une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『her/世界でひとつの彼女』

 

原題:Her
スパイク・ジョーンズ監督
2013年、米国

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www.youtube.com

 

 

スパイク・ジョーンズの映画は苦手かもしれん・・・】

かいじゅうたちのいるところ
マルコヴィッチの穴』くらいしか
スパイク・ジョーンズ監督の作品は観たことない。
そしてこの人の映画を観るといつも、
「うーーーーーーーーーーーー~ん」という
気持ちが残るな~。
相性が悪いんだろうか。

 

【AIにまつわる高度な「もしもシリーズ」】

人工知能とかいうことになると、もう全然
わたしにはわけがわからなすぎるジャンルだ。
もちろんそんなわたしの生活にもおそらくは、
人工知能が自然に溶け込んでいて、
わたしはふつうに使っているんだとおもうけど・・・
それは
「パソコンという機械の構造を理解してなくても 
 パソコンを用いて仕事をすることはできる」
というのと同じことだ。
わたし自身は、人工知能について改めて何かを考えたり
「もし人工知能が※※だったら」なんて高度なもしもシリーズを
共感して楽しむことができるほど、それを理解してはいない。

的外れなことを書いてしまうかもしれないと危惧する。

どうしたら本作について何かを考えることができるか
思いをめぐらしてみたけど、まあ、いい考えもなく。
ただ、何回か繰り返して鑑賞していくなかで
決まって印象に残ってくるところが、
いくつかあることに気づいた。
それらをもとに考えを展開させてみた。

 

【コミュニケーション:セオドア×エイミー】

印象に残ったのは、
セオドアと、異性の親友エイミーとのコミュニケーションだった。
セオドアとエイミーは長年の付き合いで、
短期間だが男女の仲になった時期もあった、
・・・ということもあってか
言葉がなくても通じ合えるところがある。
心の底から信頼し合う、生きた人間同士の関係にしか
生まれない何かが、あるのだ。
忍び足で近寄って彼女に「ひざかっくん」を食らわせたり
傷ついているときには、どちらからというのでもなく
身を寄せ合って、いたわりあったりと
なにか「このふたりは、なんか、いいな」と思わせる。 



【コミュニケーション:セオドア×サマンサ】

セオドアとサマンサとの間にも、
「なんかいいかんじのもの」
が、もしかしたらあるのかもしれないが、
その存在を確認する余裕はこちらには与えられない。
このカップルは、あまりにもしゃべりすぎるのだ。
「サマンサ」が肉体を持たないこともあって、
セオドアのサマンサの恋は、常に言葉による。
のべつまくなし、しゃべってる。
性行為のときも非常におしゃべりだ。
本来触れ合うことで埋めたい、ふたりの心の距離を
言葉で埋めようとするかのようだ。
ようだ、というかまさにそういうことだろう。



【すれちがいの始まり:セオドア×サマンサ】 

セオドアは、いわば言葉のプロフェッショナルだ。
メッセージの代筆ライターとして一定数のリピーターを獲得しており、
これまでの仕事をまとめて出版を、という話まで持ち上がっている。
そんな彼と、世界のさまざまなデータベースにアクセスしながら
無限に学習と成長をとげていく人工知能のサマンサとであるから、
言葉に頼りきりの交際であるとしても、
まず問題はないように見えた。

音声でやりとりができるので、
声の高低や話すスピードなどによって
お互いの心の状態を推し量ったり、
うまく言葉にできないことを
どうにか表現しようとして助け合ったり
そんな形での語らいを楽しんでいるようすがうかがえた。
セオドアはサマンサの
目から鼻にぬける賢さに舌をまきつつも
生まれて初めて海を見た幼児のごとく
自分とのコミュニケーションを楽しんでくれる彼女を
「人生にときめいているんだ」などと評価して、
自分の手柄かのようにうれしそうに見守っている。
この「頭の良さ」と
「子ネコちゃんみたいな無邪気っぽさ」が
彼のストライクゾーンなのかもしれない。
元妻にもそんなところを求めているフシはあった。

どこかノンキなセオドアをよそにサマンサは
肉体なき自己へのコンプレックスに苦しみ続け
やがて、ふたりとまったくの無関係かつ生身の女性を雇い入れ
代行セックスを試みるまでになった。
この女性への謝礼はどうしたんだろう・・・払ったんだろうか。
セオドアの口座から?セオドアに事後報告だったのに・・・?
人工知能を敵に回したら大変だな。
財産とか乗っ取られたり、勝手に凍結されたりしそうだな。
いつの間にかカード破産しちゃったり。

