを得ないと思うのだ。
父親が無差別大量殺人の罪で終身刑で服役中、
そのせいで幼い頃からメディアリンチを受け、
世間の好奇の目にさらされ中傷されてもきた。
警察機構への不信感も強い。
そんな風に育ってきた人が、社会を信頼し、
心すこやかに成長できるとは考えにくい。
不名誉な形で顔と名前をみんなに知られているのに、
会社経営者の地位にまでのぼりつめ、
まがりなりにも家庭まで持つ、
こんなことが可能だろうか?
完全にムリとまでは言わないが不可能に近い、
それが現実じゃなかろうか。

でも『ELLE』のミシェルは
その「不可能に近い」ことを成し遂げた人として描かれる。
とすると、
彼女の精神の強さたるや、並大抵のものじゃない。
とてつもなく狂人、いや、強靭ということになる。
この映画では、実際、
ミシェルの驚嘆すべき強さがこれでもかと描き出される。
自分の望む人生を手に入れるために、
自分と関わるすべての人を、喰らい尽くしてきた。
そういう人物として描かれていたと思う。

ミシェルの性的嗜好には、
相当アブノーマルな所があるのだが、
これも社会的圧力の中をサバイブしようとした結果、
カウンター的に芽生えたものだったんじゃないかな。
「類は友を呼ぶ」で、彼女のアブノーマルさは、
変態性欲者の隣人・パトリックを惹き付けてしまい、
二人は危険な肉体関係に陥っていった。しかし、
パトリック程度のヘンタイでは太刀打ちできない。
ミシェルは、彼をも頭から丸呑みにしてしまうのだ。

『ELLE』のストーリーの中でミシェルは、
「命」に関係するさまざまな事件に遭遇する。
小鳥の死のようなものから始まって、
母の急死、服役中の父の死、パトリックの死、
親友アンナの子どもも、死産だったらしい。
それから、初孫の誕生。
彼女の身辺で起こるこれらの鮮烈な事件は、
他者への共感力が高いとは言えないミシェルの心にも
それなりに変化をもたらしたようだ。
ミシェルは、
「これからは他人を傷つける嘘をやめる」と言い出し、
まずアンナに、彼女の夫と不倫していた事実を告白。
パトリックにも、彼との不健全な関係をやめると宣言し
また彼の行為を警察に通報すると告げた。

パトリックがミシェルの宣言を
どう受け取ったかは、微妙な所だったが。
パトリックは何しろ変態性欲者で、
危険なシチュエーションに興奮するタイプだ。
「妻にバレちゃうかも」とか、
「警察に通報されるかも」とかいうことも、
情事のスパイスくらいにしか思ってなかったのでは。

でもいずれにしてもミシェルは、
パトリックとの間違った関係をやめると、決断できた。
でも、パトリックはそれができない人だった。
不倫が大切な妻を傷付ける行為だとわかっていても、
自分の欲求を満たす行為をやめられない。
このあたり、ミシェルの「強さ」と、
パトリックのもろさが際立っているように思う。
でも、これは
ミシェルを極度に同情的に評価しての「強さ」だ。
もっと深読みすると、話が変わってくる気がする。
確かにミシェルは彼女なりにいろいろ考えて、
「これからは他人を痛ぶって楽しむような
 生き方はやめよう」
と考えたのだろう。
でも、パトリックとの関係については、
これを本当に清算したいと思っていたのか謎だし、
彼をこんな風に扱うなら、結局、他の人間のことも
同じように扱っていくんじゃないか、という感じがする。
というのも、
そもそもミシェルは大変な警察嫌いで、
警察と関わり合いになることを忌避していたので、
パトリックの行為を本気で通報する気だったか微妙だ。
それに、パトリックと別れた直後、ミシェルは
戸締まりを徹底せずに家に入った。
何度か背後を振り返って外をうかがい、
パトリックが追って来るのを待つ様子も見せた。
案の定パトリックが家に侵入してきて彼女を襲う。
ミシェルは反撃したが、形ばかりの抵抗に見えた。

パトリックを撃退したのはミシェルの息子だ。
息子が追いかけて来てくれるであろうことを
ミシェルは始めから読んでいたっぽかった。
自分の人生からパトリックを永遠にしりぞけるために、
息子を利用したのではないか。自ら手を下すことなく。
ただ、息子にパトリックを殺してもらうことまでは
期待していなかったかもしれない。
それどころか、息子が来てくれなかったとしても
別に構わない、とさえ思っていたかも。
あの局面でパトリックを撃退できなくても、
単に、彼との関係がもうちょっとの間続くだけだから、
ミシェルとしては、そんなに困らなかったはずなのだ。

暗い過去を「バネにした」と言えば聞こえは良いが、
自己正当化の材料にし、周囲の人間を不幸にしてきた、
それがミシェルのこれまでの人生だったのだと思う。
そういう生き方は良くない、と気付いたために、
彼女なりにいろいろと改悛を試みたようだが、
パトリックとの関係は、
「ま、終わるまでは続けても良いかな」と
思っていたんじゃないかな・・・。

この映画はミシェルのレイプ被害を端緒として始まる。
暴行を受けたという点において確かに彼女は被害者だ。
だけど、人生という、もっと大きな枠組みの中の
レイプ被害、ということで考えてみると、
ミシェルは結局、レイプされたという事実さえも
自分の人生に効率的に働くように、
利用してきたように見える。

