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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

Netflixドラマ『FOLLOWERS』-第9話

 

英題:FOLLOWERS
蜷川実花監督
全9話
2020年2月27日全話一挙配信(完結)

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www.youtube.com

 

【第9話 あらすじ】

完成させた映画を何とか発信しようと奮闘するなつめ。
我が子の病気で仕事に遅れを出してしまったリミは、
自分の選んできた道が誤りだったのかと悩み始める。
スエオと結ばれたエリコが選ぶ、新しい生き方とは。
あかねはマンションの隣人男性と仲を深めていくが・・・。
そして今年も、女性の活躍を称える表彰式が
華やかに催される。
プレゼンターのリミは女性たちにどんなエールを送るのか。




【これだけは解消しておきたい『FOLLOWERS』の疑問】

やっと最終話だ・・・
できることなら一刻も早く
脳からこのドラマの情報を消去したいが、
その前に、考えておきたいことがひとつ。 
それは、前にも、ちらっと言ったんだけど
つまり、こういうことだ。

「主人公であるところのリミが、
 ちっともステキな大人に見えず、
 むしろ非常にみじめな立場に
 追い込まれていっているように見える。
 これは製作者側の意図によるものか。
 そうであるならば、そのことによって
 製作者は一体、何を言おうとしたのか」

そして個人的には、この疑問への答えは
最終話における リミとあかね に
見出せたように思われた。

 

【それぞれの選んだ道:エリコとゆる子】

これまでにも指摘してきたことだが、
リミたちって、ものごとへの対処のしかたが
とても短絡的だ。
何か困ると、すぐ人間関係をリセット。
困ったら、人との関係を切って、
自分だけ先に進む(逃げる)ことで解決する。
エリコが、会社経営は若い子たちに任せて
あたしは夫と農園をやるわ! とか言い出したのも、
ゆる子ちゃんが、せっかく結婚したのに、
あっさり出戻って来たのも、
彼女たちの「人間関係リセット癖」と
「傷付きたくない病」との合併症状が
顕著に出た結果だとわたしは思う。
なまじ経済力があるから、行動がダイナミックで、
なんかカッコ良いことやっているように見えるけど、
要するに、切って逃げての繰り返し(笑)

エリコとゆる子の8~9話における行動は
今 紹介した通りだ。
残るはリミとあかねなのだが、
先にリミを見てみよう。

 

【リミの選んだ道は『謎』!!!】

リミちゃんはね~え、
・・・
実の所、一体どうなったのかよくわからない!
マジか! 
おいっ! ほんとなんなんだこのドラマ!
行動の内容はどうあれ、一応この最終回では、
登場人物がみんな
「それぞれの道を選び取って前に進む」
という結末を迎えていくのに、
リミの道は、まったく不明!
主人公なのに! そんなのアリか!

彼女、大事な仕事で失敗してしまって、
最終話の序盤で、顧客に謝罪に行くんだけど、
結局、取引を切られてしまって、泣いてた。
そりゃもう、ひどい落ち込みようだったよ。
飛び降りちゃうんじゃないかと心配したわ。
でさ~、あれだけのことがあって、
そのあと何かこう、心境の変化とか・・・
育児と仕事を両立するフォーメーションの再考とか
具体的に・・・リミちゃんさ、何か考えないの?
何かしようと思わないの?
何かないと、わからないんだけど。
ないんだよ!

ただ、リミにとって都合が良いことが
最終話でいろいろ起こってはいた(笑)
まずゆる子ちゃんがね~、帰って来てくれたでしょ~。
ゆる子ちゃんはデキる子だから
手土産に大きな仕事を取って来てくれたので、
失った取引分を補って余りある結果となる。
さらに、なんと「子どもの父親やっぱタミオかも説」浮上。
リミのお母さんとタミオが「偶然」つながって、
タミオと再会できる日も近いようだった。
・・・

この通り、欲しいものは全部手に入った。
だけど、リミが自分で考えて決めたもの、
それを獲得する代わりにリミが手放したもの、
リミが自ら変えたもの、行き先、目的・・・
どれひとつとして、物語の中で描かれない。
謎過ぎる。
なぜ主人公のリミだけ、行動も思考も
こんなに停滞してしまったんだろう。
もう最終話だっていうのに。




