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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

「キングスマン」

 

原題:Kingsman: The Secret Service
マシュー・ヴォーン監督
2015年、英・米合作

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昨年、これを観ないでいきなり第2作の
キングスマン:ゴールデンサークル」を観た。
それでも十分おもしろかったんだけど、
やはり第1作を観て初めてわかったことは多かった。
「なるほどそれで北欧のお姫さまなんかと付き合ってたのか」
「パグ飼ってるのはだからなのか」
「チャーリーしぶといなあ」
「ハリーとの出会いはそういうことか」・・・

 

【「英国産」と「ハリウッド産」】

どこがどうとはっきり言えるわけじゃないのだが
本作が厳密には おなじみの「ハリウッド映画」ではない
と、なんでか確実に感じ取る、そんな自分がおもしろかった。
英国産の本作は「ハリウッド映画」と比べて
ユーモアの感覚が何かちょっと「ぺっとり」してる。
(ディナーがマックのハンバーガー、とか笑)
アクションがゆったりとして流麗だ。
(長身でがっしりしたハリーがスーツ姿で戦うと本当に優雅)
それから役者の人相もなんか違う。
序盤でエグジーを尋問した刑事なんか、
鼻も口もひん曲がってて、いかにもケチで陰険そう。
どこの風刺マンガから飛び出してきたんだ。
ああいう顔はハリウッド映画ではついぞ見ない。
でもこういうのは本当にただの個人的な印象で、
客観的な証明はできそうにない。
だが、「メイドイン・イングランドだな」となぜだか思うのだ。
それがおもしろい。


【音楽が凝ってるね】

選曲のセンスが光る作品でもある。
一番、ああうまいことやるね、って思ったのは
米国南部の過激派キリスト教会における「ハリー無双」シーンだ。
レーナード・スキナードの「フリーバード」だ。
フォレスト・ガンプ」でも使われていたから覚えてる。

But if stayed here with you,girl,
Things just couldn't be the same.
'cause I'm as free as a bird now…

Bye bye,baby,it's been a sweet love…

おれは鳥のように自由だから
ひとつところにいられない、
行かなくちゃいけないんだ、さよなら恋人よ・・・

「自由への賛歌」であり、「旅立ち」の歌でもある。
米国サザンロックの代表格を
この場面にぶっつけるセンスはスゴイ。
それに、このバトルシーンの直後、
ハリーは死ぬ。
楽曲の背景だけでなく、歌詞の内容も考えて選んだことがわかる。

【エグジーはハリーを信用しすぎ?】

エグジーがハリーに信頼を寄せていく過程は、異様にスムーズだ。
「会ったばかりの人のことそんなにスルスル信じちゃうの?」
って思うくらい、展開が早い。
冷めた目で観てるとちょっと拍子抜けなほどだ。

でも、納得できないことはない。
エグジーにとってのハリーのような存在を「メンター」と呼ぶ。
エグジーは、「メンター」になってくれる人を待ち焦がれていた。
その願望はとても強かった。なのに長年叶えられなかった。だから、
「メンター」になってくれる可能性のある人物=ハリーと出会えたとき、
全幅の信頼を捧げることへの抵抗感は、ゼロだった。
そう解釈することができる。


【エグジー:メンターたる存在への渇望】

若者にとって、信頼できる大人との関わりって、大事だ。
そして、エグジーの周りに彼の信頼に見合う大人がいなかったことは、
映画の序盤を観てれば明らかだ。
父親はすでにない。母の再婚相手はクズ野郎。
つるむのは同年代、境遇も学歴も似たり寄ったりのやつらばかりだ。

英国は、峻烈な階級社会って聞く。
エグジーは労働者階級、しかも低所得で、
生活能力の乏しい親の子だ。

「生まれや育ちがなんだ。努力して這い上がり、
 そんな所、おん出てやればいいじゃないか」
こりゃ正論だが、

実際にその環境で生きる若者には響きにくい言葉だと思う。
「努力で這い上がる」って言うけど、具体的には?
方法を教えてくれる人が必要なのだ。
エグジーはその人を心のどこかでずっと待っていた。


【エグジー:服装に見るメンタリティ】

みじめな「負け組」の毎日に倦みつつも、
でもまだやっぱりあきらめきれないエグジーの心を
彼の服装が如実にあらわしていたと思う。
20代後半ってところだろうけど、それにしちゃ服装が子どもっぽい。
上着の腕の丈が合ってないし、帽子のかぶり方も幼い。
体格が大人だけに実にみっともない。
「こんなクソな人生のままなら大人になんてなりたくない」
(「クソな人生でなくなるなら今すぐにも大人になりたい」)
あの幼稚なファッションは、叫び散らす声も涸れてしまったエグジー
最後のSOSのように受け取れる。
時機を逃せば、つぼみのまま腐る、花のようなものだ。
ハリーに外からつっつかれて、エグジーは即、花開いた。



