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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ブレッドウィナー/生きのびるために』

 



原題:Breadwinner
ノラ・トゥーミー監督
2017年
アイルランド、カナダ、ルクセンブルク

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www.youtube.com


2001年、米同時多発テロ事件直後のアフガニスタンを舞台に
ある少女の闘いを描き出す物語だ。
タイトル『ブレッドウィナー Breadwinner』は
「(一家の)稼ぎ手」という意味だそうだ。
本作品の監督は、パキスタンの避難民キャンプに通って
そこに身を寄せるアフガニスタンの女性たちに取材し、
この映画のストーリーを作り上げたとのことだ。
2001年という設定を踏まえて鑑賞して欲しいと思う。
そんなつい最近のことの物語だとは信じられないだろう。

 

 

【現実と『お話』の世界】

ヒロインのパヴァーナは、つらい暮らしの中にあっても、
「お話」の世界で遊ぶことで、希望をつないでいる。
それは、パヴァーナの家族たちも同じだ。
『ブレッドウィナー』は、
現実世界で彼女たちが直面する困難と、
彼女たちが心の支えにしている「お話」の世界とを、
並行して描いている。
この両軸はそれほど露骨にリンクするわけではないが、
確実に関連している。
「お話」の世界のディテールを検討したら、
パヴァーナたちの闘いの内容も、かなり見えた気がした。

 


【お話:『ゾウの王から種を取り戻した少年』】

パヴァーナが劇中で語る、
「ゾウの王から種を取り戻した少年の物語」の概要はこうだ。
村の作物の種が、恐ろしいゾウの王に奪われてしまう。
種がないと一年の糧となる作物が作れず飢えることになる。
悲嘆に暮れる人びとの姿を見た、村の少年は、
種を奪還するため、ひとりでゾウの王のすみかへ向かう。
道中で出会った老女が、ゾウに打ち勝つヒントをくれる。
戦いの前に、3つのものを揃える必要があるのだという。

1.something that shines 光るもの
2.something that ensnares   わなにかけるもの
3.something that soothes  なだめるもの

旅の中でこれらをクリアしていった少年は、
ついにゾウの王との対決に臨み、種を取り戻す。

このお話、細かく見ていこうと思えば、
興味深い所がもっとたくさんあるのだが、
わたしが特に印象的だったのは、やはり
お話のカギとなる「3つの備え」だった。
この角度から『ブレッドウィナー』を読み解いてみたい。

 

 

【『3つの備え』:獲得するか、棄てるか】

パヴァーナとその家族が
現実の苦難を乗り越えるためにも
ある3つのものが、非常に重要となっていた。
ただ、少年の物語とパヴァーナのとでは、違う所があった。
少年の物語における「3つの備え」は、
道中でゲットする、具体的なアイテムに加えて、
出会った人に頼まれて何かをやってあげるとか、
みんなにバカにされている誰かに優しくしてあげるとか、
そんな善い行いによって知らず知らずのうちに積んだ徳、
それが結果的に「3つの備え」のひとつだった、
という形になっている。
モノを揃えて、戦いの準備をするように見えて、
実は「心構え」を調えていく、という側面もあるのだ。

でも、パヴァーナたちの場合はそうではない。
揃えるとか、調える、とかではなく、むしろその逆だ。
3つのことをあきらめたり、手放したりする。
何のためにそうするのか。それはもちろん、
「生きのびるため」だ。

では、パヴァーナらの闘いにおける

1.something that shines 光るもの
2.something that ensnares   わなにかけるもの
3.something that soothes  なだめるもの

とは、何だったのか?

 

 

【something that shines 光るもの】

わたしが考える所によれば

something that shines 光るもの

は、「ドレスの飾り」だ。
一家で唯一の労働力だった父が刑務所に入れられたので、
次女のパヴァーナが、少年の姿に変装して働こうとする。
でも、11歳の少女に本格的な肉体労働などは難しい。
そこで彼女は、宝物のドレスを売ってお金を作る。
この赤いドレスは、物語の冒頭から出てきていた。
きらきら光る石の飾りがついた、おしゃれ着だ。
一家の暮らしが苦しいので当初から売りに出されていた。
パヴァーナは、できれば売りたくない様子だった。
だが、今や選択肢はなくなった。
着られずじまいだったドレスを彼女は潔くお金に変える。
それはすなわちパヴァーナが、
おしゃれという当たり前の楽しみや喜び、彼女の青春を、
生活のために手放した、ということではないだろうか。

 

 

【something that ensnares わなにかけるもの】

これは何だろう。
日本語字幕では「ensnare」は「わなにかける」であり、
少年の物語ではその通り、戦いの中でワナの工夫が活きる。
だが、自分なりに調べてみた所、「ensnare」は、
「誘惑/誘惑して~させる」という感じを含むらしかった。
そこから、ちょっと発想を飛躍させて、考えてみた。
パヴァーナたちの「something that ensnares」は、
「女性のアイデンティティ「結婚」
ではないだろうか。
その二つを生きるために投げ打ち、または妥協した。
これは論理で説明しきれるものではなかったので、
以下に述べることからおおづかみにしてもらえたら
とても助かるが。

まず、タリバン青年団員の少年が、
パヴァーナにことあるごとにつっかかっていくのは、
本人は無自覚なのだろうが、彼がパヴァーナに、
強く執着しているからに他ならないとわたしは思う。
結婚できる年齢のはずだから妻になれと要求もしていた。
暴力や命令の形でしか、気持ちを表現できないのだ。

