une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

Netflixドラマ『FOLLOWERS』-第1話~第3話

 



英題:FOLLOWERS
蜷川実花監督
全9話
2020年2月27日全話一挙配信(完結)

f:id:york8188:20200815144206j:plain

www.youtube.com


【ストーリー概要】

40の声をそろそろ聞く年頃の人気写真家リミ(中谷美紀)と
20代前半の売れない女優、なつめ(池田エライザ)。
ふたりの生き方を対比軸として錯線させるなかで
現代に生きる女性たちの「リアル」を描き出す。
フェミニズムセクシャルマイノリティ
「自己評価」が低い若者たち、
ソーシャルネットワークと肥大化する承認欲求
・・・といった今日的な視点も盛りだくさんだ。

全9話完結ずみということで
とりあえず3話分観てみた。



【退屈+病んでるドラマ】

正直に言うと厳しい。
おもしろくない。もう観たくない。

おもしろくないだけなら、まだ許容できる。
この作品には、深刻な「病理」を感じ取らざるを得ないのだ。
わたしの気持ちを表現するとこんな感じだ。
「スイマセン監督、あの、・・・本気ですか?
 本気で、いまだに、『そんなこと』を
 言おうとしているドラマなんですか?
 それとも壮大なドッキリ企画ですか?
 2020年ですよね? 1990年じゃないですよね?
 監督、もしかしてひどくお疲れなのでは?」

端的に言うとこのドラマ、
古い。ダサい。気持ち悪い。 
映像がいかにも蜷川実花監督作品って感じで
色彩美にあふれとてもオシャレっぽいのに
内容が昭和って。 何がしたいんだ。
少なくともオフィシャルな場においては「こういう考え方は
破棄しましょう」という動きがとっくに始まっているはずの
クソ錆びついた価値観に、物語の根幹を明け渡してしまっている。
しかも作り手が、そのことに無自覚なように思えるのだ。

 

【ビョーキ:女性の幸せ、すなわち・・・】

特に、リミをめぐるストーリーの方に、
この物語のビョーキが顕著なように思う。
例えば、とある賞の受賞者記念スピーチにおけるリミの言葉。
「仕事も、女性としての幸せも、
 当たり前だけど、何もあきらめない。
 そういう思いでここまでやってきました」。
そして話にうんうんと聴き入る女性たち。
そのリミが追い求める「女性としての幸せ」の内容が、
物語を観ていくうちに明確になる。「出産」だ。
つまり 出産=女の幸せ、だ。
ははあ、さようでござるか・・・
経済的に完全に自立していることもあって
リミは夫は要らない、子どもだけ欲しいという考え方だ。
認知しなくていい、結婚しなくていい、
お金もいらない、だから私と寝てくれない?
彼女は、何人もの男性と会ってそう懇願する。
だが、断られたりしり込みされたりで、うまくいかない。
MIYAVIという男性と関係を持つも、結局、妊娠できず。
今月も生理が来ちゃったと嘆くリミに、親友たちは
「残念! ああ~! MIYAVIの遺伝子がー!!!」
・・・MIYAVIさんとやらは、ちゃんと事前に
リミから事情を聞いていたんだろうか。
陰でこんな言われようだと知ったら、どう思うか。
そもそも、MIYAVIとの逢瀬はなんと
「プライベートな雰囲気が大切な撮影」にかこつけて
ベッドへ誘い込む、というもの。
リミさん、あんたプロの写真家なんじゃねえの?

土台の話なのだが、
今どき、子どもを持つ方法は実にいろいろある。
ましてリミには十分なお金があるんだし、
金を理由にあきらめるようなことは何もないはずだ。
なのに性交して自分の子宮で妊娠して自分で産むことに、
こだわっているというか、それしか知らないかのよう。
自分の身体で産んでこそ女の幸福は完璧なものとなる、
とでも考えているのか。というかそうとしか受け取れない。

 


【ビョーキ:「お嫁さんが欲しい」】

さらにさらに、リミの女友だちのひとり。
かれこれ8年、彼氏がいないそうなのだが
「あたし、お嫁さんが欲しい!」。
仕事に集中したいんだって。
ご飯を作ってお掃除をしてお風呂を洗って
おうちで待っていて欲しいんだって。
Oh・・・

 

【ビョーキ:記号としてのゲイ】

それと、こういう言い方もアレかもだけど、
異性愛の女にとって都合の良いゲイ友」の存在。
リミのマネージャーゆる子ちゃん(金子ノブアキ)だ。
あえて言わなくても、悩みを察してくれる。
泣きたい時には抱きしめて一緒に泣いてくれる。
でもパーティーなんかは紳士としてエスコートしてくれる。
女言葉でおしゃべりしてるかと思いきや
野太い男の声で笑わせてくれたりユーモアのセンスも抜群。
要は女友だちと男友だちの良い所取りをさせてくれるゲイ友。
この、ゆる子ちゃんてさ、ゲイ友と言う「記号」だよね~。
ゆる子ちゃん自身の個性がいっさい感じられないもん。
それを言ったらキャラクター全員がそうだが。
「っぽさ」を出したかっただけだよね。
いろんな人がいて、人それぞれに性があって、
でも全然関係なく、みんな友だち・・・という
進んだ人間関係「っぽさ」を出すために
投入してきたLGBT属性でしょう?