【ハリー:その死が新エージェントを誕生させる】

ハリーとエグジーの師弟関係は短期間のうちに断絶した。
ハリーが死んだからだ。
エグジーにはショックな事件だ。

だが、メンターの死が起爆剤となって、エグジーは爆発的に、
エージェントとして大人として、完成していくこととなった。
ハリーと出会う前のエグジーは服装が幼かったと述べたけど、
敵との戦いを前に、オーダーメイドのスーツを着こなして現れた彼は
別人のように凛々しかった。


【ハリー:「Manners maketh man」】

 ハリーの名ゼリフ
「Manners maketh man(マナーが人をつくる)」
拡大解釈すれば
・・・同じいなくなるにしても、いなくなるにあたっての
適切な「作法/Manners」というものがある。
「作法」を押さえて去るならば、
それは決して不名誉な撤退に終わらない。
自分に続く優秀な後進/man を輩出する契機となる。

・・・

ハリーは、エグジーが、エージェント養成訓練の
最終試験に失敗したことを嘆いていた。

ハリーの生前には、エグジー
教官の期待するレベルに到達できなかったのだ。
エグジーが最終的なジャンプアップを果たしたのは、
ハリーの死後だ。

「エグジーはハリーの期待に応えるが、
 その形がハリーの期待通りとは限らない」
このことは、物語の最初の方で、すでに示唆されていた。
ハリーが、エグジーに映画の話をするシーンだ。
「人の価値は家柄や学歴で決まるのではない」
ということを説明するために
「大逆転」「プリティ・ウーマン」などの映画を引き合いにだす。
サクセスストーリー、シンデレラストーリーのド定番だ。
若いエグジーが観ていそうなものを、ハリーなりに考えたんだろう。
エグジーはそのどれも知らなかった。
だがハリーの解説を聞いてすぐさま
「『マイ・フェア・レディ』みたいに?」。
1964年、「プリティ・ウーマン」より30年近く前の映画だ。
だが、ハリーが挙げた他のどの作品よりも的確に
エグジーに伝えたいことを描き出した作品と言える。
英国を舞台に、粗野な女の子が年長の学者の薫陶を受けて
一人前のレディへと成長していく・・・という物語だから。
ハリーは「(他のは知らないのに)それは観たのか・・・」と
明らかにちょっと驚いた顔を見せた。
確かにエグジーが、その暮らしのどんな文脈で
マイ・フェア・レディ」なんか観たのか、謎だ。
このシーンは、穿った観かたをする場合、けっこう示唆的だ。
ハリーは、エグジー自身よりもエグジーを知っているかのように
適切な指導をするメンターだった。でも、そのハリーでも
エグジーの何もかもを理解していたわけじゃない。
このくらいは知っていてほしいと思うことは全然知らないけど、
なんでそんなこと知ってるんだ?みたいなことを
いつの間にか知ってる。

想定を飛び越えたところで何かをやらかす、
可能性を秘めた教え子だったのだ。

ハリーはだから、己の死さえもエグジーの糧になりえることを、
心のどこかで意識していたんじゃないかと思う。

 

【欲を言うなら:エグジーのポテンシャル】

エグジーの潜在能力が元もと極めて高い、という設定を
いくつかのエピソードで、申し訳程度に説明していたが、
そこはもうちょっと、詳しくやってくれても良かった。
パルクールのようなテクニックでチンピラをまくシーンは、
身体能力の高さや敏捷性をうまく表現してて、おもしろかったが。
「小学校の成績が優秀だった」というデータくらいで、
「知力の高さ」に説得力を加えようとしたのは、
ちょっとムリがあった。
高校までは学年1位だった、なら、まだわかるのだが。
・・・とはいえ、英国の学校教育のカリキュラムを
知っているわけじゃないから、何とも言えない。
本当に想像を絶するほどの階級社会と聞いてるし・・・
エグジーのような生育環境の子では、
「高校までは学年トップ」という設定にできない
事情、とかがあったんだろうか。
・・・でもまあこういったことは、欲を言えばといった程度で、
トータルで見ると、すごく楽しい映画だったと感じる。
普通にゲラゲラ笑って観ていられるが
理想的な師弟愛と、それが実を結んでいくまでの経緯が
しっかり描かれていた。

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お絵描き中。