une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

バスキア展によせて-映画「バスキアのすべて」

 

原題:Jean Michel Basquiat: The Radiant Child
タムラ・デイヴィス監督
2012年、米

www.youtube.com

www.youtube.com


【繰り返し観て楽しめた】

音楽と映像が効果的に用いられた導入部だった。
80年代ニューヨークの社会情勢とアートシーンの活気が
言葉で解説されるよりもずっとすんなりと想像できた。
インタビューパートには興味津々。
バスキアと本当に親しい間柄だった人たちならではの
貴重なエピソードが、惜しみなく披露されていた。

同じできごとでも、証言者によってとらえ方が異なった。
例えばアンディ・ウォーホルとの関係。
バスキアはアンディと出会ったせいで変わってしまった」
と言う人もいれば
「アンディがバスキアを気にかけてくれるので安心だった」
と言う人もいた。
戸惑ったけど、立場が違えば見え方も違うのが人間なのだ。
こうした証言の食い違いを、変にいじることなく、
食い違ったまま、見せてくれたのは良かった。
おかげで、最後にはバスキアという人物を、
かなり多面的にとらえられた気になれた。

ただし、とらえられた気になれたのはあくまでも人物像。
アーティストとしてのバスキアのことは、
わかったとか、とらえたとか、言えるはずもない。
容易に理解できない。理解できたことはそれだけだ。

 


【直観像素質者か】

ただ、アーティストとしてのバスキアに関する証言で、
以下には強く興味をひかれた。

「描くのが非常に速かった」
「記憶の中のあらゆるものに、
 自在にアクセスできる能力があった。
 体を通してそれらを引き出し、
 カンバスや紙の上に表現した」
「どこで身につけたのか博識だった」
「憧れる画家の作品を引用したものが多い」
「コピーではなく完全な改作を即興で創り出す」
「彼は言った。
『人の影響といってもいわゆる影響とは違うものだ。
 誰かの発想が僕の新しい思考を通り抜けるんだ』」
それからバロウズカットアップ技法、
ビバップキュビズムのエッセンスの吸収。
・・・
こんなことは、専門家が先刻指摘済みなんだろうけど、
直観像素質だったのでは?

幼少の頃に遭遇した自動車事故の記憶が
作品のなかで幾度も再現される。
一般的な生活のなかで誰でも触れられるとは思えないもの
・・・ラテン語の文言や、古代文明の遺物が
頻繁にモチーフとなる。
それから、人体解剖図。
幼い頃に解剖学の本を読みふけったらしいのだが。
手を変え品を変え、制作年を隔てて、繰り返し、
はっきりそれとわかるものが、作品上に姿をあらわす。
教養の裏付けなくしては盛り込めないものばかりが。
でも、思うんだけど、
バスキアはそれらをいちいち勉強してから描いていたのか?
わたしの印象では、彼はそういうタイプではない。
バスキアのすべて』では、
制作に取り組むバスキアの姿が観られた。
一気呵成だ。速く、強く、リズムがあり、迷わない。
あの描き方は、
「『マルクス・アウレリウス』はラテン語でどう書くかな」
なんて丁寧に辞書を引くイメージとは、結びつかない。
ただ知っていたから描いた、としか思えないのだ。

多くの支援者に囲まれていたバスキアにも関わらず、
その制作前のリサーチや構想段階に関する
具体的な証言がなかったのも気になる。
もし知っていたら誰かが話してくれそうなものだ。
「彼はあの絵を描く前にこんなことを調べていたよ」
「この図鑑を買って欲しいと頼まれたことがあった」
なのに、
「どこで身につけたのか博識だった」
「普通よりも教育環境に恵まれていたんでしょうね」
「どこで身につけたのか」「~でしょうね」。
このフワッと感ときたらどうだろう。
知らなかったから話せなかったのではないか、
バスキアの作品がどこからどうやって生まれていたかを。

わたしは、
「知っていたから描いた」としか思えない。
想像するに、バスキアは、
いつか見たもの、聞いたこと、読んだものを
そっくりそのまま記憶し、いつでも引き出せる能力、
直観像素質を備えていたのでは。



【ナイーブな性格だったのか?】

死の数年前くらいからのバスキアの心が気になる。
ジュリアン・シュナーベル
バスキア』(1996年)を観た時は、
ナイーブな人だったんだなあ、と。
イヤなことを人から言われたりされたりしても、
その場はヘラヘラして、平気そうな顔なんだけど、
実はずっと引きずって、いつまでも立ち直れない、
生来、傷付きやすく繊細な性格。そんな感じだと思った。
だけど、『バスキアのすべて』を観たことで
イメージが変わった。

