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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『アヒルの子』

小野さやか 監督
2010年、日本
ドキュメンタリー映画

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あえて言葉にするならば、小野さやかは第一に、
「愛されていること」を確認するために
闘っているつもりだったんだろう。
「(あなたが自死をしたら、お母さんは)一生苦しむよ」
そう言う母に、良いじゃない、苦しめば、と
憎まれ口をたたく姿・・・を始めとする多くのシーンが
わたしにそう感じさせた。
相手を怒らせるようなことをわざとして反応を見て
「それでもわたしは愛を受け取ることができる」と
確かめたいのだと。
子どものやりくちと言って差し支えない。
小野さやかが幼く見えたことは、事実だ。
闘いのなかで出会う多くの人びとと比べても、
彼女の幼稚さは突出していたと思う。
身ぶり手ぶりで一生懸命話すものの言葉がついてこない所とか、
四六時中泣いている所とか、幼く見えるポイントだった。
小野が「愛を確認すること」を渇望していたことは、
一面として間違いのない所だと思う。

だけど反面、この闘いの記録のなかにおける小野ほど
「愛している」と叫びまくる人をわたしは知らなかった。
臆面もなくママ大好き~!!みたいに叫ぶ人間を
他に見たことがあるとすれば、赤ちゃん、幼児だ。

もし小野が本当にとにかく
5歳の時に一方的に破棄された愛の約束を
もう一度取り結びたい、そのためだけに
家族に挑みかかったなら、
わたしは、観ててイライラしたに違いない。
自分は相手に何ひとつ提供していないくせに、
もらうものは、いっちょまえにもらおうとする、
してもらった数々のことはきれいに忘れ、
やれ過去に何をされた言われたと被害者ヅラ。
こうした子どもの特権を大人になってもふりかざす、
それはそのまま、わたし自身の姿であるから。

でも、小野さやかは、
言ってみれば、病める家族を救い出すために
みずから狂乱の場を演じようとした人だった。
つまり家族をそれだけ大切に思っているのだ。
憎いだけの、顔も見たくない家族なら、
距離をとって死ぬまで会わない、それで解決だ。
それを、小野はむしろ進んで家族の元に突進していく。
体当たりして、もし壊れればそれまで、その程度の関係、
そう割り切っていたかどうかはわからないが、
この闘いが小野の命を賭けたものであることは明白だった。
愛しているということだ。
思うに、小野の家族が、難色を示しつつも最終的に
映画の公開に同意したというのも、
小野がしたことの意味を、彼らなりに呑み込んでの
ことだったのでは。

先に結論じみたことを言ってしまう感じになる。
多分、繰り広げられたこの死闘のなかでは、
小野は自身期待したほどには救われなかっただろう。
どんなにぶつかっても叫んでもいまいち響かない、
そんなモヤモヤが残ったまま、闘いを終えたろう。
彼女の母は、ある超越的イデオロギーを信奉するあまり、
そこから離れた自分自身の心を、語ることができない人だ。
父は、教育熱心で頼りがいがありそうだが、
一方で支配的、かつやや独善的な所のある人。
(彼が経営する会社の『朝礼』の様子や
 娘に凄む様子に、その人柄が垣間見えた)
こういう感じであるから、真っ当にぶつかっていっても、
期待したリアクションは得られなかったと見られるのだ。
だが、
本当の救済は、この映画が人の心に触れるその時にこそ発動する。
また、小野さやかの両親と兄姉は、
たいがいの家族が程度・内容の差こそあれ病んでいるように、
自分たちもまた、ある意味で病んでいるのだ・・・ということに、
映画が公開されるそのたび、思いをいたすことになるだろう。
(もっとも、家族が住む地域周辺では、
 映画を公開しない約束になっていると聞いたが)

