une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『婚約者の友人』

 

原題:Frantz
フランソワ・オゾン監督
2016年、仏・独合作

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【『そっち』に行っても何もないです】

オゾン監督は自作で頻繁に同性愛を扱う。
この映画でも、アドリアンとフランツの恋愛関係を
示唆している、と言えなくもないシーンが見られた。
でも違った。
絶妙に思わせぶりなシーンがちりばめられていて
気になることは確かだったんだけれど、
そっちを頼りに考えを手繰っても何も出てこなかった。
アドリアンとフランツがゲイ。だから何?」だ。

少なくとも、
アドリアンがフランツの両親に伝えたかった真実は、
「僕とフランツは戦前のパリで愛し合っていました」
ではない。
アンナに打ち明けた話こそが本当で、それがすべてだ。
そこさえわかればあとは大丈夫。
・・・イヤ、全然大丈夫じゃない。
わかったら、今度は、
もっと残酷でもっと救いのない展開を
最後まで見守らなくてはならない。

 

【謝られたら、許さなくちゃいけない】

「罪を告白して許しを乞う」。
悪いことをして、罪悪感に苦しんだ時、
誰だってそうしたいと考えるものだ。
話して、謝って、もう良いよ・・・と言ってもらいたい。
だが一方で、
謝られると、許さなくちゃいけなくなる。
謝ってきた人に「許すよ」とひとこと言ってやらないと、
まるでこっちの心が狭いみたいではないか。
でも、それにしても、
謝罪を受け入れる側にも都合というものがある。
タイミング、心の準備というものが。
早く謝ってラクになりたいのは山々だ。
ひとりで背負えないからと懺悔して、
罪悪感の重荷を降ろした気になるのは結構だ。
だが、それは必然的に
「自分ひとりで背負う」から、
「相手にもいくらか背負わせる」に
シフトすることなのだ。

 

【アンナの選択:あくまでも隠し通す】

ウソをつくことに耐え切れないアドリアン
アンナに洗いざらい告白する。
フランツと過ごした楽しい日々の思い出話は、
みんな彼の作り話だった。
フランツの両親にも本当のことを話したい、と言うアドリアン
アンナはその申し出を断固として拒んだ。
フランツの両親はアドリアンの話を信じている。
泣き笑いして耳を傾け、アドリアンの訪問を日々の楽しみにしている。
そこへ今さら真実を告白したところで、良いことは何もない。
ただでさえ夫妻の心の傷は深いのだ。
アンナは、愛するフランツの両親を、
幸福なウソに憩わせると決める。

 

【アンナの旅:さらなる傷を負うためだけの】

アンナはアドリアンの告白に傷付く。
でも、彼を愛し始めていることも事実だった。
逃げるように去ったアドリアンを追いかけ、フランスへ。
だが、彼女はそこで、いっそう酷な現実を目の当たりにするのだ。
ここからの展開はあまりにもアンナに厳しい。
およそ考えうる望みという望みが彼女の手から滑り落ちる。
ここまで意地悪しなくたって良いのに。
監督を恨みたくなったくらいだ。

 


【アンナの選択:空想のなかで死に、現実を生きる】

ラストシーンは、
ルーブル美術館で絵画を鑑賞するアンナ。
嘘八百の物語のなかでアドリアンが話していた、
エドゥアール・マネの『自殺』だ。
自死を遂げた男が仰向けに横たわっている、という
見るからに冷たくむごたらしい絵なのだが、
隣の男性客に、この絵が好きかいと問われてアンナは
「ええ、生きる希望が湧くの」。
傷心のあまりおかしくなったのか、と思いそうになった。
だが、そうではない。思うに、
彼女は生きる、と決めたんだろう。
もちろん、アンナはひどく傷付いた。
理想と実際の残酷なギャップに。
愛が報われるはずだと期待したなんて、
甘ちゃんも良いところだった。
死ぬことさえも阻まれた。
そうして絶望の淵を見た末に、
死はいったん措き、生きよう、と決めたのでは。
マネの絵は死を描いたもので、確かに痛ましい内容だが
それはあくまでも絵の、架空の死なのだ。
死はこの絵のなかにある。見たければ美術館に来れば良い。
今は死なない。わたしは生きる。
そういうことなんじゃないか。

フランツの両親の元には帰らない。
帰れば質問攻めにされるだろうし、
いずれ本当のことを言わなくてはならなくなる。
アンナは、老いたあのふたりを、いつまでも
幸せな夢のなかにいさせてあげたいのだろう。
アドリアンが物語った、フランツの夢のなかに。
アンナはまだ若いのだ。

「生きる希望が湧くの」と言うアンナは
本当に、明るみを帯びた良い表情をしている。
マネに注ぐまなざしは、おだやかだが強い。
夢想したものは、結局何も手に入らなかった。
でも、自分の足で人生を歩んでいかなくては。
そう決めた大人の女性の顔のようだ。