バスキアは、たくましい所もちゃんと備えていた。
ムカつくことには憤然と抗議し、立場を守ろうと闘った。
そんな、怒れるバスキアのエピソードが、
デビュー前後あたりの証言に特に多く見られた。
思うに、心身ともに充実していた時には、
多少イヤなことがあっても踏ん張りがきいたのだろう。
若かったし、クスリはやっていたがまだ体調は悪くなく、
描きたいものがあり、夢に野心に燃えていて、
うじうじしているヒマはなかった。

でも、誰でもそうだが、
普段は何でもないことが、妙に骨身にこたえる時がある。
心か体、またはその両方が参っている時だ。

怒りっぽくなる。疑り深くなる。
メディアの反応にやたらとピリピリする。
親に冷たくされたくらいで何日もふさぎ込む。
あんなに慕ったアンディ・ウォーホルと縁を切る。
誰もがある程度「たしなんだ」時代に、
「え、そんなに?」と引かれるレベルで薬物にのめり込む。
これらはみんな、死の数年前あたりのエピソードだ。
バスキアは、参ってしまっていたんじゃないか。
疲れていると些細なことがこたえる、
これ自体は誰にでもあることで、ごく普通だ。
バスキアもそうで、彼の傷つきやすく繊細な所は、
彼が参っていたからこそ顕著に出たに過ぎず、
生来どうしようもなくそういう性格、ってわけじゃ
なかったんだと思う。



【何がバスキアを疲弊させたか】

10代の頃からやっていたらしい薬物が、
少しずつバスキアを削っていたことは確かだろう。
それから人種差別。
厳格な父との関係。
精神を病んだ母への思い。
スターになって常に大勢の人に囲まれる生活となり、
何でも気ままに、というわけにはいかなくなったこと。
有名になった彼にタカろうと寄ってくる有象無象。
バスキアが参っていったことの背景に、
この辺は当然、ありえそうだ。
証言者たちも、だいたい似たようなことを挙げて
さまざまに推測していた。
いずれも、それなりにもっとも、という感じだった。
だが、バスキアはもういない。
はっきりとはわからない。



【才能の下僕としてしか生きられない】

「人生をコントロールできる」と考えたことが、
破滅を加速させたのかなと、ちょっと思った。

バスキアの主体はバスキアではなく、
才能の方だったのではないか。
才能がご主人さま、バスキアはその乗り物。
バスキアが、才能さまを載せて走り切るだけの
頑丈なボディや、無尽蔵の燃料を積んでいなくても、
才能さまにとってはそんなことは関係ない。
バスキアに最良の道を探索させて、見つかったら、
バスキアが燃え尽きるまで、最高速度でただ走るのだ。
命の燃やし方を、あらかじめ決められていた。
でも当然のことながら、バスキアは人間だから、
自分の人生をコントロールできると考えたはずだ。
他のみんながそうしている(ように見える)ように。
だが彼みたいに「使命」みたいなものを与えられて
生を受けた系の人は、なかなか・・・。
コントロールとかそういう問題じゃないというか。
ムリだと思うのだ。

死の直前のバスキアは、
ロサンゼルスに滞在していた。
くつろげるので気に入っていたそうだ。
なのになぜか、刺激と喧騒のニューヨークに戻った。
なじみの画廊経営者に、仕事をしたいと連絡を入れて。
だが、間もなくこの世を去った。

ニューヨークには、自分で決めて戻ったのだろう。
でも、彼の意思だったとは言えない、とわたしは思う。
体調と相談しながらゆっくり描くなら、
断然ロサンゼルスだと、わかるはずだった。
彼のご主人さまであるところの「才能」が
最前線のニューヨークへと突き動かした、と
思われてならない。

うまく説明できそうにない。
才能の下僕として生きることを宿命付けられたとしか
思えない感じの人が、ごくまれにいる。
そういう人は、
自由意思でやっているつもりだが制御できない。
周りがうまく管理してやろうと思っても困難だ。
炎を吸い上げながら驀進する竜巻のようなもの。
終わる時は、消える時だ。止められない。
バスキアはそれだったのかもしれない。
わたしはそう考えている。

f:id:york8188:20191018232043j:plain

お絵描き中。