une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『永遠の門 ゴッホの見た未来』

原題:At Eternity's Gate
ジュリアン・シュナーベル監督
2018年、米・英・仏合作

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スケッチに励むゴッホを、子どもらがからかう場面があった。
教師までもが侮蔑する。
「今時の画家は木の根っこを落書きして画家を名乗るのよ」
神経を病んだゴッホの幻覚と解釈したが、
社会に受け入れられていないと絶えず感じているなんて、
神経を病んでむしろ当然というものだ。

だが、それでも描き続ける道を選んだ人として
この映画はゴッホを描いていた。
司祭との対話の場面がその覚悟を伝えていたと思う。
ゴッホはこんなことを語っていた。
「どうして、神は僕に、
 『誰にも喜ばれない絵を描く才能』を与えたのか」
「この世界の追放者だと感じてる」
「僕は今ではなく未来の人のために遣わされた」
「イエスの教えも彼の時代には『未来の宗教』だった」

生きている間は誰にも認められなくても、未来のために描く。
重い覚悟だ。ゴッホはキリストではなく、ただの人なんだし。
だが、イエスが人の世の罪を一身に背負って死んだのに似て、
ゴッホは少年たちの罪をかぶり、口をつぐんで逝った。
今や世界宗教としてのキリスト教の地位がゆるがないように、
今日の世界はゴッホの絵を愛し彼の才能を疑わない。

ゴッホは、生きている間には、あんまり
幸福を実感できなかったんじゃないかな、と思う。
苦しい、でも、神が「描き続けよ」と言っているはずなんだ
・・・それだけが頼りだったのだとしたら、
本当に、喘ぐように描いた人生だったんだろうな。
弟とゴーギャンの他には褒めてくれる人もいなかったようだし。
でも、森や山のなかにある時、彼は
優しい陽の光や風に目を細め、満ち足りているように見えた。
大自然とは、神が創りたもうたものなのだと言う。
そこに身をゆだねた時だけは、神が確かに見てくれている、と
感じることができたのかも。