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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『マーシュランド』

 


原題:La isla mínima
アルベルト・ロドリゲス監督
アルベルト・ロドリゲス、ラファエル・コボス共同脚本
2014年、スペイン

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【いわゆる”謎解きもの”だったのか???】

公開当時、日本でも好評だったらしく、
ネット上に、鑑賞者レビューが多数見つかった。
その大多数は、この映画を、考察しだいで必ず
「答え」が見つかる謎解きもの、としてとらえていた。
ディテールを血眼で観察し、
「謎」を解き明かそうとしている印象だった。

だけど、この映画ははたして「謎解きもの」かね?
わたしは、そう思えない。



【何はともあれ:あらすじ】

舞台は、フランコ独裁体制の傷痕も生なましい、
1980年のスペインはアンダルシア地方。
フアンとペドロの刑事コンビが、
ラス・マスリマス湿地近くの町の警察署に着任する。
ふたりとも、元は首都勤務だったのだが、
それぞれワケありで左遷されてきた形だ。
そこへ早速、憲兵から捜査協力の依頼が舞い込む。
若い姉妹が祭りの夜に何者かに乱暴され、殺されたのだ。
実はここ数年で何度か、似た手口の事件が起こっていた。
フアンとペドロは事件の真相に迫るべく動き出す。
 


【神秘的なオープニング】

オープニングはこの映画の長所の最たるものだと思う。
ラス・マリスマス湿地の空撮映像らしかった。
あんな神秘的な風景は世界中、他のどこを探してもないだろう。
「緑色の血が流れる人間の脳の断面図」に見えなくもなかった。
あれを人の脳だと取るならば、
「緑の血が流れる脳の人=もはや人にあらず」と取るか、
「緑の血が流れても、人の脳である以上、人」と取るか。
このあとで詳しく述べてみるつもりだけど、
フアンは、言わば生きながらにして内面から崩壊しつつある
あわれな人間だった。
あのオープニングは、彼をどうとらえるかについて
何かしら重要な問いかけをしてきていた気もする。


【代表的な考察:「腕時計」説】

ここからは冒頭で投げ込んだ疑問について考えたい。
鑑賞者たちが謎解きに血道を上げていたんだけど、
はたしてそういう映画だったのかねコレは、という話。

ネット上で展開されている作品解釈の中で、
一番多かったのは「腕時計」に着目するものだ。
この「腕時計」説をたたき台に、少し考えてみる。

「腕時計」説をわたしなりにまとめると、こんな感じ。
元もと、ペドロ刑事が、捜査中に知り合った記者に、
重要な証拠品であるネガフィルムの解析を頼んでいた。
ネガを良く見ると誰かが写っているのがわかるのだが
肉眼ではその人物の顔がわからなかった。
事件について詳しく知る人物である可能性が高い。
だから顔がわかるよう解析してくれ、と依頼したのだ。
ストーリーの終盤も終盤、解析結果が戻ってくる。
結局、人物の顔まではわからなかったのだが、代わりに
その人物が腕時計を着けている像が浮かび上がった。
「腕時計」説は、
その腕時計がフアンのものと似ていると指摘している。
(中には「同じ時計」だと断定する意見も)

フアン刑事には、知る人ぞ知る、黒い過去がある。
独裁政権時代、政府の治安部隊のメンバーとして、
反体制派の取締りに当たっていた。
どうも生来、性格的にサディスト傾向があったらしく、
拷問が得意で、部隊随一の殺人鬼として悪名高かったという。
(これは鑑賞者の考察とかじゃなく、物語上の事実)
フアンの時計とネガの人物のそれが似ていることから、
「腕時計」説は以下のように考察する。
ふたりは元同僚で、今まで裏でつながっていたのでは。
フアンは、ネガに写った人物が自分と同じ時計を
着けているのを見て、それが自分の元同僚だと気付いた。
そこで、事件の犯人? に肉迫するクライマックスで、
必要以上に執拗に相手を痛めつけた。
古い知り合いである、この犯人を救うために
あえてあのような手段に出たのではないか。
(「さらなる悪事に手を染める前にせめて俺が息の根を」)
・・・
これが、ネットで盛り上がっていた「腕時計」説の概要だ。

でも、わたしはこの説に賛同しかねる。



【反論 1:そもそも腕時計が似ているか不明】

該当のシーンを何度も観返して確かめた。
そのうえであえて言う。
「腕時計」説は着眼点としても考察の内容としても
ちょ~っとばかり思い込みがすぎるんじゃないかな。

ネガに写った人物が腕時計を着けているのは見えた。
でもブランド、色、文字盤のデザインは判別できない。
ベルトが革製か金属製かも区別できない。
フアンの時計と似ているかどうか。・・・わからない。
また、先ほど「腕時計を着けている像が浮かび上がった」
なんて微妙な表現をしちゃったけど、
要するに、解析されたネガを見て、ペドロが
「こいつ腕時計を着けてるな」と言ったわけではないのだ。
正確には、わたしたち鑑賞者が、勝手にそこに目を付けた。
「あ、この人、腕時計を着けてる」と。
ネガをとらえるカメラ(ペドロの視線)が、
被写体の「腕時計を着けた腕」のあたりを
クローズアップしていたのは事実だ。
「ペドロが被写体の『腕時計』を注視している」ように
確かに見えないこともなかった。
(でも、もっと言えば、クローズアップされていたのは
 腕時計を着けた手首ですらなく、
 被写体の「腕まくりしたヒジ」あたりだったような。
 なぜあのようなカメラワークにしたのか謎だ)

