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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『リチャード・ジュエル』

 

原題:Richard Jewell
クリント・イーストウッド監督
2019年、米国

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www.youtube.com

原作はこれだ。↓
1997年の記事だが、今でもネットで読むことができる。

archive.vanityfair.com

 

【自分を見直すきっかけをくれる映画】

まだ犯人と決まったわけでもない人を、
事件の第一容疑者として実名報道するという
いわゆる報道断罪の問題を取り扱っている。
96年に実際に起こった事件を描いた物語だ。
でも、特定の事件の、特定の報道手法の是非を問う内容に
とどまってはいなかった。
この物語を観ることを通して、わたしたちひとりひとりが、
自分の行動や発言のありかたを見直せる。
なぜなら今は、誰でも、いつでも、どこでも、自由に、
広い世界に向けて発言できる時代だから。
テレビや新聞の報道のやり方うんぬん・・・とか、
そういうことだけの話ではない、と言えるはずだ。

 

【情報社会の陥穽】

インパクトのあるできごとの情報が、
ソーシャルネットワークとマスメディアの力によって、
爆発的なスピードで拡散される。
情報の真偽のほどは、おかまいなしで。
人がいて、社会がある所なら、きっと太古の昔から
この問題があったはずだ。
根拠なき憶測、噂が人から人へと伝わって・・・という。
でも、規模感は、今ほどじゃなかっただろう。
インターネットがなかった頃は。
困難な問題だ。
そのせいで困る人も大勢いて、
そんな事態は防がなくてはいけないのに、
絶対的に有効な手立ては、今も昔もない。


【被害者のつもりが加害者に】

立場の弱い者へのまなざしが優しく、
圧倒的強者への批判の眼が鋭い物語だった。
でも、立場というものは、容易に逆転するし、
ひとりの人が、強さと弱さを併せ持っている。
ひとりの声はごく小さくて、社会への影響力も弱いけど、
それが寄り集まると、時局や大勢を動かす強大な力となる。
問題なのは、わたしたちが、その
「寄り集まった大きな声」を構成する一成分であることを
自分でわかっていない場合があることだと思う。
自分でわかっていて進んでやっている場合よりも、
わからずにいつの間にか担っている場合の方が多いのでは。

ジュエルの自宅の周辺にむらがるメディアや、
飼い犬の散歩に出てきたジュエルを罵倒する民衆は、
知性を持たない生物に見えた。コバエの大群のような。
考えてやっているのではなく習性的な行動かのようだった。
自分のしていることがわかっていない。
自分のしていることが周りにどう見えているかを
意識する、という発想を、持たない者たちのように見えた。
自分も気付かずにこんなことをしているのかもと思うと
おぞましかった。

 

【『Please, Mr. President』】

ブライアント弁護士のアイデアで記者会見が開かれ、
ジュエルの母が、息子の無実を訴える。
「こんなことになったのはなぜですか。
 わたしの息子は無実です。
 助けてください、ミスター・プレジデント、
 あなたはこの苦しみを終わらせる力をお持ちです」
そこにいない合衆国大統領に、涙ながらに呼びかける。
キャシー・ベイツの名演に涙ぐんだ。
地元紙の新聞記者キャシー・スラッグスは、
ジュエルの実名報道の記事を、他に先んじて書き、
所属の新聞社のヒーローとしてもてはやされている。
彼女も、この会見を会場で聞いている。
実はキャシーは、新聞が世に出てから自分なりに調べて、
ジュエルが無実かもしれないことに気付いていた。
取り返しのつかないことをしたことを自覚しているので、
ジュエルの母のスピーチを聞いて、ひそかに涙するのだ。
キャシーの立場も理解できないことはなかったが、
泣いているひまがあったら、さっさと会社に戻って、
訂正記事を書けよ・・・、と思った。



【以下おまけ:原作の雑誌記事を読んだ】

原作を4日かけて読んだ。
映画を観て「これってどういうことなのかな~」と
感じた所の答えが得られれば、と思って読んでみた。
答えが得られた所も、わからずじまいの所もあった。
それらを以下にまとめてみたい。
映画は、実際に起こったことの情報をかなり単純化していた。
特にシンボリックなエピソードをうまく抽出していたことが
原作を読んで良くわかった。
エピソードの取捨選択、脚色のセンス、
ともに飛びぬけて巧みな映画だったと思う。
例えば「僕がゲイじゃないと、FBIに認めさせたい」
ジュエルが鼻息を荒くするシーン。
母が、爆発シーンのあるテレビドラマを観ようとした時に
「そんな番組を観るなよ、爆弾魔だと疑われてるんだぞ!」
ナーバスになったジュエルが怒り出すシーン。
母の「タッパーウェア」のエピソード。
FBIが、騙しうちによって「自白」を取ろうとしたこと。
どれもこれもすべて原作記事に書かれていた。
2時間ちょっとのなかで良くこんなに、
大事なエピソードを過不足なく盛り込んだよなあ。


