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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『アガサ・クリスティー ねじれた家』

 

原題:Crooked House
ジル・パケ=ブランネール監督
2017年、米・英合作

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アガサ・クリスティーにハマれない】

原作未読。
実のところアガサ・クリスティー
あんまり楽しんで読むことができないたちだ・・・。
オリエント急行の殺人』
そして誰もいなくなった
『無実はさいなむ』くらいは一応読んだが
いずれも、おもしろいと感じられたためしがない。
なにがどうだからおもしろくないのか、
自分でもはっきりとはわからない。
でも、物語から、においも色も感じないのだ。
好みってものがあるから、しかたがない。
いつか、おもしろいと感じることがあるかもしれない。

原作を読んでいなくても、映画は、楽しめた。
だが、よくよく考えてみて、今は、
やや「薄味」だったかもしれないなと感じている。
 

 

 

【説明がとてもわかりやすかった!】

外人さんの名前と顔がなかなか覚えられない上に
三世代同居の家庭の物語のために、
人物の相関関係がとても複雑だが、
そのわりには、けっこうわたしでも理解できた。
人物紹介がされていく序盤において、
全員の顔と名前と、誰の子なのか、どの男の妻なのか、
誰にとって何なのか、などと
すんなり全員のデータを頭に入れることができたし、
「あれ、この夫婦には子どもはいるのかな」
「弟がいるらしいけど、いつ出てくるのかな」
なんて疑問が自然に持てるようになった。
説明がていねいだったんだろう。

 

【「Xファイル」のスカリーがいた!!】

ソフィアの母マグダを演じたのが
海外ドラマ『Xファイル』のスカリー捜査官の人だと
気づいたときには驚いた。
Xファイル』のとき、彼女は金髪だった。
それに、もうちょっとふっくらしていて、
衣装も地味だった。
まったくわからなかった。


 

【やや薄味か】

わたしは単純であるからコロコロだまされた。
正直いって乳母が犯人だと思っていたくらいであるから
ミステリーとして、まったく問題を感じることなく、
最初から最後まで楽しめた。
先述のように「薄味かなー」とか思い直したのは
観た日よりも何日か経ってからだ。

 

【犯人探しに集中できない:やや散漫なストーリーテリング

ミステリー小説を読みつけていたり
謎とき系の映画やドラマをたくさん観ている人は、
本作はかなり物足りないかもしれない。
まず殺人が起こり、探偵が呼ばれ、
犯人をつきとめて一件落着に見えたかと思いきや
それをあざわらうかのように第二・第三の殺人、
では 真犯人は誰なんだ、
そして盲点となっていた意外な人物が・・・
このように本作のフローをまとめてみると
いかにも「ド定番」ってかんじだ。
ミステリーに慣れていて流れが読めちゃう人には、
その意味において退屈だろう。
それに、
レオ二デス老を殺したのは誰か、ということよりも
気になる(というか流れ的に気にならざるをえない)
トピックスが他にあったように思う。
それは、チャールズとソフィアの過去の関係だ。

冒頭、女の手がうつしだされる。
寝椅子にぐったりしている男の腕に、注射をうつ。
このシーンに続けて、有名実業家レオ二デス老の
急死の報が社会をかけめぐるようすが描かれ
祖父は殺された、とソフィアが訴える。
では冒頭で注射をうっていた女が犯人なのでしょうか・・・
という流れになるかと思いきや、
いったんこの、メインのストーリーは中断される。
そんなの大して重要じゃないんですよ、くらいの
扱いに感じられた。

かわりに描き出されるのは、
チャールズとソフィアの過去のエピソード。
交際していたにも関わらず、
ふたりがうまくいかなかったのには事情がある、
・・・といったことがほのめかされる。
チャールズは亡父が誇り高きスコットランドヤードの辣腕警官、
自身も外交官として将来を嘱望され
順調に出世街道を歩んでいたようなのに、
今は売れない探偵業に甘んじている。
いったいなぜなのか。何があったのか。
こっちのパートの方が、
「誰がレオ二デスを殺したか」よりも
はるかに大事であるかのように提示されていた。
だが、
恋人たちの過去の事情については、
メインのストーリーの合間、合間から簡単に推察できた。
このパート、正直ちょっと薄かったかなと。
チャールズの気持ちはわからなくもないが、
恋愛ってまあ誰でもこんなもんかなと。
お互いに真剣だったからこそ、
別れ方がみっともなく後味悪いものになる、
そんなことって多分、ふつうだ。

やはりチャールズとソフィアの過去パートは
本作のキモじゃなかった、とここで気づく。
レオ二デス殺しの犯人探しパートに戻るより他にない。

 

【仕事デキそうでデキないチャールズ】

チャールズが探偵として全然売れないわけ、
見てて、ちょっとわかる。
たしかに、彼はけっこうまじめに仕事をしている。
人数の多い遺族ひとりひとりに、怠りなく聞き取りを行う。
実質的家長であるイーディス、
レオ二デスの二番目の妻にして若き未亡人、
レオ二デスの長男とその妻と3人の子、
レオ二デスの次男とその妻、
乳母、家庭教師(未亡人の愛人)
ぜんぶで11名もいるが、このすべてに
一日かそこらのあいだで最低一度は対面しており、
まあ未練たっぷりの元カノにイイとこ見せたいのだろうが
きちんとやることはやっている。でも、冷静に考えると、
彼は自力ではほとんど何も、つきとめられていなかった。

物おじしないのは立派だが、態度が高圧的であり、
えらそうなところが、良くなかったかなと思う。

 

