une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『存在のない子供たち』

 

原題:کفرناحوم
英題:Capernaum
ナディーン・ラバキー監督
2018年、レバノン

f:id:york8188:20200411014914j:plain

www.youtube.com

「Capernaum カペナウム」については
Wikiなどでなんとなく知れる。

ja.wikipedia.org

 

予告編をご覧になって、
「ああ、そういう感じのやつねハイハイ」
ってお思いになる方もいるかもしれない。
でも、そういう方ほど、
ここはひとつ騙されたと思って
観に行っていただきたいな、
というのが、わたしの願いだ。



【筋肉質】

ゼインが、12歳にしては
あまりに体が小さくて細いので、驚いた。
妹の方が背が高くふっくらしてたせいもあり
お兄ちゃんというのがにわかに信じがたかった。

そして、小ささよりも細さよりも何よりも
どこか骨がしっかりしているというか、
「筋肉質」であることに気づいて、ハッとした。
あの年齢で、もう働いているからだろう。

 

 

【妹の死】

ゼインの妹は、初潮を迎えるとすぐに、
はるか年上の男のもとに嫁がされ、
しかも、ほどなくして亡くなる。
転落死かなにか・・・、事故死と語られていた。
推測だが、あまりに幼いうちに結婚させられ、
性行為までも要求されたことによるショックが、
その死の遠因となったのではなかったか。

ただ、強制結婚なんてひどい! 口減らしだ!
とは、事情を知らないから言えることだ。
そのことを思い出しながら、観た。
以下は、石井光太などのルポの受け売りに過ぎないが、
貧しい家の小さい子は、犯罪の餌食になりやすい。
食うや食わずの生活では、命も落としかねない。
そこで(女の子であれば)環境を変えてやる手立てとして
少しでも良い家に、早く嫁がせよう、ということになる。
経済的に余裕のある家に入ることができれば、生活に困らない。
性交渉をする相手が配偶者に絞られれば、
感染症などにかかる確率がいくらか下がる。
貧しい親が子どもにできる精一杯、という感じだ。

www.shinchosha.co.jp




【泣きたいのはこっちよ、という親】

親が出生届を出さなかったためにIDがなく
法的にこの世に存在しないことになっている。
就業、教育、医療、旅行、・・・
社会生活のあらゆる場面で差し障る。
IDがない! 最悪の事実を初めて知らされ、
取り乱すゼインの姿を見るのはつらかった。

息子に告訴された両親は泣いていた。
じゃあいったいどうすれば良かったんですか。
わたしたちだっていろいろ苦労してるんです。
どうしてこんなに言われなくちゃならないの。

「こう主張する権利があると本気で信じているんだな」
「だとしたらこの人たちに何を言っても伝わらないな」
的な、オーソドックスな途方もなさももちろん感じたが、
「確かに突き詰めれば、
 『この人たちのせいで』とか
 『親の責任』とかいう単純な問題ではない」
そこにぶち当たったとき、頭がクラクラした。

 

 

【『ゴキブリマン(仮)』は絶望の象徴か】

バスで出会ったおじいさん。
スパイダーマン」みたいな、かぶりもの姿だ。
彼を見つめるゼインの表情といったらなかった。
なんだろうな。あの目。
少年らしい、ヒーローへのあこがれ。
いや、もっと切実な、哀願にも似た思い。
でも、たしかスパイダーマンじゃなく
「ゴキブリマン」なんだって言ってたな。
ニセモノなのだ。一目でわかるが。
助けてくれるヒーローなんていない。
そんな絶望の象徴としてのゴキブリマンなのか。

でも、ゴキブリマンはヒーローだ。
オーバーステイの女性に助力した。
頼まれて、保証人を演じたのだ。
バレてしまったが、助けようとはしてくれた。
彼も、叩けばホコリは出る人みたいだった。
面倒ごとに関わりたくないと、断ることもできたのに、
関わろうとしてくれた。そこに注目すべきだろう。

助けて、と誰かが言ってきたら、
とりあえず立ち止まって話を聞き、
できることがあればやろうとする、
それだけで誰もがヒーローなのだ。
というか、それができる人がいない世界に
ヒーローなど現れるはずもないということだ。
ゴキブリマンが体現していたのは、
絶望ではなくその逆のものだろう。

 

 

【顔も見たくない】

「人の心を持ってないの? もう顔も見たくない」
母がまた身ごもったと知って、ゼインは言い放った。
小さな声だった。怒りは悲しみをおびて伝わった。

ご両親ももう、子どもを作らないんじゃないかな。
判事にそうなだめられたが、
「おなかの中の子は? 生まれてくるでしょ?
 その子はどうなるの?」
判事は答えることができない。

無計画でその場しのぎな大人たちに、ゼインは冷たい。
これだけ言ってもどうせ伝わらない、ということを
心のどこかでわかっているからじゃないか。

 

【ラストシーン】

愛を受け取れなかったのに、愛が何かを知っていて、
「受け取れない悲しみ」の連鎖を食い止めようとする。
心すこやかなゼインという少年がいとおしかった。
ラストシーンの微笑みを見たときには、
何だかたまらなくなって、涙が出た。
この映画を観て、自分がそんな反応を示すとは
予想もしてなかった。
裁判の結果、IDの発行を受けられることとなったらしく
(おそらく特例ということだろう)
証明写真の、撮影のシーンだった。
たしか、カメラマンが
「さあ、笑って。死亡届の写真じゃないんだからね」
みたいな冗談を飛ばしたのだ。
(「遺影じゃないんだからね」とかだったかも。
 何かそういう、「死」に絡める悪い軽口だった)
それでゼインはちょっと首をかしげ、笑ってみせる。
劇中で、ゼインが笑うシーンなんてほとんどなかっただけに、
その可愛らしさときたら、ウっと胸が詰まる感じがしたほどだ。

だが、ゼインの笑顔が少しずつ拡大され、
こちらに迫ってくるカットで、映画は幕を閉じた。
それで、わたしも思うところがあった。
あのカットがもしなかったら、
こんなことわたしも考えなかったと思うんだけど。
ゼインは劇中で、何度も求められていたのだ。
彼が誰だかを証明する書類を。
そしてこうも言われる。
「IDがあれば、そんなのすぐさ。持って来いよ」。
手続きが大事なのはわかるんだけど・・・。
でもそうじゃないんじゃないか。
ゼインに本当に必要だったものは。
みんな、聞く耳を持たなかった。
何に苦しんでいるのか、何を怒っているのか、
どうして欲しいのか。何をしてやれるのか。
あの子の心の叫びに耳を傾けた者はいなかった。
それより手続きだった。ID、ID。
ゼインが置かれた環境が持つ、この体質こそ
ゼインを苦しめたものの正体なんじゃないかと。

せっかく書類を作ってもらえることになったのに、
うながされるまでゼインの表情が晴れなかったのは、
どうしてなのか。
欲しかったのは証明書だけど、
求めてやまないのは、もっと他のものだからだろう。
それに、ゼインはわかっているのだ。
実のところこれでは根本的な解決にならないことも、
自分が本当に欲しいものは得られそうにないことも。

あの証明写真のゼインと目が合ったとき、
こみあげてきたのは「ゼイン、良かったね」
の涙ではなかった。
「本当にこれで良かったのだと、思いますか?」
投げかけられたその問いに、
YESと答えられそうにないことへの、
耐えがたい恥ずかしさだったと思う。