過去に重い影を落としてきた両親が死んだ今、
人生やり直そうかしら、と思ったこと自体は本心だろう。
でもパトリックの扱いを見る限り、彼女の生き方は
これまでも今後もあまり変わらないんじゃないか。
「いつ私の前から消えてもらっても良いんだけど、
 性の相手として役に立つ間は利用させてもらおうかしら」
みたいな感じだとしたら
パトリックを意思ある一個の人間として扱っていない点で
これまでの人間関係の作り方と何ら変わらない感じだし、
それを変革していくには相当時間がかかるのでは。

でも中には、
ミシェルの何もかもを知っていながら、
それでも彼女を愛する人間がちゃんといる。
親友のアンナだ。
アンナは夫とミシェルが寝ていたことを知っても、
ミシェルとの関係を切ろうとはしなかった。
母の墓参りをしていたミシェルの所にやってきて
彼女と和解し、しばらく同居しようと話し合う。
「あなたの夫を好きでもなんでもなかった。
 ただ寝たかっただけ」
ミシェルのひどい言い草を、アンナは
「言いわけにもならない」
と手厳しく退けたが、眼は優しく笑っていた。
ふたりが楽しそうに語り合いながら、
墓地をあとにするラストシーンを観た時、
「うわあ・・・ 
 これからもミシェルは
 周りの人間を食い物にして
 幾多の屍を積み上げながら
 パワフルに生きていくんだろうなあ・・・
 なんならアンナもそれに協力するんだろうなあ」
と連想して、ちょっとゾっとしてしまった。

Netflixドラマ『FOLLOWERS』-第9話

 

英題:FOLLOWERS
蜷川実花監督
全9話
2020年2月27日全話一挙配信(完結)

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【第9話 あらすじ】

完成させた映画を何とか発信しようと奮闘するなつめ。
我が子の病気で仕事に遅れを出してしまったリミは、
自分の選んできた道が誤りだったのかと悩み始める。
スエオと結ばれたエリコが選ぶ、新しい生き方とは。
あかねはマンションの隣人男性と仲を深めていくが・・・。
そして今年も、女性の活躍を称える表彰式が
華やかに催される。
プレゼンターのリミは女性たちにどんなエールを送るのか。




【これだけは解消しておきたい『FOLLOWERS』の疑問】

やっと最終話だ・・・
できることなら一刻も早く
脳からこのドラマの情報を消去したいが、
その前に、考えておきたいことがひとつ。 
それは、前にも、ちらっと言ったんだけど
つまり、こういうことだ。

「主人公であるところのリミが、
 ちっともステキな大人に見えず、
 むしろ非常にみじめな立場に
 追い込まれていっているように見える。
 これは製作者側の意図によるものか。
 そうであるならば、そのことによって
 製作者は一体、何を言おうとしたのか」

そして個人的には、この疑問への答えは
最終話における リミとあかね に
見出せたように思われた。

 

【それぞれの選んだ道:エリコとゆる子】

これまでにも指摘してきたことだが、
リミたちって、ものごとへの対処のしかたが
とても短絡的だ。
何か困ると、すぐ人間関係をリセット。
困ったら、人との関係を切って、
自分だけ先に進む(逃げる)ことで解決する。
エリコが、会社経営は若い子たちに任せて
あたしは夫と農園をやるわ! とか言い出したのも、
ゆる子ちゃんが、せっかく結婚したのに、
あっさり出戻って来たのも、
彼女たちの「人間関係リセット癖」と
「傷付きたくない病」との合併症状が
顕著に出た結果だとわたしは思う。
なまじ経済力があるから、行動がダイナミックで、
なんかカッコ良いことやっているように見えるけど、
要するに、切って逃げての繰り返し(笑)

エリコとゆる子の8~9話における行動は
今 紹介した通りだ。
残るはリミとあかねなのだが、
先にリミを見てみよう。

 

【リミの選んだ道は『謎』!!!】

リミちゃんはね~え、
・・・
実の所、一体どうなったのかよくわからない!
マジか! 
おいっ! ほんとなんなんだこのドラマ!
行動の内容はどうあれ、一応この最終回では、
登場人物がみんな
「それぞれの道を選び取って前に進む」
という結末を迎えていくのに、
リミの道は、まったく不明!
主人公なのに! そんなのアリか!

彼女、大事な仕事で失敗してしまって、
最終話の序盤で、顧客に謝罪に行くんだけど、
結局、取引を切られてしまって、泣いてた。
そりゃもう、ひどい落ち込みようだったよ。
飛び降りちゃうんじゃないかと心配したわ。
でさ~、あれだけのことがあって、
そのあと何かこう、心境の変化とか・・・
育児と仕事を両立するフォーメーションの再考とか
具体的に・・・リミちゃんさ、何か考えないの?
何かしようと思わないの?
何かないと、わからないんだけど。
ないんだよ!

