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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『T2 トレインスポッティング』

 

原題:T2 Trainspotting
ダニー・ボイル監督
2017年、英国

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【第1作ふりかえり:お父さんのお姫さまだっこ】

第1作が公開されてから20年も経って続編が!
だいぶ忘れちゃっていたから、先に第1作を観直した。

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マークのお父さんが、退院した息子をだっこして
部屋に運ぶシーンは、
公開当時も今も、思い出深い。
老境にさしかかった肥満気味のおじさんでも、
だっこできるくらいマークが軽いのだ、薬物障害で。
あのときのマークは26歳か27歳の設定だ。
体格やパワーなら父親を凌駕してていい歳のはず。
それが「お姫さまだっこ」で、運んでもらうなんて。
お父さんにとっても、あれは、痛恨事だよね。 

 

【 第2作:全員進歩ナシ、ともあれベグビー!】

 『T2だが。観て良かった。
一層カッコイイ映画になって帰ってきた。
だけどやつら、20年経っても変わっていなかった。
おっさんになっただけじゃないか!
どーすんだ、ヤク中のアル中の仕事はないわの46歳って。
刑務所入っちゃってるのもいるし。
ほんのちょっとでも、進歩しててくれたらねえ。
観てるこっちまでちょっと落ち込んだ。

第1作は、マークとサイモンと「ドラッグ」が、
物語の主軸だったのに対し、
『T2』は、4人それぞれの姿が
均一に観られるよう工夫されていた。
だから全員のことが均一に気になっちゃったけど、
正直に自分の心にもう一度問うてみると
やっぱベグビーだな!

【ベグビー:その選択】

シリーズを通して
「父親」的なるものの存在感が濃いめに漂う映画だ。
ダメ男どもも、50の声を聞く歳となった。
実際に父親になった者も多い。
ダメなりに、一個の男として
人生の落としどころを見出すべき時がやってきた。

ベグビーが、息子を手放すシーンは・・・
彼ら4人の「落としどころ」の、象徴と言って良かった。
ベグビーは、脱獄すると妻子のもとに転がり込み、
最初は強盗なんか手伝わせて、息子をさんざん振り回す。
自分と息子とは別個の人間なんだってことを、
受け入れられなかったんだろう。
だが、息子の将来の可能性に気づくと、精一杯胸をはって
「俺の親父は飲んだくれ。俺は無学だ」。
息子をがっしりと抱きしめ、そして家を出た。
ベグビー涙!! 


ベグビー:敗者の切り札

まあやつらは、全員まぎれもなくバカ野郎なんだけど、
時代も時代だったのでかわいそうなとこもあって。
20代、30代の大事なときを、
深刻な経済不況のただなかで
過ごさざるを得なかった。
みんな自分がつぶれないようにするのに必死だから
人材育成や職業訓練に投資する余裕のある企業とかもなく。
貧しく学もなかった男たちはドラッグや酒や遊びに逃げた。
そういう男たちは
立派なクズに仕上がっちゃって、
いざ景気が回復した今、
職歴も学歴もない彼らに、
社会は居場所なんか用意してくれてない。
人生を切り開くためのカードを、20年前に、
自分でドブに捨てたのだ。
だから・・・
「何かしたい」
「やってみたい」
そんな贅沢な選択肢はもう残ってない。だが、
「これだけはしてはならない」
「こうはなりたくない」
これは残ってる。
ゲームの敗者でも降参する権利だけは奪われない。
「俺は親父と同じになった。
 でも息子に俺の轍は踏ませない」
ベグビーが切ったこのカードこそ、敗者の切り札。
この手だけは、マークたち3人にも
平等に残されているということを、ベグビーは示した

もっとも、マークたちが、自分の持ち札を
もう一度確認してみようかなー?などと
果たして今後思うかどうか・・・
まーあんまり、期待できないかんじもする。


【なぜベグビーにあの役目を任せたか】

第1作の時点で、監督はどこまで構想していたのか。
トレインスポッティング』には原作小説があるし
読んでいないわたしには、そこは判断できない。
けど、やつらのなかで、ほかならぬベグビーに
このような役回りを任せることを
いつから決めていたのか。

思い返せば最初から、
あの連中のなかでベグビーだけが、
ドラッグをやらないキャラだ。
酒は飲むけどドラッグはやらない。
彼をヤク中にしないでおいた
(≠正常な判断ができる可能性を残した)のは、
あの連中の希望を、彼に託すつもりだったからなのかな。
まあ、刑務所に舞い戻っちゃったんだけども、希望の光。

ドラッグを絶対やらなかったベグビーが
バイアグラには手を出した、ってのは
考えてみれば相当重大な事件だね。
よりにもよってマークに薬を見られて、
からかわれていたしね。


私見:ベグビーはゲイなのか

バイアグラで思い出したんだけど
ストーリーの根幹とは関係ないにせよ、
ベグビーのことではもうひとつ、気になる。
第1作のとき、ベグビー役のロバート・カーライル
ダニー・ボイル監督が、
「ベグビーはゲイかもしれない」という裏設定を
ほのめかしていた、って聞いた。

映画のなかで語られないから、わからないけど
わたしは最初はその説には懐疑的だった。
こう言ってはなんなのだが、ゲイなら、
刑務所の方が本人にとっては好ましい環境ではないのか。
周りが全員男性だ。好きな相手を見つけやすい。
それがなぜ危険を冒してまで妻の元に戻ったのかと。
でも、今は違うことを思っている。
ベグビー自身が、
「俺はゲイ」と認めているかどうかによっても
話が変わるということに気づいた。
自分の同性愛傾向を完全に受け入れていれば、
出会いの確率がアップする場所を求めるだろう。
男性も女性もいろんな人がいるシャバよりは
男性だけの刑務所の方が、という考え方がありえる。
でも、潜在的な傾向を感じつつも
本人が認めたくない、ってこともあると思う。
もしそうだとしたならば・・・
認めたくないからこそ、刑務所から早く出たかったのかも。
おのれの同性愛傾向が顕在化する危険のある場所だから。
妻の元に戻って誰よりもまず自分に証明したかった。
俺はゲイじゃないと。
ベグビーが、出所をあれほど焦った理由の
つじつまが合ってくるように思う、
彼が秘密を胸に秘めていると考えた方が。
でも、だとしたら刑務所に戻ることになってしまって
ベグビーにはちょっと酷だったかもね。

みじめな罪人のマークたちに、
罪人なりの落とし前の付け方を示し
しかもその身ひとつで罪を贖った・・・なんて
言いようによっちゃあ、イエスさまみたいだね、
ベグビー。
言い過ぎか・・・。