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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『フォードVSフェラーリ』

 

原題:Ford v Ferrari
ジェームズ・マンゴールド監督
2019年、米国

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車に特に関心がないわたしも、共感して楽しく観られた。
生命の危険と背中合わせの仕事をしている人を見守る
「家族」の心境が、丁寧に描かれていたおかげもあったと思う。


【良かった所:レトロ楽しい】

現代の物語ではないというのも、良い所ではないかな。
アメ車黄金時代(1950年~60年代前半)を牽引したという
フォードのマシンがバッチリ再現されているそうで、
それは、素人が見ていても十分に楽しかった。
かの時代は開発製造の現場にコンピュータ制御が導入されて
間もなかった頃でもあるらしく、
それを誇る経営陣と、メカニックたちが火花を散らすのが見られた。
ケンが、マシンの速度が伸びないのは、ボディのデザインが
空気の流れを乱しているからではないか、と言い出す。
上層部は「コンピュータと繋いで検証すれば良い」。
だがケンは、短く切った毛糸をボディ全体に貼り付けて走り、
仮説が正しいことを、誰が見てもわかる形で証明してしまった。
アナログな検証方法が、今は全然採られていない、とは思わないが、
現場を良く知るメカニックたちの創意工夫が見られたのは、
それが本当に必要とされた時代が舞台だからじゃないか。



【良かった所:経営と現場がせめぎ合う】

この映画は一種の企業ドラマ。
経営陣と現場労働者という、かけ離れた立場同士の相克の物語だ。
双方、それぞれの考えや意義を見出して仕事をしているので、
同じ会社で同じプロジェクトでも、同じ方向を向くことは難しい。
経営方針が当たれば儲かって、現場も恩恵を受けられる可能性はある。
上手に現場を盛り立てて、経営に協力させられれば良いのだが、
たいてい、そういう面倒ごとを担わされるのは中間管理職で、
外注プロジェクトチームのシェルビーみたいなのが、割を食う。
そして企業の至上の目的は常に「利益の追求」だ。
これは絶対だ。「理念の体現」ではないのだ。
ル・マン優勝が確定した段階の、あのシーンは、
もう本当に、最悪に象徴的だった。
重役のひとりが、あるお寒~い提案をするのだ。
事この段階に至ってもなお、同じ会社で一丸となれない!
勝ちが決まったら、もう当初の狙いはどうでも良いのだろうか?
確かに経営陣には、ケンは輪を乱す身勝手野郎に見えただろう。
だがケンは最終的には常に譲歩した。シェルビーの立場を思って。
「われわれはワン・チーム」と言う経営陣こそ、
全然「ワン・チーム」を理解していない。
利益さえ見込めれば、理念なんか歪曲したって良いわけだ。
腹立つ~。

 

【良かった所:男同士の友情】

ケンとシェルビー(マット・デイモン)のケンカの場面は最高。

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見境なく殴り合っているように見えるがそうではない。
関係の仕切り直しのために必要な「儀式」だと
お互いにわかってやっているのだ。
固い缶か何かを手に取るものの、それはやめて、
当たっても痛くないものに持ち替えて殴る所、カワイイ。
シェルビーがゴメンネが素直に言えなくて逆ギレする所は笑った。
シェルビーはやり手だ。
レーサー引退後も事業を起こして成功している。
ビジネスシーンでの立ち回り方をわきまえており
基本的にはいつもクールに見える。
そのシェルビーが、ケンの前ではわかりやすく感情を爆発させる。
ケンのキャラは、クリスチャン・ベイルが魅力的に演じている。
この映画での彼の演技は、とても高く評価されているそうだ。
マット・デイモンの方はちょっと影が薄い印象だ。
シェルビーはケンほど表情豊かなキャラではないから。
だけど、マットも、自分の役をしっかり務めていたのだろうと
このケンカのシーンを観ていて確信した。
ケンが自由に行動できたのはシェルビーが盾になっていたからだ。
シェルビーが自分を抑制して、言わずにガマンしていることを、
代わりにケンが言いまくる、という関係に見えた。

 

【欲を言うなら:良く考えると内容がない】

わたしはこの映画が大好きなんだけど、
良くよく深く考えると、
結局、この映画は何を言おうとしていたのかな? と、
思わされる部分があった。

例えば、ケンの暮らしや家族の結束の強さは伝わるが、
シェルビーのプライベートは適当にぼかされている。
ケンの人生とシェルビーのそれを対比させることで、
何かを描き出そうとする、と言った姿勢は、
この映画からは感じられない。
まあ、お子さまの鑑賞に差し障りそうではあったんだよな、
シェルビーのプライベートをあんまり掘り下げると。
心臓に不調を抱え、薬をあまりにもガブガブ飲みすぎている。
自動車販売でそれなりに羽振り良くやっているはずなのに、
ちゃんとした家がないのか、あるけれど帰りたくないのか、
キャンピングカーで寝泊まりする姿もちらっと見えて、
健全な生活をしていないことが、ほのめかされていた。
それに実際のシェルビーはプレイボーイだったらしくて、
そっちの方の生活がドハデだったそうで・・・。

また、もうちょっとじっくりと、
「プロセス」を追いかけたかった。
車体に毛糸を貼り付けて空気抵抗の検証を行う
シーンはおもしろかったのだが、
開発改良のプロセスは、他はあっさりとしたもので、
意外とすぐに、大会本番となったのがやや不満。
それに、
ケンは66年ル・マンの前に2つのレースに出て優勝しているが、
映画はル・マンに比重を置き、他の大会をほとんど描かない。
だが、果たしてそれで良かったのかな。
プロジェクト参入に際して、シェルビーが
フォードの重役にこう語っていた。
「直線で時速320キロを出すことができる速さと
 24時間走り続ける強さを兼ね備えた車を作る。
 重要なのは金じゃない」
「委員会じゃレースは勝てない」
このことを証明していったメカニックたちの努力と、
費やれた膨大な時間の表現が、十分とは言えないのではないか。
レースに出て走ることで初めて明確になる課題はきっと多く、
その度ごとに、何度も、試行錯誤と改良を重ねていったはずだ。
でも、映画は66年ル・マンの前の2つのレースを描かないので、
それらを経てマシンがどう変わっていったかも、不明瞭なのだ。
また、細かい所なのだが、キャラクターの心の変遷を
納得できる感じに順を追って見せていない所もあった。
例えば、これまで眼中にもなかったフォード社が
突如、2つのレースで立て続けに勝ったと知ったら、
絶対王者フェラーリもさすがに警戒するのではないか。
だが、ル・マンの会場でフォードのチームと相まみえても、
フェラーリの面々は、ちっともあせってない様子だった。
レーサー同士は対抗意識をあらわにしていたけど・・・。
あれは腑に落ちない感じであった。

この映画はおもしろかったし、
演技も音楽も良いので、文句なしに楽しんで観た。
だけど率直な話、何か言いたいことがある映画だったのかな?
あったとしても残念ながらわたしには伝わっていない。
その意味では、どうなのかなと思わないこともない。
また、多少腑に落ちない部分もあったことは確かだ。

イヤ、本当にすっごくおもしろかったけどね。
まああまり詰めて考えない方が良いかな。
娯楽映画ってことで。