ただ、リミにとって都合が良いことが
最終話でいろいろ起こってはいた(笑)
まずゆる子ちゃんがね~、帰って来てくれたでしょ~。
ゆる子ちゃんはデキる子だから
手土産に大きな仕事を取って来てくれたので、
失った取引分を補って余りある結果となる。
さらに、なんと「子どもの父親やっぱタミオかも説」浮上。
リミのお母さんとタミオが「偶然」つながって、
タミオと再会できる日も近いようだった。
・・・

この通り、欲しいものは全部手に入った。
だけど、リミが自分で考えて決めたもの、
それを獲得する代わりにリミが手放したもの、
リミが自ら変えたもの、行き先、目的・・・
どれひとつとして、物語の中で描かれない。
謎過ぎる。
なぜ主人公のリミだけ、行動も思考も
こんなに停滞してしまったんだろう。
もう最終話だっていうのに。




【元もとは何を言おうとしたドラマだったのか】

強いて言うならば、だが、
なつめの自主製作映画を観たリミが、
「若いって良いな、まぶしいな」みたいなことを
呟いていた。で、その直後、
例のウーマンなんとかアワードのスピーチで、
「わたしは、彼女たちの作品と
 世代との出会いを通して」、
勇気をもらいました、的なことを語る。

ドラマ『FOLLOWERS』のメッセージって
元もとは、この辺にあったんだろうな。
単純に、
世代を超えて刺激しあい、一緒に成長しよう!
わたしたち女性が、社会を元気にしよう!
そんな感じのガールズエンパワーメント路線で
行くつもりだったんじゃないのかね。

それが、多分どこかで話がおかしくなったんだよな。

「彼女たち」にパワーをもらった、と語るリミが
その力を自分の人生にどう生かすつもりなのか、
言葉でも行動でも一切、示さずじまいなので
このスピーチも、脚本上、無価値と言う他ない。

なぜリミだけが特に、こうなのか。
彼女だけ、何もわからなくて、
何かした、って感じがない。

まあ今のリミには、赤ちゃんのお世話という
大事な仕事があるので、写真家活動の方は
セーブしていくのかな、みたいな。
じゃあ若い世代から受け取ったパワーを
今は静かに蓄電しておくのかな、みたいな。
そんな風に解釈してあげるのが現実的・・・なのか?

 

【リミだけに与えられた『仕事』】

元も子もないことを言うようで恐縮なのだが、
「リミの出産」は、最終回にこそ持ってきた方が
ポジティブで、動きのある終幕になったのでは。
冷静に考えてみれば「出産」「育児」ほど、
「オラに元気を分けてくれ!」な仕事もないよな。
体が裂けて血まみれのなかやっと生み出した人間に、
休息時間を削り、自分自身の血液を分け与えて、
その子が死なないように生命維持活動を助け、
食わせて、風呂に入れ、服を着せ、教育を施し、
小遣いもやり、生意気を言われてもひたすらに耐え、
独り立ちできるまで、18年だか育てる・・・
スゴイ仕事だ。こんな偉業が他にあるだろうか。
しかも報酬は支払われない!!!

女性と仕事、女性の活躍、女性の社会進出、
『FOLLOWERS』は、そういうことを熱心に言い立てる。
だが人間で子どもを産むのは女だけだ。
それは差別とか多様性とかフェミニズムとかじゃなく
ただの現実だ。
そしてこのドラマの中で「赤ちゃんを産む」という
行動を取るのはリミだけ。
少なくともこのドラマにとって、出産は、
リミだけに与えられた、重大な「仕事」だったのでは。
なのに全然まともに描いてなかった。彼女の出産を。

そうか、
本当に「クライマックス」になるべきだったのは
リミの出産、だったのか・・・。
なのにリミの出産エピソード結構早めにスルーしたよなあ。
ドラマ的には、そりゃ産んだらリミはお役御免だよな。
リミというキャラクターの、作中における稼働率が、
「出産」を境に休息に低下していき、
最終話で完全にゼロに。・・・それも道理だわ。
だって彼女の仕事、終わっちゃったんだから。
もちろん、蜷川実花監督は、
ママになったら女は社会で活躍できません
なぜならママになったのですから!
と、言うためにこのドラマを作ったのではない、と思う。
でも、哀しいかな結果的に『FOLLOWERS』は、
まさにそのことを指し示して終幕しているのだ。
このドラマが、
「ヒロインの完全なる停滞」を描き出して終わる
というシュールにもほどがある終わり方をしたのは、
製作者が意図したものじゃないと思う。
脚本に重大な不備があったために「そうなってしまった」のだ。
『FOLLOWERS』の脚本を書いた人は、
この物語におけるリミの「仕事」が何であるかということを
誤認してしまっていたんだろう。



【あかねは隠れたキーパーソン?】

先に述べたように、
このドラマが本来言わんとしていたことは
世代を超えてエンパワーメントし合おう!
女性の力で社会を元気にしよう!
・・・多分そんなことだったのだろう。
そしてこれを体現するキャラクターがちゃんといた。
それはリミでもエリコでもゆる子でもなつめでもない。
あかねだ。

あかねは会社と袂を分かって独立、秘蔵っ子SAYOを
バーチャルアイドルとして生まれ変わらせるのだが
この映像製作か何かで(詳細な説明はなかった)、
彼女はどうも、なつめたちの力をかりたらしかった。
なつめなんて身の程知らずの生意気な口をきいて、
あかねの元から去っていったタレントだというのに、
その若造に自分から接近して、頭を下げたのか。
あかねはなかなか柔軟だし、真摯だよなあ。
頑固で旧い「リミちゃんのお友だち」にしてはね。
ビジネスパーソンとしての胆力が段違いだ。
次期社長候補などと言われていただけある。
正直言って、あかねのこと、ちょっと見直したよ。

 

【キャラの重要度の設定がおかしい】

そこからいくと、このドラマ、
キャラクターの重要度の設定というか
力点の置き方もビミョーだったんだろうな。
リミの物語上の「仕事」が「出産」なら
あかねの「仕事」は、仕事でしょ、明らかに。
もっと、リミとあかねの対照性を
ゴリゴリ押し出すべきだった、ということになるね。
でもあかねって、実際には重要度低い役だったよな。
リミ勢の中で、一番目立ってたのは明らかにエリコだ。
エリコこそ役回りという意味ではむしろコモノだったのに、
ドラマ全体で見ても、ダントツ一番目立ってた(笑)
夏木マリさんがカッコ良すぎたのだ(笑)

