une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『17歳』

原題:Jeune et Jolie
フランソワ・オゾン監督
2013年、フランス

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ヒロインのイザベルが、大人への階段を上り始めるまでを
見つめた物語だったかなと思っている。

得意客だった男の未亡人と会う、終盤のシーン。
未亡人アリスは、ヒロインを立場ある一個の人間として扱った、
最初の人だったと思う。

いっぱしの娼婦のように
「服を脱ぎますか」なんて尋ねたイザベルを、
アリスは笑わないし、怒りもしない。
まして売春なんてよしなさい、と諭すこともない。
笑っても諭しても少女の立場を否定することになる。
それを慮った。
つまり一個の人としてのイザベルを尊重したのだ。

物語のなかで少女は多くの人と関わる。
家族がいる。恋愛もする。大勢の男と寝る。
その全員からではないにせよ必要十分な愛情を受け取る。
でも、自分から愛を与えることは、思えば一度もない。
なぜか。
誰も彼女を「愛を与えることができる人」として扱わない、
言い換えれば、「大人」として扱わないからでは。

親はイザベルを判断力のない子どもとして扱う。
恋人たちは彼女に体やキスをねだる。
顧客たちはイザベルを性器の付いた人形として扱う。
少女はそれにただ対応していく。
親が心配すれば、もっと心配をかけることをする。
恋人たちに体やキスを与える。
男たちの求め通り性器の付いた人形としてふるまう。
扱われるように扱われ、与えられるものを受け取る、
それだけだ。それがイザベルだったと思う。
アリスと出会うまでは。

アリスがイザベルを目覚めさせたと言えないか。
イザベルがどこまで理解していたかわからないけど。
「わたしは何か決定的に『違うこと』をしてきた」、
そんな悟りはあったと見て良いんじゃないかな。
と言うのもアリスは
「夫を最後に見た女と会いたかった」と。
その女とともに過ごす時間を金で買った。
でも女にオーダーしたのは、並んで眠ることだけ。
いったい何を考えてのことか?

「一言で言いつくせないが、強いて言うなら愛」
そう言うしかないものを、夫と育んできたのでは。
長年のそれが不意に失われた時、彼女にできたのは
夫と寝た娼婦と会うことだった。
と言うか、それしかなかったんだろう。
泣きも騒ぎもしない人だが思いは複雑で、深い。
彼女の視線、動作、口調、すべてがそれを伝えてくる気がした。
これを書いているわたしも実のところ未婚で、
人生経験も恋愛経験も豊富とは言えないから、
アリスの気持ちが完全にわかるはずもないのだが、
彼女と夫の間にあったものが愛だったなら、
遺された彼女の思いは愛したからこそのものだ。
イザベルにはない気持ちだ。愛したことがないから。

だが、アリスとのひとときを通してイザベルは
「自分が誰かに愛を与える」可能性に気付いたかも。
一個の人に、一個の人として扱ってもらった。
今後は子どもでも人形でもなく、人として歩めるだろう。
大人になっていく。愛を与えることができる人になる。

そうであって欲しい、という気分だ。