舞台あいさつにおいて、監督が話していた。
「発表して10年になるが、今観ても、
 家族を深く傷つけてしまったのだ、と思う」
※もちろん他にも多くの話が聞けたが、ここでは特に
 わたしの印象に残った部分を抽出して記している。
10年経とうが、片付かない問題があるんだろう。
だけど、大事なことでも放っておくとすぐ忘れるのが、人だ。
楔を打ってでも留めておくべきものがあったからこそ、
この映画が撮られた、と考えなくてはならない。

「家族」とはイコール「愛」なんだろうな。
愛の視座なくして、家族を語ることは難しい。

5歳の時のある決定的な体験から
「良い子でいないと、また棄てられる」
という差し迫った思いに苛まれるようになったとのこと。
・・・こう言っては何だが、話はそう単純じゃないだろう。
1年間の別居生活から親元に帰った時、
家族の自分への接し方が、前と何ら変わらず温かいことに、
幼かったとはいえ当時の小野は気づいたのではないか。
あの別居が「罰」だったわけではないことも、
まして「棄てられた」わけではないことも、
理解するのにそう時間がかかったとは思えない。
遺恨は、一度のできごとで生まれたのではないと思う。
長い年月のなかでいくつか起こった家庭の事件が、
5歳時の体験で傷付いた小野の心に追い打ちをかけ、
最終的に
「わたしの価値を、勝手に見積もられた」
「『こういう風に扱っても良い奴だ』と思われた」
(またはこれに似た)という屈辱感をもたらしたのでは。
長兄による性的虐待も、小野の心にこうしたひどい
「自分の価値をゼロにされた」感覚を刻み付ける、
格好の契機となったろう。

末っ子は可愛がられるものだ。
わたしも、自分の末の弟が可愛い。
これが親なら、たぶん誰でも
「願わくはいつまでも、
 わたしたちの可愛い末娘であって欲しい」
そんな、ささやかな夢想をするものだと思う。
普通だ。どこのお宅にもありえる。

幼かった小野さやか自身、
時には末っ子特権を活用していたろう。
わたしが良い子で可愛くいると、みんな笑うし、
だっこしてもらえるから、良い子でいようっと!
そんな感じで「役割」を買って出たことはあったと思う。
「しかたなく」ではなく、その方が得だから。
これも、普通だ。どこの子でもそうだ。

だが、事情が変わっていく。心も変わっていく。
思春期にさしかかった姉が非行に走った時期だ。
(小野家は、さらに上に兄が二人いるが、
 彼らがこの時期の家族にどう関与したかは不明)
両親の気持ちが変化した第一の重大な契機は
ここにあったんじゃないか。
「末のさやかは素直な良い子」
「いつまでも可愛い末っ子でいてね」
が、
「せめて末娘には、親の言うことを聞く
 従順な良い子でいてもらわないと困る」
に変わっていった。
元もと、そういう風でいてくれる娘だから。
自分から末っ子キャラを楽しんでいるフシもあったから。
だから大丈夫・・・と、しなだれかかり
家庭のバランサーという重責を
押しつけてしまってたと言える。
もちろん両親にその自覚はないだろう。
尋ねれば、まさかそんなことはしていない、と答えるだろう。
それどころか、変化していく事情に、大人だけで、
うまく対処していたつもりだったかもしれない。
だがその実、立場の弱い幼い子に甘える結果となっていた。
親の愛を上手に信じられなくなっていた、最年少の家族に。
小野さやかは、親が思うほど鈍感な子ではなかった。また、
「わたしは傷付いているし、まだ子どもだから
 バランサーなんて難しい役、ずっとやることはできないの」
と、的確に訴えられるほど大人でもなかった。
役割を引き受ける以外に、なすすべがなかったのだと思う。