リミと、次世代サイド代表のなつめが
直接出会う瞬間を、わたしはずっと待ってた。
なつめがリミの古い価値観や臆病な思考様式を
ダイナミックに喝破する展開に、心から期待してた。
でも、リミが予想以上にお気の毒な扱いとなり、
役としての稼働まで、ストップしてしまったからな・・・
リミとなつめの激突どころではなくなってしまった。

ただ、一応、エピローグで、リミとなつめは邂逅した。
いろいろ経験を積んで自信がついたらしいなつめは、
リミのカメラの前で、のびのびとポーズを取る。
若さと希望にあふれ、輝くように美しいなつめを
リミは本当にまぶしそうに見つめていた。
不憫だ・・・リミが輝いていないわけではないのに。
単純に、脚本の問題で、リミの方がほんのちょっと早めに
仕事が終わってしまった、というだけのことなのだ。
なのにあれは、あまりにもアレな幕切れだよな。
「若いってステキね。
 わたしはもう何もできないわ。
これからは半隠居みたいな感じで
気が向いた時に、この子みたいな
輝いてる若い子を撮ろうかな。
(ちなみに育児はお母さんに丸投げよ)」
とか考えているようにさえ見える・・・
なんてむごい結末だ。

 

もし監督が最初から意図して、
リミをこういうみじめな役回りにしたならば、
とても斬新で残酷な試みだと、思えたと思う。
子どもを産んだら女は社会的にお役御免、
もう活躍しなくなるものなのです、・・・なんて 
今の主たる社会的潮流に真っ向からケンカを売る
野心的スタンスに他ならない。
もしこのドラマが本気でそれを言おうとしたならば、
おっ、おもしろいことやろうとしてるな! 
って、思ったと思うよ(主張が正しいかどうかは別として)。
ただそれは、作品の完成度さえもっと高ければ、だ。

このドラマの完成度は最低レベルと言わざるを得ない。
監督がそのつもりじゃなくてもこの作品は、
ムダなメッセージとか信号とかを発しまくり、
わたしをモノスゴく混乱させる・・・。
一生懸命、肯定的に考えようとしてきたけど、
徹頭徹尾、全方位的に、意味不明な物語だった。
わからないなりに押し通して見せる爆走力もなく、
観ていて、ただ、ひたすらに疲れたのだ。

仮に何か、構造的におもしろいことをやったつもりでも
これじゃあ、ただ単に監督のひとりよがり、
そして監督の「あきれるほどの見識不足」、
そういう話にならざるを得ない・・・

残念だ。
心情的になぜか今スゴクしんどい・・・
このドラマをもう二度と観なくて良いという幸福感に
ひたれるようになるまでには、今少し時間がかかるかも。

個人的に心配なのは、このドラマのキャスト陣のことだ。
役者さんたちには何の落ち度もなかったとわたしは思う。
彼らはみんな与えられた仕事を完璧にこなしていた。
このドラマに出たことが、
彼らのキャリアの汚点とならないよう、
祈らずにはいられない。

Netflixドラマ『FOLLOWERS』-第8話

 

 

英題:FOLLOWERS
蜷川実花監督
全9話
2020年2月27日全話一挙配信(完結)

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はあ・・・
やっと第8話まで来た。
まだあと1話分 残ってるのか・・・
辛。



【第8話 あらすじ】

なつめは一大決心し、念願の映画製作に着手する。
男の子を出産したリミは、仕事と育児の両立に苦戦。
ゆる子は恋人にプロポーズされ、人生の岐路に立つ。
あかねがマネジメントしてきたミュージシャンのSAYOは、
所属事務所から見放され、活動の場を失う・・・。



【第8話 疑問・謎】

リミたちお姉さん勢ときたら、
ものごとへの対応が、幼稚で短慮で目に余る。

何か困ったことが起こった時、このお姉さんたちは、
まずそこにある「人間関係」を、やめようとする。
自分から相手を切り離す、という選択をするのだ。
というかそれしか対応のしかたを知らない。
相手と話し合って、問題を解決できないか考える、
そのような選択肢は、模索さえしない。
勝手に決めて一方的に切る、それだけだ。

リミは、ゆる子が恋人との結婚を望んでいると知ると
すぐさま職場の人員を増強し、ゆる子に解雇通告。
10年一緒に働いた、自分の右腕の今後の話だってのに
お手軽だなオイ・・・

ゆる子も、恋人に「結婚してアメリカに行こう」と
言われたことを、リミにひとこと相談さえせず、
人知れずあきらめて、恋人と別れて・・・。

会社がSAYOを必要としていないと知るや、
あかねは、会社から、自分とSAYOを切り離した。
まあそりゃできるものならやれば良いとは思うが・・・
あかね自身がSAYOの音楽に本心から惚れ込んでいる
ということを示す描写が脚本上まったくないために、
SAYOを道連れに独立したことも何か納得しにくい。
SAYOから表現活動の場を奪わないために、
SAYOの才能を証明するために、・・・みたいな
利他的な動機を感じにくいのが、なんかな・・・
「SAYOをここまでの売れっ子にしたのは私の力よ」
つまり自分のために独立した、としか受け取れない。
別に良いけど。