 

【どうでも良いけど:今さらSATCの本歌取り

かの海外ドラマ『SEX AND THE CITY/SATC』の
10年遅れのフォロワーの側面を持つドラマであることは、
リミとそのお友だちの布陣を見ていても明らかだよな。
言うまでもなくエリコ/夏木マリが「サマンサ」だよね。
他の3人よりずっと年上のイケてる実業家。
自立していて、おしゃれで、奔放で、恋愛も現役。
年下の女の子たちと対等に友だち付き合いをしてるけど
ここって時にはお姉さんらしく金言をお授けくださる、という。
エリコ、そのうち病気とか発覚するんだろうなあ。
ていうかリミの親友には、知識層がいないね。
リミは写真家、ゆる子ちゃんはリミのマネージャー、
さっきの「お嫁さん欲しい」発言は歌手のマネージャー、
エリコは、なんかファッション業界の実業家。
SATCではミランダが、対法人を得意とする弁護士だったね。
そういうかたい仕事している人、いないのかね。
どうでも良いけど、一人くらいいても良くないか、
まあわたしのイメージも偏っているとは思うけど、
例えば大学講師とかさ、まあ公務員とか、
そういうかたい仕事している友だち。




【どうでも良いけど:甘ったるいセリフ回し】

それから、そもそもの話なんだけどこのドラマって
「リミ」サイドは特に
キャラクターが舞台口調? 昼ドラ口調? が過ぎる。
わざとらしくて、苦笑を禁じ得ねえなあ。
産婦人科の先生(かたせ梨乃)の
「しかたのないことなのよ~ん」
「そんなに苦しまないで~ん」
あの話し方さ~ どうにかならない?



【なつめサイドはいくらか観られる】

売れない女優・なつめサイドのストーリーも
なかなかどうしてツッコミ待ちシーンが満載だ。
ただ、こっちはまだ、いくらかマシのような気もする。
なつめ/池田エライザを筆頭に若い役者さんが
素朴に頑張って演じている。そのせいか
場がまとまっている感じを受けることが多く、
リミの方のパートよりはラクに観られる。



【ダサい:道路のまんなかでしゃがんで泣くな】

だが、なつめの親友サニー/コムアイの所はキツイ。
彼女はレズビアンで、実はなつめのことが好き。
なつめに彼氏ができたことを知ってショックを受け
渋谷かどっかの車道のどまんなかでへたり込み
鳴り響くクラクションの中、泣き崩れる。
昭和か。
彼女がなつめに惚れていることくらい、
傷心の親友をなぐさめる夜桜のシーンや、
部屋でひとりで絵を描くシーンを見ていれば明白だ。
道路のまんなかでしゃがんで泣く、とか
説明としても演出としても余計で、ダサい。



【ダサい:うだつの上がらねえ若造の映画通気取り】

あと 
「最近のくだらないドラマのセリフなんて
 だいたいタランティーノの五番煎じ」
とかいうシネフィル気取りのやりとり。
・・・
イヤ、もうどうでもいいか、疲れてきた。
結局なつめサイドも悪口になってしまった。

 

【本音:できればもう観たくない】

挙げ出したらきりがないのだが
3話で すでにこんな感じだ。
わたしが気になったことは、
「『男』と『女』」とか「女性の幸福とは」とか
についての描かれ方(作り手の考え方)、だけではないし
というかSATCの本歌取りみたいな体裁であることも
別にそんなもん、わかっててあえてやっているんだろうし、
タランティーノうんぬん的なセリフを若手に言わせたからって
それがそのまま監督の思想とはわたしも思ってない
(というかまさかそうだとは思いたくない)。
わたしが言っていることは このドラマの表層を
いじっているだけなのかもしれない、ことは
もちろん認識してるよ。
しかしだね、このドラマが、まさかとは思うけど、
その「表層」だけで成り立っているのかもしれない、と
思うがゆえに怖いんだよ。気になるんだよすごく。

書くのがつらい・・・

まあ、フェミニズムと、ジェンダーダイバーシティ論の
周辺にあるんだと思うよ、この物語の病巣は。
それは確かだよ。
わたしがこの作品から受け取った不快感のニュアンスが、
この記事をお読みの方に一発で完璧に伝わってたら良いのにな~
とか意味のわからないことを期待してしまう。
攻殻機動隊のさー 情報とかを直接簡単に共有できる
バイスあったじゃない。うなじの所の端子につないでさ~
『ロボ・サピエンス前史』のあれでも良いけどさ~
あればな~(笑)
と言うのも、このドラマについて書かずにすむなら、
これ以上1文字たりとも書きたくないのが本音なので。
このような作品を、脳に入れたくない。おぞましくて。




【願望:でもまだ、のぞみはある】

とはいえ、まだ3話分しか観ていないために、
わたしはこのドラマに、まだ望みを懸けている。
自己批判の観点が盛り込まれる可能性への祈りだ。
具体的には、
「リミに豪快にダメ出しする存在」が今後登場するなら
このドラマを多少まともなものとして受容できると思う。
リミは、新しい時代を生きていこうとする女性たちの
お手本的な存在として描かれている。
美しく、男に頼らず、自分の足で立つ、自由な女。
でもそのリミも実は未熟な似非フェミニズムの中で
もがいているにすぎないのだ、ということに、
彼女自身、気付いて欲しいのだ。どこかの段階で。
でなければリテラシー的にもおかしい。
幼稚な価値観を、無自覚に基調に据えた作品。
ジャパンはまだこんなことをやっているのか、と
世界に鼻で笑われてやしないだろうか。
そこで、今後、わたしはなつめに期待する。
実際、リミとなつめは何度かニアミスしているし
第1話の冒頭でも、出会いが予言されている。
なつめが、リミを目覚めさせる展開が訪れる。
(リミも、なつめに何かをもたらすだろう)
そうなるならば、このドラマを観る価値がまだあると思う。
まあ「そうでなくちゃおかしい」という意味では
先の展開が見え透いているとも言えるのだが。

ともかく4話から先を観てみるか。

う・・・ダメだ全然観たくない・・・。