けど、このあとで詳しく述べてみようと思ってるけど、
「腕時計」を手がかりにして
フアンと、ネガの中の人物のつながりを疑うには、
何せこの映画、説明不足がすぎるんだよ。



【反論 2:腕時計が小道具として立っていない】

もしネガに写った腕時計に、
映画的にそんなにも重要な意味が持たされていたとしたら
脚本と演出に致命的な欠陥があったことにならないかね。
だって少なくとももう少しは、説明があって欲しくない?
例えば、
フアンが特定の腕時計を愛用していることを強調し、
その腕時計の由来を、記者にでも語らせる。
(治安部隊員に支給されていた揃いの時計だ、とか)
さらに、ネガに写った腕時計の画像をもっとクリアにし、
ふたりの時計が確かに同じだと明示する演出を加える。
・・・最低でもこのくらいのお膳立ては欲しい所だ。
でないと小道具が小道具にならないと思うんだけど。



【反論 3:フアンが「ネガの中の腕時計」を知らない】

それに、
「ネガに写っている人物が時計を着けている」
とわかるほど、ネガの画像がクリアになったのは、
ひとえに、ネガを詳しく解析したからだけど、
フアンは、最後まで解析結果を知らないままだった。
ペドロは解析を依頼したことをフアンに話していないから。
ネガの存在自体は、フアンも把握していたが、
彼が視認したのは、くしゃくしゃの状態のネガの現物と
被害者の母が現像したらしい写真の、拡大コピーだけだ。
その状態ではフアンの脅威にはならなかったのではないか。
このネガから、俺と、写っている奴の関係がバレてしまう、
・・・まだ、そこまで案ずる段階ではなかったのでは。
解析したから画像が鮮明になったのであり、
鮮明になって初めて、時計を着けているのが見えた。
そしてその解析結果を、フアンは知らない。
フアンが、ネガに写った腕時計を見て、
こいつは俺の知り合いだと気付いた・・・という線は
ないことになる。

 


【反論 4:フアンに焦る様子が見られない】

フアンが、ネガに写っていた人物を知っていたならば、
フアンはもうちょっと何かこう、焦るのではないか。
「できればネガをそっと葬り去りたい」とか、
「誰より先に自分でこの人物を押さえなくちゃ」とか。
でもフアンの行動を見る限り、焦っている感じがない。
フアンは確かに早起きで、ペドロがまだ寝ている間に
何かちょこちょこやっていたけど、
相棒を出し抜こうとして動いていたとまでは言えない。
実際、早起きしても、大したことはやっていなかった。
あまつさえ、事件の重要参考人の、前の職場がわかっても、
フアンは自分でそこに行かず、ペドロを向かわせた。
自分で行きたい、と思うもんじゃないのかな。
ネガをペドロに預けたきり平気でいたのも、おかしい。



【「腕時計説」が浮上したわけを考えてみる】

フアンたちが刑事だから、現場検証などで手を使うので、
この映画を観てるとイヤでも、人の「手」に目が行く。
そこへきて物語の終盤でネガの解析結果の話になり、
腕時計を着けた誰かの手が大写しになったので、
登場人物たちの手元がどうだったか今さら気になって、
フアンの時計がどうとか、考えたくなるのだろう。
そうなるのは人情だとは思う。
だけど注目するべきなのは多分そこじゃない。
ネガの解析結果が明かされるシーンで重要なのは、
写っていた人物が腕時計をしていたこと、じゃない。
(ましてその時計がフアンのと似ていたことでもない)
その人物の顔までは結局わからなかったという事実、
これに尽きるのではないか。



【謎解きものとは言えない映画】

ネガの人物はフアンの過去につながっていた・・・
興味深いけど、本当にこれでいくなら相当工夫しないと
ものっスゴイ偶然頼みの、やっすい話になると思うよ。
その意味でもこの線は、なしかなと思う。
でも、他の8割方まではちゃんと謎が解明された感じ。
一番大事な本筋に関することでわからずじまいなのは、
「ネガに写っていた人物の正体」だ。
これは、わからないとしか言いようがない。
「顔はわからなかった」とわざわざ記者が言っている。
でも、謎が謎のまま、一つ残されたことによって、
いろいろと想像をふくらまし続ける余地は残された。
それで良いんじゃないかと思うけど。



【キーアイテム「ネガ」から深読み】

ここまでは
「ネガに写っていたもの」のことを考えてきた。
ここからは視点を変えて、
この物語のキーアイテム「ネガ」そのものから
『マーシュランド』のことを考えてみたい。

ネガって、色や明暗が反転した画像のフィルムだよね。
再反転させてプリントすることで普通の画像になるわけだ。
ネガから連想するなら
「表・裏」
「反転」
「ネガとポジ」、
このあたりが作品解釈のキーワードなんじゃないかな。