【わかったこと1:ブライアント弁護士がしたこと】

…実の所、わたしは映画の最後の最後の方になってようやく、
 ジュエルが逮捕も起訴もされていなかったことに気付いた。
 そこへきて、では弁護士であるワトソン・ブライアントが
 この事件のなかで具体的に何をやっていたのか、と思った。
 ブライアントは、ジュエルと固い信頼関係で結ばれていて、
 窮地に立たされたジュエルを、いつも励ますのだが、
 結局、起訴されていないので、弁護をしたわけではないのだ。
 記事を読んで初めて、ブライアントが具体的にやったことの
 内容を理解した。
 結論を言えば、ブライアントは、ジュエルの逮捕に備えて、
 信用できる刑事弁護士を仲間に引き入れた。
 また、誤認報道を行った新聞社やテレビ局を相手取る
 損害賠償訴訟において、自ら代理人を務めた。
 くりかえすが、ジュエルは逮捕も起訴もされていない。
 家宅捜索や毛髪の採取を受けたが、犯人と決まってはいない。
 捜査対象として名前が挙がっているという状況を
 すっぱ抜かれて、実名報道されてしまったのだ。
 だが、無実でも、逮捕・起訴されるおそれはあった。
 ブライアントは、FBIを相手取るような重大事件を得意とする
 タイプの弁護士ではなかった。
 記事の本文には、
 「(刑事事件の弁護をする)資格を持っていなかった」
 という意味合いの所もあった。
→ The simple fact was that Bryant had no qualifications for the job.  
 そこでブライアントは、ジュエルが起訴された場合に備えて、
 刑事の経験が豊富な弁護士を探し、サポート体制を整えた。
 それがリン・ウッド、ケント・アレクサンダー、
 ジャック・マーティンといった人物だった。

 

【わかったこと2:サポートチームも一枚岩ではなかった】

…複数の弁護士がジュエルのサポートに関わった。
 それぞれに立場や思惑があり、彼らは終始モメていた。
 特に、若手のケント・アレクサンダー弁護士は
 「敵」であるFBIと密接に連絡を取り合っていたので、
 サポートチームの面々にやや警戒されていた。
 例えば、ジュエルにウソ発見器の検査を受けさせた事実を、
 FBIには伏せておく約束になっていたにも関わらず、
 アレクサンダーは、勝手にFBIにしゃべってしまった。
 ジャック・マーティンに至っては、モメにモメたすえ、
 アレクサンダーとの個人契約を解除した。
 事件の最終局面に至って突然のことだったので、
 大切な時に何をやっているんだと、チームの皆が非難した。
 FBIと繋がっているアレクサンダーは確かに厄介だが、
 首から鈴を外してしまったら、彼が何をやり出すか
 わからなくなるので、余計に面倒ということだろう。
 そのアレクサンダーも、チームの筆頭リン・ウッドを
 信頼していなかったらしい。

【わかったこと3:ジュエルとブライアントの関係は複雑】

…同じ中小企業管理局で働いていた時、
 ブライアントがジュエルに、ある品物を有償で貸したが、
 ジュエルはその金を払わないまま退職した。
 それなのに久びさに電話をかけてきたかと思えば、
 FBIに疑われているなどと言うのでブライアントは呆れたと言う。
 また、この誤認告発事件のなかで、ブライアントがジュエルを
 父のように力強く支えたのは、元々の信頼関係からと言うよりも、
 クライアントに従順でいさせるための、戦略的判断だったようだ。
 ジュエルは実父、継父とも失っており男親との縁が薄かった。
 二人の男に去られた心の傷で不安定になりがちだった母親に、
 過干渉ぎみに育てられた一人息子、それがジュエルだった。
 ブライアントは、クライアントであるジュエルが、
 頼れる父親的な存在を求めている、と判断したらしい。
 だが、ふたりの信頼関係が偽物だったと言いたいわけではない。
 ブライアントは最初から最後まで全力でジュエル母子を支えた。
 ジュエル母子はブライアントに全幅の信頼を寄せた。



【わかったこと4:同性愛者という憶測の出どころ】

…勤務先だった大学の学生たちの陰口から始まった模様。
 ジュエルは、五輪記念公園の警備の仕事に就く前、
 田舎の大学の学校警備員として働いていた。
 融通のきかない性格や、強引な取り締まりで、
 ジュエルは学生に嫌われ、学長にも煙たがられていた。
 捜査当局は、ジュエルが同性愛者であり、同性の恋人と
 共謀して公園の爆破を計画した、との仮説を立てていた。
 母と二人暮らし、未婚の30代男性、肥満体型、といった
 表面的なプロフィールから作り出された「犯人像」だ。
 事実を言えばジュエルは同性愛者ではなかった。
 婚約を含む、何度かの、女性との交際経験があった。
 共犯と目された親友のダッチェス氏には婚約者がいた。
 母子の同居は、公園警備の仕事が決まってから始まった。
 