【元もとは何を言おうとしたドラマだったのか】

強いて言うならば、だが、
なつめの自主製作映画を観たリミが、
「若いって良いな、まぶしいな」みたいなことを
呟いていた。で、その直後、
例のウーマンなんとかアワードのスピーチで、
「わたしは、彼女たちの作品と
 世代との出会いを通して」、
勇気をもらいました、的なことを語る。

ドラマ『FOLLOWERS』のメッセージって
元もとは、この辺にあったんだろうな。
単純に、
世代を超えて刺激しあい、一緒に成長しよう!
わたしたち女性が、社会を元気にしよう!
そんな感じのガールズエンパワーメント路線で
行くつもりだったんじゃないのかね。

それが、多分どこかで話がおかしくなったんだよな。

「彼女たち」にパワーをもらった、と語るリミが
その力を自分の人生にどう生かすつもりなのか、
言葉でも行動でも一切、示さずじまいなので
このスピーチも、脚本上、無価値と言う他ない。

なぜリミだけが特に、こうなのか。
彼女だけ、何もわからなくて、
何かした、って感じがない。

まあ今のリミには、赤ちゃんのお世話という
大事な仕事があるので、写真家活動の方は
セーブしていくのかな、みたいな。
じゃあ若い世代から受け取ったパワーを
今は静かに蓄電しておくのかな、みたいな。
そんな風に解釈してあげるのが現実的・・・なのか?

 

【リミだけに与えられた『仕事』】

元も子もないことを言うようで恐縮なのだが、
「リミの出産」は、最終回にこそ持ってきた方が
ポジティブで、動きのある終幕になったのでは。
冷静に考えてみれば「出産」「育児」ほど、
「オラに元気を分けてくれ!」な仕事もないよな。
体が裂けて血まみれのなかやっと生み出した人間に、
休息時間を削り、自分自身の血液を分け与えて、
その子が死なないように生命維持活動を助け、
食わせて、風呂に入れ、服を着せ、教育を施し、
小遣いもやり、生意気を言われてもひたすらに耐え、
独り立ちできるまで、18年だか育てる・・・
スゴイ仕事だ。こんな偉業が他にあるだろうか。
しかも報酬は支払われない!!!

女性と仕事、女性の活躍、女性の社会進出、
『FOLLOWERS』は、そういうことを熱心に言い立てる。
だが人間で子どもを産むのは女だけだ。
それは差別とか多様性とかフェミニズムとかじゃなく
ただの現実だ。
そしてこのドラマの中で「赤ちゃんを産む」という
行動を取るのはリミだけ。
少なくともこのドラマにとって、出産は、
リミだけに与えられた、重大な「仕事」だったのでは。
なのに全然まともに描いてなかった。彼女の出産を。

そうか、
本当に「クライマックス」になるべきだったのは
リミの出産、だったのか・・・。
なのにリミの出産エピソード結構早めにスルーしたよなあ。
ドラマ的には、そりゃ産んだらリミはお役御免だよな。
リミというキャラクターの、作中における稼働率が、
「出産」を境に休息に低下していき、
最終話で完全にゼロに。・・・それも道理だわ。
だって彼女の仕事、終わっちゃったんだから。
もちろん、蜷川実花監督は、
ママになったら女は社会で活躍できません
なぜならママになったのですから!
と、言うためにこのドラマを作ったのではない、と思う。
でも、哀しいかな結果的に『FOLLOWERS』は、
まさにそのことを指し示して終幕しているのだ。
このドラマが、
「ヒロインの完全なる停滞」を描き出して終わる
というシュールにもほどがある終わり方をしたのは、
製作者が意図したものじゃないと思う。
脚本に重大な不備があったために「そうなってしまった」のだ。
『FOLLOWERS』の脚本を書いた人は、
この物語におけるリミの「仕事」が何であるかということを
誤認してしまっていたんだろう。



【あかねは隠れたキーパーソン?】

先に述べたように、
このドラマが本来言わんとしていたことは
世代を超えてエンパワーメントし合おう!
女性の力で社会を元気にしよう!
・・・多分そんなことだったのだろう。
そしてこれを体現するキャラクターがちゃんといた。
それはリミでもエリコでもゆる子でもなつめでもない。
あかねだ。