リミの仲間内では一番の人生の先輩であるエリコでさえ
自分の病気が発覚すると、恋人との関係を一方的に切った。
病気のことをちゃんと話さず、相手の意向を聞きもせずに。
年若い恋人の将来を思って身を引いた風の描写だったが、
彼女ののちの言動を見ていると、やっぱり単に、
自分自身が傷付きたくなかっただけ、に思える。

まとめると、多分リミたちは、
他者を全然、信頼してないな。
自分が必要な時に必要な分だけしか、
「他者」から引き出そうとしない。
他者の何を引き出すかと言うと、
能力、愛情、言葉、ぬくもり、いろいろだが。
相手がどう思うかはわからない、
何もかも失うことになるかもしれない、
でもとりあえず自分をさらけ出して委ねる、
・・・そういうことをしない、リミたちは。

 

 

【第8話 好感】

なつめたち若者サイドは、
臆病だけど、お互いを信頼する姿勢を備えている。
信頼というか、やや無謀と言っても良いほどだ。
臆病なのに無謀(笑)
それに、協力してことをなすという選択肢も知っている。
人とつながり、頼ることで、可能性を拡げていく。
映画を作りたい! 監督はヒラクだよ! 
なつめが、ヒラクの映画製作の技量も知らないのに、
ポン! と自分を丸投げした場面は良い。可愛い。
この子なに、こわ!!! と思ったけど。

エリコに別れを告げられてしょげていたスエオに
ハッパをかけたのは、エリコの一人息子だったね。
彼らのプロポーズ大作戦はかなりアレな仕上がりで、
プールが、不潔きわまる殺人現場か何かに見えたが、
真剣さは伝わって、まあまあ好感が持てたよ。


【ふと走る悪寒】

話は変わるけど 
リミよりも、彼女のお母さんの方が
新しい価値観を柔軟に受け入れていってるね。
回を追うごとにおしゃれになっていってるし、
いろんな人からいろんなことを吸収して、
マイペースで日々を楽しんでいる。
あの描写も何なのかね、育児の件。
お母さんは、ミルクも活用したら、と助言する。
だがリミはあくまでも母乳育児にこだわる。
搾っても出ないものは出ないのに、そうすることが
「(我が子に)できる限りのことをしてあげる」
ことだとかカンチガイしているのは、リミの方だ。
一生懸命なのは結構なのだが・・・、
「できない、じゃあ他の手を探そう」みたいな・・・
リミちゃんてそういうの、あんまりない人?

なんか怖くなってきたんだけど。
結論めいたことを先に言っちゃうんだけど、
もしやリミとその仲間たちは、
新しい世代の踏み台にされ時代に取り残される、
そういうポジションに配置されているの?
だって母親世代にまで置いて行かれちゃってるよ。
しゅ、主人公なのに? 
リミ主人公なのに?
え、このドラマって、そんな実験系?
監督は、自分が何をやろうとしているか
ちゃんとわかっているのだろうか?

マジか。
もし本当に 先を行く世代と
それを見送る世代を描く中で、
主人公を「見送る側」に設定してるとしたら
けっこう斬新だし残酷だし・・・
すいませんなんかちょっと監督
病んでませんかね・・・
正直言ってそんな構造、思ってもみなかった、
ここに来るまで。

え~・・・ も、もうあと1話しかないぞ。
どう収まっていくんだ、この物語は!!!

Netflixドラマ『FOLLOWERS』-第7話

 

 

英題:FOLLOWERS
蜷川実花監督
全9話
2020年2月27日全話一挙配信(完結)

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まだこのあともう2回分も観るのか・・・
苦。



【第7話 あらすじ】

入院前日、仲間たちに病気のことを告白するエリコ。
夢をあきらめて実家に帰る決意をしていたなつめは
あるアドバイスに勇気を得て、新たな一歩を踏み出す。
リミは、いよいよ出産の時を迎える。




【第7話 疑問・謎】

自分がこのドラマを好まない理由、
何がしたいんだこのドラマは、と思わされるポイントは、
ものすごく多方面にいっっっぱいある気がしていた。
でも、第7話にきて、
「意外とひとつに集約されるのかも」
という思いが強まった。
わたしの言葉でまとめるとそれは、
「リミたちが、素敵な大人に見えない。
 自分もリミを見習いたい、とは思えない。
 だが果たしてこの作品の作り手的には
 それで良かったのか」
みたいなことだ。

このドラマのメインキャラを大別すると
リミたちはちょっとだけお姉さんサイド、
なつめたちはリミの背中を追う若者サイド、
ということになるだろう。

で、そのお姉さんサイドは、
しょっちゅう集まって宅飲みとかして、
子熊の兄弟みたいにいちゃいちゃゴロゴロしてるわりに、
お互いの心に触れることからは徹底的に逃げている。
それ、どうなの、って感じするね。

エリコが病気のことを明かすシーン。
彼女が病気だと初めて知らされたというのに、
リミもあかねもゆる子も、自分の気持ちを言わない。
「病気で悩んでたのにずっと隠していたのね。
 つらかったよね」
「詳しく話を聞かせてくれる?」
言わないんだよな~。
精一杯気取ってカッコつけてるエリコが痛々しいよ。
ゆる子ちゃんなんて、言うに事欠いて
「手術すれば大丈夫なのよね・・・?」。
大丈夫かどうかなんてわかるかよ(笑)!!!
て言うか一番それ知りたいのはエリコ本人だわ。