【わかったこと5:事前の取り決めがあった】

…映画では、ジュエルとブライアントが当局に出頭を命じられ、
 その取り調べで、ジュエルが捜査官を見事にやりこめる。
 そして自分を捜査対象から外させることに成功、という流れ。
 だが、実際には、ジュエルサイドとFBIサイドで
 あらかじめ約束がされていたらしかった。
 あと1回聴取を行って、それで何もなければ、
 公式に捜査対象から外す、という約束が。
 この件に関しては初動捜査を含め、もう完全に、
 FBIのヘマだったということが明白になっていたのだ。
 だがFBIも引き際を見失っていた。そこでジュエル側から、
 ここらで手打ちにしましょうや、と持ちかけたようだ。
→Finally, Jewell had agreed to an unusual suggestion:
 if he submitted to a lengthy voluntary interview with the bureau,
 and if Division 5 was satisfied, then perhaps the Justice Department
 could issue a letter publicly stating that he was no longer a suspect.
 犯罪捜査のフローにわたしは詳しくないが、
 容疑者側と検察側は、法廷で初めて会うわけではなく、
 その前にかなり密接にやり取りをするものらしい。


【わかったこと6:法執行官の夢の行き先】

…ジュエルは、警官、FBI捜査官、裁判官、保安官などの
 「法執行官」に盲目的なまでの信頼を捧げていた。
 有罪なら死刑も免れない事件での誤認告発にさらされてなお、
 憧れを失っていないかのように、映画のなかでは描かれていた。
 しかし実際にはやはり、騒動ののちしばらくの間、
 法執行機関への疑念や不信感に苦しんだ。
 「僕はもう法執行官の仕事には就かないかも」
→He said he was not sure if the would ever get a job in law
 enforcement again.
 しかし、数年後からはジョージア州の郡保安官補を務めるなど
 再び、憧れの仕事に就くようになった。

 

【わからずじまい:真犯人とジュエル(に関係があった?)】

…真犯人エリック・ルドルフが、犯行後に声明文を出し、
 ジュエルが犯行に関わったことをほのめかした
 (だからFBIはジュエルを疑った)というようなことが、
 Wikiに書かれている。

Eric Rudolph - Wikipedia

 犯行声明文がネット上にあったのですべて読んだが、
 ジュエルが犯行に関与した、などということは
 間接的にも一言も書かれていなかった。
 ※URLリンクを貼っておくが、グロテスクな
  画像が表示されるので、おすすめはしない。  

Eric Rudolph's Full Written Statement On Attacks

 Wikiには間違いも多いし、わたしの英語の読み間違えかも。
 FBIがジュエルを疑ったきっかけが本当にこの声明文ならば、
 FBIはジュエルより先にルドルフに目を付けていたことになる。
 でもルドルフが逮捕されたのは2003年、ジュエルの件の7年後だ。
 確かにアトランタ後のルドルフは、複数の事件を起こしつつ、
 潜伏と逃走を繰り返していたらしい。とは言っても、
 最初から目を付けていたのに7年も捕まえられないなんて、
 FBIはあまりにもトロいと思う。そんなことあるだろうか。
 Wikiに書かれていることは、やはりわたしの読み間違えで、
 ルドルフとジュエルには、一面識もなかったのだろう。
 FBIは最初ジュエルだけを疑っていたが、彼がシロだったので、
 捜査をやり直して、ようやく真犯人にたどり着いたのでは。
 FBIでも、決めつけや憶測に心を支配されて、
 間違った選択をしてしまうことがあるんだなと思う。

 

【その他】

アトランタの各メディアのリサーチのテキトーさ。
 確たるエビデンスがなくてもおもしろければ書いて良し、
 とされていたという、ある地元紙の体質の証言には呆れた。
 この新聞社には、アトランタ五輪が始まる直前まで、
 ある辣腕編集者がおり、彼が新聞を牽引していた。
 この編集者は大手紙から鳴り物入りで迎えた人物で、
 優秀だったが、地元の気風や事情を良く知らなかった。
 新聞社と地元の有力者(スポンサー)との間にあった
 長年にわたる協力関係(癒着)を軽視しすぎた。
 新聞社はやむなくこの編集者を解雇。
 すると、新聞の記事の品質は著しく低下した。
 テキトーな取材スタンスで書かれた粗悪な記事が並び、
 同業他社に鼻で笑われる新聞となり果ててしまった。
 そんな時に、五輪記念公園の爆破事件が発生。
 ひなにはまれな、この特大ネタに飛び付いた彼らは、
 身を挺して人々を守った警備員を、爆破テロの犯人扱い。
 罪なき男の人生を食い散らかし、こなごなに破壊した。
 最悪だ・・・

 FBIの、旧式で身勝手なやりくちが明かされている部分にも
 読んでいて寒気を覚えた。

 ジュエルが責任を取りたくても取りようがない所で、
 彼にとって分の悪い条件がこれほどまでに重なっていたのだ。
 それで一歩間違ったら死刑になる所だった。
 ふざけた話だよな~。