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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『コンテイジョン』

 



原題:Contagion
スティーブン・ソダーバーグ監督
2011年、米

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www.youtube.com

なつかしいですな。以前1回観ましたな。
マリオン・コティヤールが好きで、
彼女が出てる映画をいろいろ観てた中の1本だった。
手元の記録によれば前回の鑑賞は2012年8月3日。

1回観てた、これは今考えると良かった気がする。
もう、今のわたしは、この映画を
非常に局地的な観点でしか観られなくなっている。




【おさらい:言わずと知れた世界の現状】

でもちょっと話が走りすぎた。
一応、ただし書きが要るだろう。
この記事を誰がどういう時に読むかわからないから。

現在、世界は新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の
感染拡大のさなかにある。この「COVID-19」は、
2019年11月末頃に中国湖北省武漢市で症例が確認されて以降、
中国大陸を皮切りに、各国各地域に拡大した。
症状は原因不明のウイルス性肺炎で、重症者、死者も出ている。
2020年3月なかばには、WHO事務局長が世界の状況について
パンデミック相当」との考えを表明している。
わたしが住んでいる日本でも感染は広がっていて
厚生労働省の発表によれば、2020年月6月20日午後現在、
国内の感染者数はおよそ1万8000人、死者数はおよそ940人だ。
世界では感染者数およそ860万人、死者数およそ46万人。

※実は、この記事は1ヶ月くらい前に一度下書きを書いていて
その時にも、感染者数などの統計を、ネットで確認した。
当時は日本国内の感染者数は1万5000人くらい、
死者数は800と数十人くらいだったと記憶している。
毎日最前線で頑張ってくれている医療従事者の皆さんには
頭が下がるばかりだ。
今の所、わたしは特に体調に問題はない。
わたしの身近でも、幸い今の所、感染者が出た話は聞かない。

※もっと詳しい情報は各自で収集してみていただきたい。




【2012年時点での感想】

まだCOVID-19の流行が起こっていなかった2012年に
わたしは一度『コンテイジョン』を観ているわけで、
当時の感想は貴重な気がするから、ここに書いておきたい。

一言で言うと「ホラー映画」感覚で観てた。
どのシーンにも、どのエピソードにも、
恐怖を煽るシリアスな音楽が付いていなかったことと、
時間的にもサクッ、サクッと短く軽く処理されること、
「なぜそういうことが起こったのか」の説明がないまま
急速に話が進んでいくことが、かえって震えるほど怖かった。
レンギョウとか急に出てくるけど何それ! って感じだし
マット・デイモンが無事なことの理由も全然わからない。
そんな、木で鼻くくったような所が他の映画と違う気がして、
カッコイイな! と思って観た覚えがある。

宇宙戦争』(2005年)との近似を見たことも記憶にある。
それは、圧倒的な不条理というものがこの世にはあって、
人間はその前に非力である・・・ということを言っていた点だ。
宇宙戦争』で、地球を侵略してくる異星人たちは、
ものすごく強くて、人類は全然太刀打ちできない。
あんなに何もできないトム・クルーズ、初めて観たもんね。
でも結局、敵の弱点は「えっ、そんなことだったの?!」 
というような所にあった、とエピローグで明かされる。
人類は死に物狂いで対策を考えるし武力抵抗もするのだが、
そんな考えた、頑張った、なんてのとは一切関係ない所で、
非常にあっけなく、防衛戦争に終止符が打たれる。
対して『コンテイジョン』は「敵」が「病気」なので、
治療薬が作られることが「終止符」だとわかるから
その点はちょっと話が違うのだろうが、
「圧倒的不条理と人間」という構図があることについては、
宇宙戦争』と『コンテイジョン』は共通していたと思う。

 



【現時点での感想】

今となっては、わたしはもう『コンテイジョン』は、
パンデミック群像劇としてしか観られない。
どうしても、今の状況に引き寄せて観てしまう。
「今の世界の状況とどのくらい似てるかな」
「自分も罹患したら病院でこういう風にされるのかな」
「死んだらこういう風に扱われるのかな」みたいな。
場面の中で誰かがセキしてるのが聞こえるとドキッとするし。
感染者が人と握手をしたりバスの手すりに触れたりするのを見て
「あ~! 触ってる! 触ってる!」って思うし。
バイオテロ説と民間療法のデマの流布、医療崩壊、都市閉鎖、
モノの買い占め、民衆の暴徒化、生命の選別的な状況の発生、
すべて現実に起こっていることで、良く良く理解できる。
あと、公衆疫学の専門家たちの意見が中央に通らない状況、
政府とその肝いり機関が指揮権を取り上げちゃう展開も、
信じがたいけど、こうなんだ、と今の自分は知っている。
実にいろいろと、わたしたちを取り巻く現状と
近いことが描写されている。




