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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ひとつの太陽』

 

原題:陽光普照
英題:A Sun
チョン・モンホン 監督
2019年、台湾

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【あらすじ】

自動車教習所で働く父、
美容師の母、
医大を目指す、品行方正で優秀な長男、
傷害事件に関与して少年院に入った次男。
どうしてもうまく回らない不器用な一家が、
それぞれにもがきながら、生きる道を探っていく。

 


イーストウッドっぽい?】

雰囲気が良くて、優しい映画だ。
中低音域の金管楽器による朗らかな独奏に彩られて、
とてもゆっくりと、物語が進行する。
ハードな事件が次々と発生するが、
その割には不思議とショックが少なく、
あ、そうなんだ~、って感じで見守っていられる。
作り手が登場人物たちに注ぐまなざしが温かい。
そんなこんながどことなく、
クリント・イーストウッド監督の映画を思わせた。

 

【セリフに頼りすぎか?】

登場人物たちの心情の説明において、
セリフに頼りすぎかな、という気は少しした。
でも、それ以外の方法での説明をなまけていたか? 
というと、のちほど詳しく述べてみるが、
別に全然そんなことはなかった。
単に、いつも観ている映画と「文法」が違うので
勝手が違う気がしただけかもしれない。
個人的には台湾製の映画は普段観る機会が少ないし、
台湾という国についても、
文化観、価値観、死生観、何もかも、
未知のことばかりなのだから。

 

 

【心情描写の工夫:光と影】

原題の「陽光普照」は
「太陽はすべてを普く(あまねく)照らす」
という意味らしくて、これは一家の長男アーハオが
ガールフレンドに聞かせた、とある話の中の言葉だ。
この映画にとっての、キーワードにもなっている。
この映画においては、光と陰翳が、
登場人物たちの状況や心情を表現するのに
とてもうまく用いられているのだ。

例えば冒頭、
アーフーとその悪友ツァイトウが事件を起こす場面。
このシーンは視界不良の雷雨の夜に繰り広げられる。
アーフーの過ちが、一家の運命を狂わせる、ということを
この夜の大雨が雄弁に物語っているのでは。

実際、アーフーの事件以降、
特に長男と母が登場する場面は、暗いものが多くなった。
長男は、親の期待が自分に一層のしかかるであろう未来に
責任というよりはプレッシャーを感じていたようだった。
そして母は、出来が悪くても次男アーフーを案じ、
彼の少年院での生活やら将来のことやら
あれこれ思い悩んで、心を痛めている。
家族の未来を憂う、まじめな二人だ。
だから、彼らは暗闇の中にいる。

でも教習所の教官の父は、妻や長男とは真逆だ。
いつも、わざとらしいほどカンカンの日差しの下にいる。
彼は、やんちゃな次男を、傷害事件を機に完全に見限り、
俺は知らんもんね! とばかりに仕事に精を出し始める。
次男の事件の被害者家族が職場に乗り込んできて、
慰謝料を払え! と騒ぎ立てるアクシデントが起こるが、
それでも、しんきくさい家にいるよりも、
働いていた方がずっと気楽だ、といった感じ。

だけど、ある時、一家にさらなる大事件が起こる。
この場面は、朝まだきの濃い青色の中にすべてが沈んでいた。
次男の事件とかいろいろあっても、
これまでは何とか踏ん張って来た一家だが、
ここで、奈落の底の、さらに底へ、叩き落とされた。
あの未明の集合住宅のシーンは、でも、きれいだった。
この映画の中で一番好きな映像だったかも。

この光と影の条件設定に、明らかな変化が生じたのは、
アーフーの年下の彼女シャオユーの妊娠が
判明するあたりからだ。

母はシャオユーと孫のケアに生きがいを見いだす。
これまでは夜の店の女性たちを顧客としてきたが、
シャオユーの将来のためにテナントを借りて、
日中の美容室を開業することを決意する。
陽の光を浴びて開業準備に奔走する彼女は
元気を取り戻してかなり健康そうに見える。