パヴァーナの母ファティマは、
この映画の中の、女たちのアイデンティティについて
考えるうえで、参考になるキャラクターに思える。
物語の結末にからむので詳しくは書かないが、
家族離散の危機に直面するシーンで、ファティマは、
従順だったそれまでの様子からは想像もつかない、
驚くべき精神的な強さを発揮して窮地を切り抜けるのだ。

イスラム主義社会の男たちは基本的に
「女は男に従うもの、一人では何もできない存在」
という、男性優位の規範を押し付けることで、
女を支配している所があるようだ。
女たちも、自分や家族の命を守る必要から、普段は
社会のこうした要請に黙って従っているのだろう。
だが「男が導いてやらなければ何もできない」女が、
いざという時に自分の意志を見せ、男に反抗したら、
男は驚くに違いない。
ファティマが窮地で見せたあまりの気迫に、
相手は情けないくらいひるんでいた。

しかし、この映画が十分すぎるほど伝えていることなのだが、
イスラム主義社会において女性が男性に反抗することは危険だ。
女性が彼女らしさを発揮すること、
自分の頭で考えて行動すること、
それ自体が半殺しではすまないくらいの犯罪なのだ。
ファティマたちを追い込んだ男が、反抗されて
こんな捨て台詞を吐いていた。
「(お前の行動は)狂っている。
 (そんなことをしても)死ぬだけだぞ」
社会は、多分、既存の規範に抗ったファティマたちを
地の果てまでも追いかけて罰しようとするのだろう。
それでもファティマは、自己主張をするという命の危険を
冒してまで、家族が共にあることを選択したのだと思う。

パヴァーナの一家が、妥協せざるを得なかったこととして、
「結婚」も挙げられると思う。
家長を失ったことで一家が困窮し、悩んだファティマは
長女(パヴァーナの姉)を嫁がせることにした。
娘の嫁ぎ先に一家で身を寄せて食べさせてもらうのだ。
タリバン政権下では女性の行動や労働が制限されており、
一人で外を出歩く女など発見されれば袋叩きに遭う。
男手のない家は水の確保も命がけだ。
でも、それでは早晩、餓死することになる。どうするか。
考えられる打開策は、他家との縁組しかない。
花嫁の意思を考える余裕はない。
(「(結婚相手は)会ったこともない親戚」と言っていた)
多分これは、強権的イスラム主義社会で生きる庶民たちが
命をつなぐために、かなり普通に行っていることなのだろう。



【something that soothes なだめるもの】

最後に、
something that soothes  なだめるもの は、何か。

パヴァーナと父が、合言葉のようにささやき合う詩に

Raise your words, not your voise
It is rain that makes the flowers grow. 
not thunder.

という一節があった。

「声でなく、言葉で伝えてください
 花は雷ではなく、雨によって育つのだから」

この「声」は、「怒鳴り声」「罵声」のような、
相手の心を抑えつける強いものを指すのだろう。
「soothes」には「心癒す真実」「打ち明け話」
ニュアンスがあるらしい。
「ゾウの王から種を取り戻した少年の物語」では、
少年が、ある哀しい打ち明け話を聞かせることで、
怒り狂うゾウの王を鎮める筋書きになっている。

「声でなく、言葉で伝えてください
 花は雷ではなく、雨によって育つのだから」
本作品のメッセージとしてこの一節をとらえる時、
具体的には、どう解釈するべきなのだろう。
わたしはこんな感じかな・・・と とらえた。

「われわれはみんな、それぞれに傷付いている。
 みんな、誰かしら愛する者を失ってきた。
 ならば、もう縛り合うのはやめて、優しくしあおう。
 お互い事情がわかり、哀しみを共有できるのだから。
 そこから、すべてを新しく始めよう」

この映画はあくまでも映画、お話だ。
現実のアフガニスタンや、
政情不安を抱える世界の各地域には
この映画の描写程度ではすまないような
困難に見舞われている人たちがたくさんいる。
そして、その大きな課題を解決していく手段は、
「お話」なんかではない。それはわかっている。
だけど、それでも、わたしたち人間には、
お話が、心癒す優しい言葉が、必要なのではないか。
希望を持ち続けるため、つまり人として生きるために。

また、たとえ甘っちょろいきれいごとに思えても、
多分、世界平和という理想の実現には、
やはり、真摯な、人の思いが欠かせないのだろう。
それはこういうことを信じる気持ちではないかと思う。
「互いの事情と立場を理解し合おうとする
 不断の努力がいつかきっと実を結ぶはずだ」。

がむしゃらに頑張ればいつか世界平和が実現するよ、
と言いたいわけではない。そうではなくて、
「努力ではどうにもならないことはわかっているが、
 それでも努力なき所に世界平和はありえないのだ」
という痛ましいような信念だけが、
人間の営みを統制するシステム、すなわち「施政」に
生きた人間のぬくもりを加えてくれるのではないか、
ということだ。

映画は、一輪の花が開いて、ツルをのばしていき、
画面いっぱいに広がっていく映像で幕を閉じる。
何度も言うが、映画は映画だ。お話にすぎない。
だが、この映画でパヴァーナという少女を知ること、
苦難の中で生きる現実の女の子たちの存在を思うこと、
それがムダなことだとは、誰にも言えないだろう。
一つの花が咲き広がるこの映画のエンディングのように、
「知ること」が、世界の未来を優しく花開かせる
一粒の「種」になっていれば良いと思う。