【正しさは人を動かさない】

「正しいことだから」というだけでは人は納得しない、
これも、わたしたちが現状から得つつある教訓だろうし
映画の中でも、さまざまな形で示されていた。
「物理的距離を保つ」
「手を良く洗う」
「体調が悪ければ家にいる」
薬などの科学的な治療法が見つからないうちは、こうした
おのおのの日常の心がけと小さな行動だけが治療法なのだ。
これが公衆衛生の本質だ。
でも、何度そう説明されても、わたしたちは理解しない。
「そうは言っても●●だからしかたがない」
「では何だったらやって良いか」
「こうすればもっと早く済むのではないか」
目をキョロつかせて素人判断で抜け穴を探してしまう。
実践しないなら、理解しないというのと同じことだ。
「不安」がわたしたちを愚か者にするのだとわたしは思う。

慎重になる、静かに待つ、って難しいことなんだよねえ。

 



【理解できるが、寄り添ってはくれない映画】

でも、『コンテイジョン』を観てて、
こういうことじゃない、と感じた部分もあった。
長期的な忍耐を求められる今の生活の中で、
わたしが感じてるのは、
大きな意味では「不快感」「不安」なのだが、
もっと冷たく陰湿な、「何か」とも言える。
わからない程度に徐々に、その「何か」が、わたしを削る。
「自分が感染したら」よりも、
「もしうつしてしまったら」だ。
無症状キャリアなら人に感染させてしまうかもしれない。
1日の終りに「どこかで何か誤った選択をしなかったか」と思う。
それでどこかの誰かが死ぬかもしれない。
自分の誤った選択の内容がやがて白日の下にさらされて、
お前のせいだったと言われるのではないかとビクビクする。
とにかく多方面に気を遣うことを迫られている気がする。
肝心なことを口に出せないまま日々が過ぎていく気がする。
でもその肝心なことが何なのか、考えている余裕はない。
それから、こういうのもある。
「ピリピリせずに、前向きなことを考えましょう!」
「あなたよりももっとがんばっている人たちがいます」。
正直な所これにもややウンザリだ。

こういうのを毎日、消化していかなくちゃならない。
わたしは自分は、COVID-19に罹って死ぬ確率よりも、
この日々の「何か」に削られ続けた末に力尽きる確率の方が
ずっと高いんじゃないかと思っている。

でもそういう「何か」は、
コンテイジョン』には、描かれていなかったと思う。
コンテイジョン』に出てくるのは、
COVID-19よりももっと致死率が高く、
むごたらしい症状の出る、恐ろしいウイルスだが、
ウイルスと戦う人びとのシナリオは案外なほど楽観的で円滑だ。
初の症例確認からワクチンの流通開始まで4ヶ月足らず、
各個のできごとに対して起こる摩擦も少ない印象を受けた。
それでも十分すぎるほど良くできてる映画だと思うけど、
あくまで「もしもシリーズ」、初歩的な思考実験どまりだ。
やっぱり現実はこんなもんじゃなかったんだなって思うよ。
この映画の中で起こる状況のすべてを理解できるけど、
わたし自身の気持ちはどこにも投影できない。

自分も瀕死なのに、隣のベッドの患者のために
毛布を貸してあげようとするミアーズの姿とか
胸に迫るシーンもそれなりにある映画なんだけどな~。

でも、『コンテイジョン』は、別に、今現在、
わたしたちが陥っている状況を予言することを目的として
作られた映画ではない。当たり前のことかもしれないけど。
今観ると本当に「予言されていたみたいだな~」という
気にもなるくらい、いろいろ身につまされるのだが・・・
「予言しときますよ。答え合わせは19年後ね!」
とかいうスタンスで作られた映画ではないので、
かなり的確に言い当ててはいても、
「現状そのままではない」のは当然であり、
何ならやや現状よりもやや見劣りして感じるのも、
無理のない所だと思う。

宇宙戦争』がそうだったように
アルベール・カミュの『ペスト』もそうだったように
やはり、できることなら
より大きな枠組みからこの映画を鑑賞することができれば、
良いのかなと思う。
パンデミック群像劇の形を取った不条理もの」、
「世界の圧倒的な不条理を前に人間に何ができるのか」
を問いかける映画である、といった風に。
普通に「ホラー」感覚でも良いけど。
いつかまた、そういう視点で、この映画を観られる時が
くれば良いんだけどねえ~!!!!