一方、家族に背を向け、
仕事にばかり打ち込んできた父親の方は、
夜の幻影に、惑わされるようになっていく。
刑期を終えて出所してきた次男とも
なかなか素直に向き合うことができず、
不器用な彼は、孤独の中、徐々に思い詰めていく。

出所したアーフーは、人生を立て直そうと必死だ。
しかし、そこに前述の悪友ツァイトウが現われ、
アーフーを暗い闇の世界へ引きずりこもうとする。
「お前のせいで俺は散々な目に遭ったのだから
 お前だけ幸せになるのは許さない」
そんな感じの、陰湿な絡み方だ。

アーフーは仕事をかけもちし、妻子のために頑張る。
だが、カーショップの仕事の当番は「夜」であり、
洗車を任されている高級車は「漆黒」のベントレー
かけもちのコンビニ店員の仕事も「深夜」シフト。
闇との縁が、まだ完全には切れていないことが、
そこかしこから感じ取れる。
アーフーを常に「夜」の中に配置することで、
彼の暮らしがまた不安定で、
いつ何が起こるかわからない・・・ということを、
暗示していた気がする。

そして物語は、
オープニングと良く似た、雷雨の夜を迎える。
・・・
できすぎと言っても良いくらい、
良く考えられた表現手法ではないだろうか。

 

【笑わせようとしてくる豪胆さ(笑)】

唐突に投げ込まれるユーモアには笑った。
アーフーの獄中結婚の場面。
なんでおやじさんが血圧測ってたのか謎(笑)
測定器のやっすい電子音が静かな室内に響き渡り
気まずさMAXでわたしの胃がキリキリと軋んだ(笑)
婚姻の手続きをする役人(あるいは聖職者)たちも
おもしろすぎた。
ああいう所で笑わせようと仕掛けてくる
作り手の神経がスゴイよ。もう、サイコだよ(笑)

少年院の仲間たちが、
アーフーの出所を祝福する場面は良かった。
最初は殴り合いのケンカとかしていたのに。
とても感動的で、泣きそうになった。
この祝福のシーンは、ぜひ、実際に鑑賞して、
ご自分の眼で確認してみて欲しい。

 

【ガンコ親父が走り出す】

四角四面で、口ばっかりで、
とにかく不器用な父親と、
それに粛々と従わざるをえない妻子。
旧式できゅうくつな「家族観」を内面化し、
その内側に閉じ込められた家庭の
崩壊と再生の物語だった気がする。

あの父親は、けっして悪い人ではないんだけど、
まあ、絶望的なまでに古くて、ガンコなのだ。
俺のこういう所が良くないんだ、
家族をばらばらにしてしまったのは俺なんだ、と、
仮に自覚できたとしても、
今さら自分を変えられる柔軟さも、若さもない。
でも、でも、今のままでは・・・。
そんな思いに駆り立てられて、父は突如、動き出す。
もう、問題がコジレにコジレてどうにもならなくて、
ものすご~~~く長大な補助線を引っぱらないと、
解が導き出せなかった、というのが伝わってきて、
切なかった。

 

【この家族だけが特別なのか】

光ある所必ず闇がある、と良く言われる。
「陽光普照」、つまり
「太陽はすべてをあまねく照らす」のであれば、
太陽の恩恵を受ける者、つまり、すべての人間が、
何かしら必ず、負の側面、闇の側面を
背負っていることになる。
『ひとつの太陽』の登場人物たちは言わば、
この人間存在の真実を象徴する存在なのであって、
彼らだけが特別に不幸とか、特別に間違っているとか、
そういうわけではないのだと思う。

闇を背負った人びとの、
かなしみを描く物語にも関わらず、
鑑賞後には不思議と心があたたまっていた。

愚かで哀しい「人間」と、「家族」への、
作り手の思いが込もった、良い映画だ。