「自分で決めたら何が何でも進む人」
それがエリコだ、とはリミの言だが、
「だからエリコが決めたことに対して
 私たちは何も言えません」
なんてことは、ないよな。
何か言いたければ、言えば良い。
エリコの告白を聞いた。
病気だなんて、初耳だった。
それぞれ何か、思う所があって当たり前だ。
「なぜ今日まで黙っていたの。水くさいよ」
「スエオと急に別れたのも病気が理由なの?」
「力になりたい。どんなことをして欲しいか教えて」
エリコがそれにどう反応するかはわからない。
真っ赤になって怒り出すかもしれない。
でもエリコが怒るからとかなんとか以前に、
思っていることがあれば、言って良いはずだ。
なぜ誰も何も言わないのだろう。
全員が全員の出方をうかがい、
エリコのリアクションを警戒し、口を噤む。
「エリコのために」には見えなかった。
「自分がヤケドしたくないから深入りしない」だ。

だが、そんなのって友だちと言えるかね?
あれが成熟した大人の人間関係のあり方か?
思っていることがあっても言わないのが大人?

あと、蒸し返すようだが、
「決めたら何が何でも進む」って言うけど、
エリコは別に、病気になろうと自分で決めて
進んでなったわけじゃないだろ。
エリコが乳房を切除することを指して
「決めた」、とおそらく言っているんだろうが、
エリコのおっぱいも大事だが、それよりもまず
生命の方を心配したらどうか。
なぜ、友だちの生命が危ぶまれている
目下の現実をスルーしてまずおっぱいなんだ(笑)
おっぱいは女の命とかそういう深げなことを
考えるキャラじゃないよねこの人たちは。
現実から目をそらしているだけだ、要するに。

今時の若いもんは他者と本音で向き合わない、
濃密な人間関係を避ける、といった声が
何かというとオトナサイドから聞かれる昨今だが、
このドラマの中に限って言えば
他者と向き合わず、逃げてばかりなのは
むしろそのオトナサイド、リミたちだと思うね。

リミたちはみんなそれぞれの分野で成功を収めている。
経済的に完全に自立、おしゃれで自由な暮らしを満喫。
「カッコイイ女」とはこういうことさ! って感じだ。 
だが心が、華やかな見た目にまったくそぐわない。
内面が幼稚で荒廃している。
女子中学生みたいな幼さだ。
「小金」「スキル」「行動力」を備えてるだけに、
ある意味たちが悪い。

なんかな~。全然こう・・・お姉さんサイドがさ~
本質的に「素敵」じゃないんだよな~
で、果たして作り手側は、
リミたちのカッコ悪さを、どう考えているのだろう。
意識的にリミたちをショボく描写しているのか?
そのつもりで最初から物語を作ってきたのか?

だとすれば、やっぱりわたしとしては、
もうこれは最初の最初の方から言ってきたことだが、
なつめとリミが直接語らう展開が早く訪れて欲しい。
「リミさんって、パッと見、いかにもイケてる
 ハンサムウーマンだけど、中身が中二ですね」
「私、リミさんみたいにだけは絶対ならない!」
なつめにダイナミックにダメ出しされるリミを
早く観たい。
でなきゃ物語をなつめたち若い世代と並行して
描いてきた意味が良くわからないし、
このドラマ自体、成立しないことになると思う。

でもその見通しもさ~、
すでに怪しいんだよな~。
だって、役者の夢をあきらめて
実家に帰ろうとしていたなつめが翻意する、
最終的なきっかけってのがさ~、
よりにもよってリミからのメッセージなんだよ。
「汝の道を進め、そして人々をして語るにまかせよ」
えーーーー・・・・。
いやあ・・・ご立派ですこと・・・
リミ、結局、キャラ的に
イケてるのイケてないのどっちなの(笑)

 


【第7話 好感】

リミたちお姉さんサイドと対照的に、
若者サイドは、あれで結構ちゃんと
「濃密な人間関係」をやっているんだよな。
サニーちゃんがなつめに告白するシーンとか
案外なほど、良かった。
なつめが、「ごめんね」と言って涙した時、
ああ、これで良い、と何かわたしも納得したな。
二人の心が通っていることが明確に伝わったし、
アーティストであるサニーちゃんにとって、
なつめへの愛がどういうものなのかも理解できた。
このドラマの病巣の95%は脚本にあるというのが、
わたしの基本的な考えなのだが、それでも一応
「サニーちゃん片想い案件」では脚本上、
必要十分の説明がなされてきていたんだろう。
「自分の気持ちに素直になれば、
 怖いことなんて何もない」
とても良いよね。このセリフ。
煎じて飲めば、ふがいないリミたちも多少変わるだろう。

若者サイドのストーリーで、たま~~~に
「おっ、ここは何か良い」って思うのは、
なつめたちの方が、
お姉さんたちよりはまだしも、
心ある人間関係を築けているからかも。

 

 

【まとめ・・・】

『FOLLOWERS』における自分の疑問は
「リミたちが全然ステキじゃないのですが」
という点に集約して良いような気がしてきた。
このドラマのおかしな所を挙げたらキリがない。
各話につきいちいちそれをやっていたら大変だ。
物語も終局に向かいつつある今、ここからは
「カッコ良くないお姉さんたち」という視点で
このドラマを観て行こうと考えている。

『スノーピアサー』

 


原題:설국열차
英題:Snowpiercer
ポン・ジュノ監督
2013年、韓国

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近未来、地球温暖化問題への抜本的な対策として
化学薬品「CW-7」が散布された結果、
世界は、氷河期のような気候に逆戻りした。
生き残ったわずかな人類は、
走り続ける列車の中で命をつないでいる。
車内は、前方車両の富裕層がすべてを支配し、
最後尾の貧困層は差別され、屈辱に耐えている状況。
最後尾グループのカーティス(クリス・エヴァンス)は
長年あたためてきた反乱の計画を、ついに実行に移す。
先頭車両まで押し進み、支配者層から車内の主導権を
奪取しようとするのだが。
・・・