<表・裏>
話を蒸し返すようだが、
登場人物の「腕時計」に着目するとすれば、
わたしがその線で少し気になったのは、
被害者の母親なんだよな~。
あの女性も腕時計ユーザーだったけど、
やけに高い位置に着けてたよね、時計。
専業主婦っぽかった。多分、洗い物とかをするので、
濡れないように、高い位置に時計を着けるのだろう。
あの美しい母親を見ていて、思ったんだよ。
彼女も少女時代に、娘と大差ない目に遭ったのでは?
一見、平凡な町だ。貧しいけれどもおだやかな(表)。
でもあの町ではずっと前から、
人を人とも思わぬ「密猟」が続いているのでは(裏)?
手口が変わり、ハンターも変わるが、昔から連綿と、
続けられていることなんじゃないだろうか。
狩られる側である少女たちは、町を出たがっている。
だが、出る算段を付けたつもりでも、
どこかしらの段階で別のハンターに食われる。
町を出られなかった少女は、やがて家庭におさまるだろう。
高い位置に腕時計を着け、家事に追われる日々を引き受ける。
あるいは、あの狩猟宿の女主人のようにハンターの側に付き、
「密猟」が行われるのを、そっと見過ごすのだろう。
被害者の母は、必死の覚悟でマリナの秘密を代弁したが、
裁判で証言なんてできない、と泣いた。
自分もかつて似たようなことで散々悩んできて、
「私の力では何ひとつ、どうにもならない」と
骨身にしみて思い知ってきたのではないか。

<反転>
『マーシュランド』の時代的背景となっている
「独裁体制から民主主義国家への移行期」を見てみたい。
確かに独裁政権は、人権蹂躙も含めメチャクチャをやった。
フランコが死に、新体制への移行に踏み切ったことで、
胸をなでおろした国民は、多かっただろう。
でも、反対の視点からちょっとだけ想像してみる。
「前の方がマシだった」と言う声もあったのでは?
映画のなかでも描かれていたように、
地方では政情不安から失職者が多数出た模様で、
労働者たちのストライキも頻発したようだった。
それに、こういう言い方もあれなのだが、
約40年にわたる独裁体制下で物価が下落し、
魅力ある交易相手として対外的にアピールしたことが、
のちの観光大国としての良好な印象を醸成したとは言えないか。
また、フランコ政権は第二次大戦で中立の立場を死守した。
とはいえ大戦以前から国内でずっと内戦が続いていたし、
中立維持のために八方にご機嫌取りしてきたせいで
国力は結局かなり疲弊していたのだろうが、
国土を消し炭にすることだけは避けられたわけだ。
めちゃくちゃ語弊のあることを言ってしまったけど・・・
要するに言いたいのはこういうこと。
独裁政権だった。間違っていた。犠牲が出た。
だが、ひっくりかえして見てみると・・・。

いずれにせよ、
今日からこの国は民主主義国家です! と言っても、
何もかもスムーズに新体制に移行するなんて、
不可能だったに違いない。

<ネガとポジ>
こうしたパラダイムシフト期においては、
容易に一言で言えないひずみが生じると思う。
変化に適応できる人と、できない人が出る。
フアンは、できなかった方の人だ。
狂乱の独裁政権時代にフランコ側にいたことで、
己の嗜虐性を解き放つ快感を知ってしまったのだろう。
新時代を生き延びるために、過去を正当化しようとして
ウソも山ほどついてきたんだろうな。
そのせいなのか、もはや何が真実か、
自分でわからなくなっているフシも見受けられた。
それにフアンは開き直りが上手なタイプじゃない。
「そうだ、俺は人を殺すのが大好きなんだ!
 フランコさんが死んじゃったから毎日退屈だ!
 でも、刑事だから今後も銃が持てるし
 これからもスキあらば殺して拷問するぞ!」
・・・そこまで振り切れたサイコ野郎ではないのだ。
心の奥底に押し隠した良心が疼くらしい。
彼は内面から、肉体もろとも崩壊しつつある。

ペドロはそんなフアンの過去(ネガ)を垣間見た。
それでも、自分が知る現在のフアンの方を、
言わば「ポジ」として見ていくと決めたようだった。

【伏線ちょっぴりほったらかし・・・】

最後になるが、
さっき「8割方までは謎が解明された」と書いたけど、
逆に言うと残り2割が最後までほったらかしだった。
だけど、これらが解消されてもされなくても、
本筋には関係ないという気がした。
ヒントもないので検討するのをあきらめた(笑)

・ベアトリスの死後、彼女の家族が姿を消した理由
・フアンとペドロが夜道で見かけた女性は誰か
・祭りの期間中に事件が集中した理由
・口止めの材料になるはずの大事なネガを手放して
 被害者姉妹に送った理由(&送り主の正体)
・わざわざ輸入品のめずらしいネガを使った理由


未回収の謎を残すことで鑑賞者を惑わせて
考察の底なし沼に引っ張り込む魂胆だろうか。
それこそ「マーシュランド(湿地帯)」のように。