【みんなそんなに、ねじれてない】

屋敷に暮らす一族のことだが、
イーディスやソフィアがものものしく探偵に警告したほど
心が「ねじれている」人たちであった、とは言えない。
「だからじじいを殺してやる」という極端な思考にいたる
きっかけになりえそうな
重い「事情」を、誰も、持っていない。
映画が、「持っているかのように」描いてないのだ。

確かに巨額の遺産の問題はあるのだが・・・。

長男夫妻は、映画を撮りたくてしょうがないらしいが、
「殺してでも金を奪って製作資金にする」と
彼らが本気で思っているようには見えなかった。

次男は父から任された会社をつぶしかけている、
という悩みをかかえてる。
でも、この件については当のレオ二デス老からすでに
莫大な額の小切手を受け取っていた。
父は僕を、いつもこうやって助けてくれる、と自分で言っていた。

若き未亡人は家庭教師とデキていたようだ。
でも、それだからといってなぜ老いた夫を殺したいのか
なぜ金を奪いたいのか、についてはよくわからない。

死んだレオ二デス老もけっこうやることやっていて
人の恨みを買いやすいキャラではあったらしい。
でも、一族のなかに、
放っておいてもそのうちに
死んだであろうあの老人を
わざわざ早めに殺したいと考えるほど
彼を恨んでた者がいた、という描かれかたは、
まったくしてなかった。

一族の者たちがみんな個性的であることは事実だ。
変わり者ぞろいであることに異論はない。だが、
なんとなく危ないな、この人とは関わりたくないなと
思わせるほどのものは、誰も持ってない。
そんなには個性的じゃないし、
意外と「ねじれて」もいなかったように思うのだ。



【ソフィアはそんなに怪しくない】

物語も後半に入り、2通の遺言状の件が明らかになった。
レオ二デス老の全財産を相続するのは自分であると
あらかじめソフィアが知っていて、
はやく祖父に死んでもらいたくて殺した、
そんなことを一族の者が言い出す局面もあったが、
そのシーンに緊迫感はあんまりなかった。
もしソフィアが犯人だとしても、
ソフィアはそれほど金に困っておらず、
それに、生前の祖父と彼女の関係は、悪くなかったのだ。


 

【真犯人のキャラが納得しにくい】

乳母が犯人なんじゃないかな~とか、まんまと思ってた
わたしなんかにしてみたら、
真犯人は本当に意外すぎる人物だった。
今で言うサイコパス的な器質の持ち主だ。
だからその人物の動機と、したことの重大さの
釣り合いがまったく取れてないことについては、
わたしは納得できた。
ただ、あの一族のなかに突如として
この真犯人のような器質の持ち主があらわれた、
その点については納得しにくい。
先に述べたが、一族の面々は案外そんなにねじれてないのだ。
あの一族にしてこの犯人あり、と思わせる、
つまりもっと、血縁や遺伝の問題とかこつけて
おおげさに描き出してしかるべきだったのでは。
サイコパスと言われるような社会病質性に
遺伝やらは関係ない、という考えが
たぶん現在では一般的だと思うんだけど、
アガサ・クリスティー当時はどうだったか。
せっかく、女史お得意の「ドロドロ一族」ものなのだから
その設定を利用しても良かったんじゃないかな。
つまり、あのような人物を犯人とするならば
やはりその血縁の者たちをもっともっと
「ヤバイ」かんじのキャラクターとして
はっきりと描き出すべきだった。


 

【女優の演技には惜しみない拍手を】

ラスト5分は壮絶だった。
ソフィアを演じたステファニー・マティーニ
イーディスを演じたグレン・クローズの演技が
あまりにもすばらしかった。

そもそも、グレン・クローズは局面によって
表情や、まとう雰囲気が別人のように変わった。
ハンティングウェアにさっそうと身を包み、
庭のモグラやなんかを猟銃でバンバン撃ち殺す
そんな型破りな所を見せつけたかと思うと、
いくばくもないおばあちゃんのように、
青白い顔、曲がった腰で、ヨタヨタ階段をのぼっていく。
役者ってスゴイもんだと心から思った。

ソフィアの叫び声はあんまりリアルで
彼女の気持ちが推し量られて、涙ぐんでしまった。
ソフィアの歳の離れた妹ジョセフィンを演じた子も
けっこうよかったと思う。
彼女は幼すぎて、
善とか悪とか論ずる以前の禁忌を
理解していないふしがあり
「愛」と「嫌悪」と「憎悪」と「不満」の分別もついてない。
したがって、およそいかなる意味での「恐怖心」も、ない。
彼女は、「死ぬかもしれない」とか「喪われる」とかいう
「恐怖」を感じてしかるべき場面においても
せいぜい「不都合」「困る」みたいなものしか
感じていないようにみえた。
そう見えるように、ちゃんと演じていた。




【時代設定が原作とちょっと違う】

原作『ねじれた家』は1949年発表みたいだけど
映画の舞台は1950年代に設定されていた。
時代の設定を変更して作ったらしい。
では、チャールズとソフィアが別れた理由についても
原作ではもっと違うエピソードが用意されているんだろうか。
彼らの破局には、時節が深く関係していた。

ストーリー、ミステリーとしての質の側面から
本作を考えると、
わたしが「薄いなー」と思うくらいだから
やっぱり相当「薄かった」かもしれない。
だが、役者さんひとりひとりの演技は光っており、
衣装や調度品も凝っていて、観ていて楽しい映画だった。

昔の女性ってどうしてあんなに
体つきなんかがグラマーに見えるんだろうか。
昔の女性だな、って思う体つきに見えるのは
昔の型の衣装を着けるからなんだろうか。