何度も言うようだけれど、
あえて言語化するとこういうことになるな、というだけで、
家族の誰も、上記のようなことをはっきりと企図したことは
なかったはずだ。
だが、小野さやかが一世一代の覚悟で両親と対峙したあの夜、
両親はちょっとほっとしたんじゃないか。
娘が、意外と的をそらして火矢を射てくれたので。
あなたたちは、わたしが「良い子」の末っ子キャラだから
何を言っても何をやらせても大丈夫とタカをくくったのよ。
子どもにだって立場や思いがあるということを考えてくれず、
わたしも内心つらいことを抱えていたのに全部我慢させた。
そんな風にズバズバ糾弾されたなら弱りはてただろう。
そんなことないよと証明したくても不可能であるし、
力でやりこめようとすれば話はますますこじれるだけだ。
こうなると「傷付けてしまって、ごめんなさい」と
謝らないことには、終わらない案件ということになる。
だが、わたしが思うに、小野の両親は、
我が子に「ごめんなさい」を言える人ではない。
正義だの善だのを教育理念に据えて子どもと接してきたから。
それを、小野は
「5歳の時のことのせいで『棄てられた』と思ってきた」
と的をずらした主張をし
「親子川の字で眠る」
ことで手打ちにしてくれた。そのおかげで、
両親は過去の過ち(甘ったれた家族経営)と
向き合わずにすんだのだと思う。
少なくとも今すぐには。

長兄に要求した土下座も、同様に、優しい手打ちだろう。

小野は家族を粉砕したかったのではない。
一石を投じることで流れを変えて継続したい、
の方に近い願いを抱いていたのだろう。

だが、これで終わったのではなく、ここから始まった。
そのことを、一家全員があとになって理解していくのだ。

家族の愛を確認することへの渇望が、
小野にあったことは確かのはずだが、
幼い頃にはノンバーバルに獲得できていた信頼を、
いったん失って、大人になってから取り戻したい、
・・・そうなるとどうしても「言葉」と「儀式」が必要だ。
しかも、たとえ形のうえで完璧に回復の手順を踏んでも、
かつてとまったく同じ感覚は二度と取り戻せない。
当たり前のことであろうし、
小野もそれはわかっていたんじゃないかと思う。
絶望的観測だ。確定していて、直視するのがつらい。
それでも家族の元へ飛んで行ったということは、
やはり
「愛をください」だけでなく
「わたしはあなたたちを愛しています」と
伝える必要に迫られていたんじゃないか。
「(にも関わらず、あなたたちがわたしを愛して
 くれていないとしたら、とても哀しいですが)」
が後ろに付きはするだろうが、
「あなたたちがどうでも、わたしは愛しているんです」
なのだと思う。
あれほど泣くことになっても、最初に愛を伝える相手は
絶対に家族、という「解」を変更しなかった、
小野の意思の強さに頭が下がった。

優しい次兄が涙したのは、小野の思いが、
心にしみわたって温かかったからじゃないかな。

壮絶な闘いの日々を、小野は、
「大丈夫。わたしは愛されている」と締めくくり
泣きどおしだった目元をほんの少しほころばせた。

過去と向き合う旅のなかで、さまざまな人と話し、
同じできごとでも、自分と違うとらえ方がたくさんある、
誰しもそれぞれに、つらかったことを心のあるべき場所に
収めようと闘い続けているなかで、
このわたしをも抱き止めてくれる
・・・そんな感覚を得られたことが、大きかったんだろう。
だが、これから先、小野の心を支えていくのは、
やはり「家族を深く愛している」という、
自分自身の心の真実に他ならないはずだ。
その愛には、憎悪や嫌悪や恥や禁忌が入り混じっている。
たえず意識し続けるのには重すぎる気持ちかもしれない。
だが、それでも、
愛して、と求めただけではなかった。
自分の愛をしっかり伝えたんだ。・・・という
あの闘いの側面に、小野自身が気づいて欲しい気がする。
何と言っても、その愛は、容れられたのであるし。
小野が期待する形ではないかもしれないにせよ、
家族は間違いなく、彼女の気持ちに応えてくれている。