une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『アースクエイク・バード』

原題:Earthquake Bird
ウォッシュ・ウェストモアランド監督
2019年、アメリ
Netflixで2019年11月15日~ 独占配信中

f:id:york8188:20200815151615j:plain

www.youtube.com
1989年の東京を舞台に描かれるサイコサスペンス。
スウェーデン人のルーシーは、5年ほど前に日本に単身移り住み、
翻訳会社で働いている。彼女は日本人男性のテイジと恋に落ちるが、
やがて彼と、女友達リリーとの、三角関係に苦しむようになる。
そんな時、リリーが行方不明になり、ルーシーはリリー殺しの
嫌疑をかけられ、日本警察の追及を受けることとなる。

ルーシーはアリシア・ヴィキャンデル
テイジは三代目 J SOUL BROTHERS小林直己
リリーはライリー・キーオがそれぞれ演じている。

ストーリーは、先が見え見えで、凡庸だ。
でも、雰囲気が良くて、観るのはイヤじゃなかった。
別におもしろいわけでも何でもなかったのに、ただ単純に
また観たいという気持ちになって、3回も繰り返し観た。

舞台となる日本の情景描写に、力が入れられていたことが
雰囲気の醸成に良い影響を与えていたのではないだろうか。
日本は日本と言っても、1989年なので、
街の見た目も人びとの服も言葉遣いも、今とは違ったのだろう。
おそらくはとても微妙なその「違い」が意欲的に再現されていた。
知っている街のはずだが、どこか今とはちょっと違う、
違うのだが、何か懐かしく好ましい、そんな感じが、
この映画を観ていると、ずっとあって、そこが良かった。
しとしとと雨の降る場面が多かったのも、
夏の日本が舞台のこの映画らしくて、悪くなかった。

まあ、
ヒロインが趣味で参加している弦楽四重奏のグループが、
なぜ普段の練習の時に、わざわざ和装なのかとか、
あと、あのカルテットのメンバーはみんな、
ヒロインよりもかなり年齢層が上のようだったのだが、
ヒロインは彼女たちとどうやって接点を持ったのか? とか、
それから、確かに日本は地震が多い国だけど、
あんなにめちゃくちゃ揺れるかなあ・・・とか
いくらバブル期とはいえ、一人暮らしの外国人女性が、
あんな広くて快適な部屋をかりられたのかな? とかとか
「?」となる部分が少なくなかったが、
しかしそれもまあ、言うほど気にはならなかった。

キャラクターの造型や心の動きの描写が不十分だったせいか
3人の主要キャラのうち誰にも感情移入できなかったのは、
ちょっと問題のような気もしたが、まあこんなもんかと思う。
何をやっているのかわからない、というほどのことはなかった。
役者さんは3人とも、自分の仕事をちゃんとしていた。

特にルーシー役のアリシア・ヴィキャンデルは良かった。
ルーシーの過去のつらいできごとが淡々と振り返られていき、
それはいずれも、実に良く聞く話で、これと言って
関心をそそられるようなものでは正直なかったが、
ただ、ルーシーが語ったそれらの「過去」が事実なのか、
それともルーシーの幻想に過ぎなかったのか、
判然としないようになっていた。そのために、
「何か怪しいな」
「まだ何か隠されているのではないか?」
と常に思わされた。
(まあ、結局なんにもなかったんだけど)
この、ミステリアスな感じが最後まで持続したのは、
アリシア・ヴィキャンデルの演技が良かったからだと思う。

テイジは、ルーシーと出会った日の夜に、
地震鳥/Earthquake Bird」について説明している。
地震がおさまった時に耳をすますと微かに聞こえる鳥の声だと。
ルーシーは日本に来て長いのだが、日本の地震の多さには
なかなか慣れないようで、揺れると、かなりおびえていた。
そこへ、テイジがこの鳥の声のことを教えたので、
彼女は「地震鳥」を、心のお守りにするようになる。
波立つ気分を落ち着かせてくれるさえずり、という風に。
でも、わたしが思うに・・・
鳥が鳴くのは地震の前じゃないのかね?
大きな自然災害の直前に、動物たちがおかしな行動をした、
という話は良く聞くし、
今までどこに隠れていたのかと思うほどの鳥の大群が、
一斉に空に飛び立つのを見ることがあって、そんな時は
「何かあったから鳥が飛んだ」というよりはむしろ、
「鳥が飛び立ったので、これから何かあるのでは」
と思うではないか。不思議な感覚ではあるが。
だから鳥が鳴くのは地震のあとじゃなくて、
感覚としては、地震の「前」じゃないかな。
そこから考えると、この物語における地震鳥は、
「平穏が訪れたことを知らせる音」なのではなく、
「何か良くないことが起こる先触れ」だったのでは。

リリーは、ちょっと気になるキャラクターではあった。
ルーシーにしてみれば、リリーは不愉快な女友達だろう。
なんだかちょっとずうずうしい所があるし、
決意を胸に、異国の地で独力で生きてきたルーシーと比べると
軽いノリで日本に来て、人に頼り切ってヘラヘラと暮らしている。
そんな風に見えて、うとましく感じても、しかたがないと思う。
何より、テイジにちょっかいをかけたしね。
でも、他人の眼でこの映画を観ている分には、
リリーは、不思議と全然イヤな子ではなかった。
確かに人のプライバシーにやや強引に入ってくる所はあるが
他人に迷惑をかけるようなことはないし、性格も快活だ。
ルーシーも、何だかんだで、
優しく明るいリリーに元気をもらっていた所があった。

リリーがルーシーの手相を見るシーンがあった。
あの時、ひょっとするとリリーは、
テイジの本当の姿を見たのでは。
テイジとルーシーが交際を続ければ、
いずれルーシーが殺されると見て、
身代わりになろうとしたのではないか、とか、
そんな想像をしてみたりした。
真相は描かれなかったのでわからないけど。

ルーシーは、恋の苦悩と嫉妬と、
ストレスから来るらしい体調不良とで
しばしば白昼夢を見るようになっていく。
そこでどうせなら、リリーと最後に会った日の描写も、
夢ともうつつとも取れる感じだったら良かったのに、と思った。
テイジが働く店の前で様子をうかがっていると、ドアが開き、
そこにいたリリーと目が合ってしまう。浮気確定の瞬間だ。
この時リリーは、ピンクと白のストライプのシャツを着ていた。
ルーシーが自宅にとってかえすと、リリーが追いかけてきて、
玄関先で激しく口論することになるのだが、
この時のリリーの服装が
「あのストライプのシャツとは別のもの」
とかだったりすると、ちょっとおもしろかった気がする。
えっ、どういうことなの、時間の流れどうなってるの、
これはルーシーの幻想なの?
どこまでが現実で、いつからが幻想?
って、謎が深まったのではないかと思う。
だけど実際には、玄関先の口論の場面はバストアップで
ルーシーはシャツの上からレインコートも着ていたので
ストライプのシャツだったかどうか、わからなかった。

まあ謎が深まったからと言ってどうということもないのだが。

そんなこんなで、
正直言うと取り立てておもしろい映画ではなかったのだが、
かといって特にひどい所があったわけでもなく、
役者さんの好演が雰囲気の良さを引き立ててもいて、
気分良く観られた。

少し、救いを感じさせるラストになっていて、
ルーシーが、これからは光の中を生きていけますようにと
祈りたいような気持ちになった。