ポン・ジュノ映画って、
自分の心の中の非常にイケナイ部分を、
絶妙にコチョコチョされる感じというか・・・
ブラックユーモアのセンスにも魅かれるし、
説明しにくいが割と好きだなわたしは。

移動し続ける密室空間内で起こる反乱劇という括りでは
小林多喜二の小説『蟹工船』が真っ先に連想されるが、
あの映画版の『蟹工船』(2009年)、ヒドかったな~。
ケンカ売ってんのかってくらい決定的な駄作だった。
あれと比べると『スノーピアサー』ははるかに良い。
蟹工船』とは雲泥どころか神とウンコぐらいの差だ。

メイソン総理役のティルダ・スウィントン
役作りが完璧すぎて、彼女だとなかなか気付けなかった。
「小学校」車両の、女教師を演じた女優さんも良い。
恍惚の表情で白目むいてオルガン弾いてて笑った。

 

【ツッコミどころもそれなりに】

冷静に考えるとおかしい所もなくはない。
例えば
カーティスの反乱のキーパーソンは、
列車のセキュリティシステムを構築した
ミンスソン・ガンホ)だ。
反乱軍は、彼に各車両の扉のロックを
解除してもらうことによって前進する。
だけどこのミンスが大したことやってない(笑)
ロック解除と言っても、割と素人みたいな手段。
「配線をショートさせる」みたいな。
扉を蹴破っちゃった方が早くないか。

あと、
列車も線路も頑丈にもほどがある。
特に線路の方は少なくとも17年間メンテナンスなし
ということになるが、それで良く走り続けられるな。
実際、軽い地盤崩落とかで線路がつぶれてる所があり、
ムリヤリ走り抜けて、難を逃れたりしてた。
来年また同じ所を通るのに、どうするんだろ。

とか 他にもいろいろ。 

 

【疑問 1:CW-7論争と列車敷設計画】

疑問としては、
地球の気温を最適化するはずだった化学薬品の
使用の是非をめぐる議論は、7年続いたそうだ。
列車の敷設計画と、この論争、
どっちが先に始まったんだろう。
「小学校」の先生によれば、
列車の開発責任者ウィルフォードは
「CW-7が地球を凍らせると『知っていた』」。
いや、「知っていた」って何だよ(笑)
こんなすごい列車作っちゃう大企業のトップが
地球が氷河期に逆戻りすると「知っていた」? 
それなら列車なんかよりも、
温暖化を阻止する研究に投資すれば良かったのに。
・・・ってムリか・・・
三度の飯より列車、それがウィルフォードだもんな。 

 

【疑問 2:エドガーの『肉の記憶』】

良く考えると怖いな! と思ったのが
カーティスの弟分エドガーの「肉」の記憶だ。
「肉の味って覚えてる? 俺はもう思い出せない」。
列車が「走るシェルター」となった17年前の時点で、
エドガーは「赤ん坊」だった。
カーティスの回想によれば、
当時、列車の最後尾には肉はおろか水の配給もなく、
しばらくしてやっと配られるようになった食料は、
プロテインブロックなる、ようかんみたいな代物。
最後尾車両の人びとは以来17年、食べ物と言えば
プロテインブロックしか口に入れてないようなのだ。
でも肉の味を「思い出せない」という口ぶりからは
肉を食べた過去を、データとしては認識している、
という感じを受けないだろうか。
味は忘れたが食べたこと自体はあると知っている。
そんな感じ。
赤ん坊だったのに? 具体的に、何歳? いつ?
17年本当に毎日「ようかん」ではなくて、
何かの記念日とかには、焼き肉のカケラくらい
ありつけるのか? 
それならそれで良いが。
最悪の場合、本当に17年間ブロックだけの場合、
エドガーの肉の記憶」問題は、
重大な話につながっていくと思う。

最後に肉を食べた時、エドガーは何歳だったのか。
その時、いったい何の肉を食べたのか。
事情しだいでは、
・・・物語の核心の部分に触れてしまうから
あまり詳しくは書かないのだが・・・、
罪の意識に苦しんできたのはカーティス一人では
なかったのかも、ということになるよ。

 

【納得の結末:贖罪と雪】

ラスト、カーティスは、
ああなって良かったんじゃないかなと。
彼、そんなに強い人ではないようだったので。
罪滅ぼしをしたければ機会はあっただろうが、
どんなに頑張ったとしても、彼の心の傷が、
本当に癒える日は、来なかっただろうと思う。
背負いきれないことをやってしまったのだ。
一時の恐怖に駆られて。
背負いきれなくなるとは知らずに。

カーティスのためを思うとこれ以上は酷、と感じた。
ミンスは、外界が徐々に暖かくなってきていることに
希望を見出していたが、
カーティスは、ミンスとは事情が違う。
雪解けの時を待ちなさい、なんて、酷だ。
いつか外に出られるかも、なんて
カーティスにしてみれば最悪の「可能性」だ。
列車の中にこもって死ぬまで暮らすなんて、
異常事態以外のなにものでもないが、
カーティスの立場としては、異常事態なればこそ、
まだ何とか免罪されている気がするのだろう。
でも、外の世界に戻れてしまったらどうか。
自分のしたことと改めて向き合わざるを得ない。