あかねは会社と袂を分かって独立、秘蔵っ子SAYOを
バーチャルアイドルとして生まれ変わらせるのだが
この映像製作か何かで(詳細な説明はなかった)、
彼女はどうも、なつめたちの力をかりたらしかった。
なつめなんて身の程知らずの生意気な口をきいて、
あかねの元から去っていったタレントだというのに、
その若造に自分から接近して、頭を下げたのか。
あかねはなかなか柔軟だし、真摯だよなあ。
頑固で旧い「リミちゃんのお友だち」にしてはね。
ビジネスパーソンとしての胆力が段違いだ。
次期社長候補などと言われていただけある。
正直言って、あかねのこと、ちょっと見直したよ。

 

【キャラの重要度の設定がおかしい】

そこからいくと、このドラマ、
キャラクターの重要度の設定というか
力点の置き方もビミョーだったんだろうな。
リミの物語上の「仕事」が「出産」なら
あかねの「仕事」は、仕事でしょ、明らかに。
もっと、リミとあかねの対照性を
ゴリゴリ押し出すべきだった、ということになるね。
でもあかねって、実際には重要度低い役だったよな。
リミ勢の中で、一番目立ってたのは明らかにエリコだ。
エリコこそ役回りという意味ではむしろコモノだったのに、
ドラマ全体で見ても、ダントツ一番目立ってた(笑)
夏木マリさんがカッコ良すぎたのだ(笑)

リミと、次世代サイド代表のなつめが
直接出会う瞬間を、わたしはずっと待ってた。
なつめがリミの古い価値観や臆病な思考様式を
ダイナミックに喝破する展開に、心から期待してた。
でも、リミが予想以上にお気の毒な扱いとなり、
役としての稼働まで、ストップしてしまったからな・・・
リミとなつめの激突どころではなくなってしまった。

ただ、一応、エピローグで、リミとなつめは邂逅した。
いろいろ経験を積んで自信がついたらしいなつめは、
リミのカメラの前で、のびのびとポーズを取る。
若さと希望にあふれ、輝くように美しいなつめを
リミは本当にまぶしそうに見つめていた。
不憫だ・・・リミが輝いていないわけではないのに。
単純に、脚本の問題で、リミの方がほんのちょっと早めに
仕事が終わってしまった、というだけのことなのだ。
なのにあれは、あまりにもアレな幕切れだよな。
「若いってステキね。
 わたしはもう何もできないわ。
これからは半隠居みたいな感じで
気が向いた時に、この子みたいな
輝いてる若い子を撮ろうかな。
(ちなみに育児はお母さんに丸投げよ)」
とか考えているようにさえ見える・・・
なんてむごい結末だ。

 

もし監督が最初から意図して、
リミをこういうみじめな役回りにしたならば、
とても斬新で残酷な試みだと、思えたと思う。
子どもを産んだら女は社会的にお役御免、
もう活躍しなくなるものなのです、・・・なんて 
今の主たる社会的潮流に真っ向からケンカを売る
野心的スタンスに他ならない。
もしこのドラマが本気でそれを言おうとしたならば、
おっ、おもしろいことやろうとしてるな! 
って、思ったと思うよ(主張が正しいかどうかは別として)。
ただそれは、作品の完成度さえもっと高ければ、だ。

このドラマの完成度は最低レベルと言わざるを得ない。
監督がそのつもりじゃなくてもこの作品は、
ムダなメッセージとか信号とかを発しまくり、
わたしをモノスゴく混乱させる・・・。
一生懸命、肯定的に考えようとしてきたけど、
徹頭徹尾、全方位的に、意味不明な物語だった。
わからないなりに押し通して見せる爆走力もなく、
観ていて、ただ、ひたすらに疲れたのだ。

仮に何か、構造的におもしろいことをやったつもりでも
これじゃあ、ただ単に監督のひとりよがり、
そして監督の「あきれるほどの見識不足」、
そういう話にならざるを得ない・・・

残念だ。
心情的になぜか今スゴクしんどい・・・
このドラマをもう二度と観なくて良いという幸福感に
ひたれるようになるまでには、今少し時間がかかるかも。

個人的に心配なのは、このドラマのキャスト陣のことだ。
役者さんたちには何の落ち度もなかったとわたしは思う。
彼らはみんな与えられた仕事を完璧にこなしていた。
このドラマに出たことが、
彼らのキャリアの汚点とならないよう、
祈らずにはいられない。