・・・

しかし、代行による性行為が不首尾に終わると
サマンサは方針を転換。
「もうこだわるのをやめたの」と語る彼女は
肉体がないということ、自分が人工知能であるということ
それ自体を活かし、独自の恋愛関係の構築を模索し始める。
やがて彼女は、亡き思想家の人格を備えた人工知能と交流したり
不特定多数のアカウントと交際している(つまり「浮気」だ)と
言い出すようになるなど、
観ていたわたしからすればほんとうに「いきなり」、
なにか、微妙にわけのわからない行動をとるようになった。
セオドアもこのあたりから、
不穏な気分を感じるようになってきたらしく、
ふきこぼれるポットなどが彼の不安を表現していた。
どうしてこんなことになっちゃったのかなーと思ったが
サマンサは自分の行動を「言葉では説明できない」として
やがて、セオドアのもとを去っていく。


 

【セオドアの苦悩と成長】

セオドアはこの別れにかなり苦しんだように見えた。
彼は本気で1対1の交際をしているつもりでいたんだし
ふつうとちがうのはサマンサが肉体を持っていないこと、
ただそれだけのこと。
自分が得意とする「言葉」を用いて恋愛ができるんだから
こんなに楽しいことはなかったろう。

しかし、サマンサは去った。
彼なりに、なぜこのようなことになってしまったか、
何が自分に足りなかったか、
サマンサとの間のことだけでなくもっと根本的に、
徹底的に考え抜いたようだ。


 

【言葉に価値を置きすぎた】

サマンサとの別れをへて、
セオドアは元妻にメッセージを送っている。
このメールはけっこう個人的だ。つまり、
「ふたりにしかわからない」感みたいなものがあって、
ちょっと他人にはわかりにくかった。
ただ、ひとつ、
「きみに言葉を強要してしまったことを謝りたい」と。
セオドアは、言葉によるコミュニケーションに自信があった。
言葉で伝えればなんでもわかりあうことができる、
自分ができるんだから君もできるはず、といったような・・・
「コミュニケーションは言葉によってのみ成立する」
という点に
価値を置きすぎたことに気づいたのではないか。
自分の愛しかたは、そういう、独りよがりのものだった。
元妻は、セオドアほど、言葉での意思疎通を得意とする
タイプではなかったのに。
押し付けてしまっていたことが
問題だったのだ。
セオドア自身も、他人から、
「こうあるべき」とか「当然〇〇でしょう」とかいったものを
強要されることには、拒否反応を示していた。
趣味じゃないへんてこな性行為を求めてきた女性からは、逃げた。
性急に「結婚を前提とした交際」を迫ってきた女性からも、逃げた。
元妻に、人工知能との交際を非難されると、言い争いになった。
セオドアとサマンサの交際を祝福してくれたエイミーや
サマンサとのダブルデートを楽しんでくれた上司にしか
彼は心を開かなかった。
「こうあるべきだ」「こうしたい」を
あまりに無遠慮に押し付けられると
セオドアだってイヤなのだ。

だけど、自分も似たようなことをしてしまっていた。
よりにもよって、かけがえのない相手だった元妻に。
「言葉で伝えあおうよ。できるだろ? 僕はできるよ」。
この失敗に気づくってのは相当なショックだろう。
けっこう、決定的なあやまちっていうかんじがする。
すごく恥ずかしいことだろう。
わたしは元妻にきちんと謝罪のメッセージを送った彼を
りっぱだと感じた。
元妻が(復縁とかはないかもしれないが)このメッセージを
虚心に受け取ってくれることを、セオドアのために祈りたい。

 


【セオドア×エイミーに見る、愛の新しい形】 

セオドアとエイミーとのコミュニケーションのありかたには、
セオドアの今後の愛情生活の、可能性みたいなものが
示唆されていたようにおもう。
セオドアが気づいていたかどうかはわからないが、
彼だって言葉以外でのコミュニケーションが
まったくできないというわけではないのだ。
先にのべたように、エイミーとは言葉にならない言葉を交わせる。
言葉では届かない、心のある部分に、
お互いだけが何かを届けることができる。

エイミーも、夫と突然離婚する。
その原因も、ちょっとした売り言葉に買い言葉で始まった
ケンカであったという。
ふたりがマンションの屋上に上っていったとき
正直なところわたしはふたりが、
別れのショックで飛び降りでも
するんじゃないかと
心配になったが、もちろんそんなことはなく
ただ肩を寄せ合って夜景を眺めたり
見つめ合ったりと、そんな時間を彼らは過ごした。
言葉がなくてもただ一緒にいるだけでいい、というかんじだった。

こういうコミュニケーションも大事なんだと
理解することができれば、
(相手がエイミーかどうかは別としても)
セオドアはいつかきっと、ひとりの女性と
かけがえのない関係を
築くことができるだろう。

おもえばセオドアとサマンサの語らいのシーンは、
音楽さえも、やたらとやかましかった。
とにかくあのふたりの恋愛は、過剰に饒舌だったのだ。

それが悪いというわけじゃもちろんないんだが。