雪はきれいなものも汚いものも
真っ白に覆い隠してくれる。
その雪がとけることは、
眼を背けていたかった自分の穢れを、
ハッキリと突きつけられることに他ならないだろう。
カーティスにそれは耐え切れないと思う。
彼は列車の中で、もう十分すぎるほど
闘ったんじゃないかな。

『アンカット・ダイヤモンド』

原題:Uncut Gems
ジョシュ・サフディベニー・サフディ共同監督
2019年

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個人的には趣味じゃなかったし、
物語としてもさほどおもしろい、って感じじゃなかった。
これが傑作かどうかという話となると、良くわからない。

だけど、とにかくすさまじい爆走感に押し切られた。
圧倒されるままに最後まで観ちゃった。
終盤30分くらいから展開にますますドライブがかかって、
なんか、嘔吐を催すほどだった。
おしゃれで奇妙にイノセントなあのBGM、良かった。

また「A24」か~。「A24」最近良く見かけるなあ。
「A24」が噛んでる映画には、してやられる率高いな。

『アンカット・ダイヤモンド』の主人公・ハワードは、
結構やり手の宝石商だが、ギャンブル狂で借金まみれだ。
儲けた金も借りた金も商品までも賭けに回してしまうし、
それでスッてまた借りるので、自転車操業どころじゃない。
取り立てから逃れるために、違法行為にもバンバン手を染め
金策に駆けずり回る毎日を送っている。
そんな時、エチオピアから横流しさせたオパール鉱石が到着、
これにNBAのスター選手ガーネット(本人)が興味を持つ。
よせば良いのにハワードは、これこそ最大の好機とばかり
あまりにも危険な、一攫千金作戦に売って出る・・・

口先だけで生きてきた、って感じの男だ。ハワードは。
「俺以外の人間は全員サル」とか思っている印象。
私生活も最悪で、店の女性スタッフとの不倫関係は
とっくに妻にバレてて離婚寸前なのだが、それでも
家庭の中にまだ自分の居場所があると思いたいのか、
ガラでもない家族サービスに一生懸命だったりする。
ダメ男としてきわめて純度が高い。
アダム・サンドラーの演技、完璧だあ。
人をバカにしくさった顔、腹立つ(笑)。

元もとハワードの人生は詰んでいた。
彼はオパールを起死回生のトラの子と考えていたが、
実際にはむしろ終局への鍵だったのではないか。
神秘的な輝きを放つあの美しい石が、
彼の最後のベットを根こそぎ刈り取っていった。

取り立て屋に殴られて鼻血を出して
ひいひい泣いているハワードを照らすのは
宝石の高貴な輝きではなく、
ポンコツ事務所の安っぽい蛍光灯だ。
どんなに背伸びをしても、
それが彼の、本来の、現実なのだと思った。

イヤ~それにしても
この映画に登場する他のどのキャラクターよりも
ハワードが一番、人生を楽しみまくってたな。
喜び、哀しみ、恐怖、あせり、ありとあらゆる感情が
寄せてはかえす大波のように襲いかかってきて
ギャーギャー叫んだり泣いたり大騒ぎなのだが
首の皮一枚で全部乗りこなしてくる。
何だこのおっさん(笑)
怖くないのだろうか。懲りないのだろうか。
バカをやめてまっとうに生きようと思わないのか。
わたしには到底理解できないけど、
ハワードはめちゃくちゃ楽しそうだった。

「金の切れ目は縁の切れ目」と言われるが、
ハワードの縁は不思議なことにすべて
「金がないこと」によってできていた。
映画を観れば誰でもすぐに気が付くと思うが、
劇中で、「ハワード」の名が呼ばれる回数の
多いこと多いこと。
何百回「ハワード」って言うの、この映画!
明らかに意図的な演出だ。
金がないハワードなのに、金がないことによって、
人を引き付け、人に必要とされている。
不倫相手なんか、ハワードのこと大大大好きだし。

ショールームのセキュリティシステムが故障してて、
客を、扉と扉の間の狭い空間に閉じ込めてしまう、
という謎の設定があった。誤ってロックがかかると、
1メートル四方くらいのガラス張りの小部屋ができ、
どちらかの扉が開くまで、そこで待たざるを得ない。
普通そんな所で立ち止まることなんてないだろうから
エアコンも効いてないと思う。夏場とかきっと最悪だ。
この設定、いったい何だろう、と思ったのだが、
あの狭くて小さな空間は、
ラストのカタルシス展開へのパワー充電機だろうな。
小部屋に閉じ込められた人は、カギが開くまでの間、
ハワードがめっちゃくちゃ楽しそうにしている所を
イヤというほど見せつけられることになるのだ。

債権者を含め自分と関わる人たちをナメ切ってて
不誠実な対応を繰り返すハワードに「理」はない。
ハワードのせいで、誰もが割を食わされてる。
理があるのはみんなで、悪いのはハワードだ。

でも世界一、人生楽しそうなのは、ハワード(笑)。
お前はもっと困れ! もっと申し訳なさそうにしろ(笑)。
そんな奴にあんな「ウェーイ!!!」ってやられたら
誰だってたまったもんじゃないよ。
妬まれたんだよ、ハワードは結局。
何か、妙~~に気持ち良い結末だった。
ああなるしかなかったと思うわ、正直。

どういう時に観れば良いのだろう、この映画は。
すごく悩んで人生行き詰った時に観ると良いのかな。
言うても自分はハワードほどじゃないな、と思えて
気がラクになるかもしれない。