une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『エル ELLE』

原題:Elle
ポール・ヴァーホーヴェン監督
2016年
仏・独・ベルギー

f:id:york8188:20200522183033j:plain

www.youtube.com

2回観た。
ミシェルという特異な、言わば「怪物」と
彼女を相手取るにはあまりに弱すぎた、男たちとの
残酷な対比を描き出した物語だった気がする。

当たり前のことを言うようだが、
鑑賞者を90分でも2時間半でも、
その映画の世界に集中させるには、
ストーリーやキャラクターの設定に、
リアリティを持たせる工夫が絶対に必要だろうと思う。
どう考えてもありえないだろ! っていう物語でも、
少なくとも上映時間の間だけは、
鑑賞者に「ありえる!」と、信じさせないといけない。

わたしは、映画を観終えたあとに
「良く考えるとアレっておかしいよな~」って、
設定上のおかしな点や、不備に気付くことは割とあるし、
それは別に、あっても良いよな、と思っている。
でも観ているその最中は、
「おかしいよねえ?」とか絶対に思いたくない。
それは、鑑賞中に我に返らされる、ということを意味する。
そんなこと一瞬でもあったら、すっごく幻滅してしまう。
「ツッコミ待ち」の作品というのも世の中にはあるので、 
そういうのであれば、もちろん話は別なのだが・・・。

『ELLE』は、
ヒロインの素晴らしいキャラクター造型という点で
「作品内における絶対的なリアリティの構築」という、
優れた映画に必要なことを、高度に達成していたと思う。
わたしはミシェルという人物の特異性にすっかり夢中になった。
ミシェルは多分、「狂人」あるいは
「超人」の域に達している人じゃないかと感じた。

良く考えると、ミシェルのような人が
実際に存在することはまずない、と
言わざるを得ないと思うのだ。
父親が無差別大量殺人の罪で終身刑で服役中、
そのせいで幼い頃からメディアリンチを受け、
世間の好奇の目にさらされ中傷されてもきた。
警察機構への不信感も強い。
そんな風に育ってきた人が、社会を信頼し、
心すこやかに成長できるとは考えにくい。
不名誉な形で顔と名前をみんなに知られているのに、
会社経営者の地位にまでのぼりつめ、
まがりなりにも家庭まで持つ、
こんなことが可能だろうか?
完全にムリとまでは言わないが不可能に近い、
それが現実じゃなかろうか。

でも『ELLE』のミシェルは
その「不可能に近い」ことを成し遂げた人として描かれる。
とすると、
彼女の精神の強さたるや、並大抵のものじゃない。
とてつもなく狂人、いや、強靭ということになる。
この映画では、実際、
ミシェルの驚嘆すべき強さがこれでもかと描き出される。
自分の望む人生を手に入れるために、
自分と関わるすべての人を、喰らい尽くしてきた。
そういう人物として描かれていたと思う。

ミシェルの性的嗜好には、
相当アブノーマルな所があるのだが、
これも社会的圧力の中をサバイブしようとした結果、
カウンター的に芽生えたものだったんじゃないかな。
「類は友を呼ぶ」で、彼女のアブノーマルさは、
変態性欲者の隣人・パトリックを惹き付けてしまい、
二人は危険な肉体関係に陥っていった。しかし、
パトリック程度のヘンタイでは太刀打ちできない。
ミシェルは、彼をも頭から丸呑みにしてしまうのだ。

『ELLE』のストーリーの中でミシェルは、
「命」に関係するさまざまな事件に遭遇する。
小鳥の死のようなものから始まって、
母の急死、服役中の父の死、パトリックの死、
親友アンナの子どもも、死産だったらしい。
それから、初孫の誕生。
彼女の身辺で起こるこれらの鮮烈な事件は、
他者への共感力が高いとは言えないミシェルの心にも
それなりに変化をもたらしたようだ。
ミシェルは、
「これからは他人を傷つける嘘をやめる」と言い出し、
まずアンナに、彼女の夫と不倫していた事実を告白。
パトリックにも、彼との不健全な関係をやめると宣言し
また彼の行為を警察に通報すると告げた。

パトリックがミシェルの宣言を
どう受け取ったかは、微妙な所だったが。
パトリックは何しろ変態性欲者で、
危険なシチュエーションに興奮するタイプだ。
「妻にバレちゃうかも」とか、
「警察に通報されるかも」とかいうことも、
情事のスパイスくらいにしか思ってなかったのでは。

でもいずれにしてもミシェルは、
パトリックとの間違った関係をやめると、決断できた。
でも、パトリックはそれができない人だった。
不倫が大切な妻を傷付ける行為だとわかっていても、
自分の欲求を満たす行為をやめられない。
このあたり、ミシェルの「強さ」と、
パトリックのもろさが際立っているように思う。
でも、これは
ミシェルを極度に同情的に評価しての「強さ」だ。
もっと深読みすると、話が変わってくる気がする。
確かにミシェルは彼女なりにいろいろ考えて、
「これからは他人を痛ぶって楽しむような
 生き方はやめよう」
と考えたのだろう。
でも、パトリックとの関係については、
これを本当に清算したいと思っていたのか謎だし、
彼をこんな風に扱うなら、結局、他の人間のことも
同じように扱っていくんじゃないか、という感じがする。
というのも、
そもそもミシェルは大変な警察嫌いで、
警察と関わり合いになることを忌避していたので、
パトリックの行為を本気で通報する気だったか微妙だ。
それに、パトリックと別れた直後、ミシェルは
戸締まりを徹底せずに家に入った。
何度か背後を振り返って外をうかがい、
パトリックが追って来るのを待つ様子も見せた。
案の定パトリックが家に侵入してきて彼女を襲う。
ミシェルは反撃したが、形ばかりの抵抗に見えた。

パトリックを撃退したのはミシェルの息子だ。
息子が追いかけて来てくれるであろうことを
ミシェルは始めから読んでいたっぽかった。
自分の人生からパトリックを永遠にしりぞけるために、
息子を利用したのではないか。自ら手を下すことなく。
ただ、息子にパトリックを殺してもらうことまでは
期待していなかったかもしれない。
それどころか、息子が来てくれなかったとしても
別に構わない、とさえ思っていたかも。
あの局面でパトリックを撃退できなくても、
単に、彼との関係がもうちょっとの間続くだけだから、
ミシェルとしては、そんなに困らなかったはずなのだ。

暗い過去を「バネにした」と言えば聞こえは良いが、
自己正当化の材料にし、周囲の人間を不幸にしてきた、
それがミシェルのこれまでの人生だったのだと思う。
そういう生き方は良くない、と気付いたために、
彼女なりにいろいろと改悛を試みたようだが、
パトリックとの関係は、
「ま、終わるまでは続けても良いかな」と
思っていたんじゃないかな・・・。

この映画はミシェルのレイプ被害を端緒として始まる。
暴行を受けたという点において確かに彼女は被害者だ。
だけど、人生という、もっと大きな枠組みの中の
レイプ被害、ということで考えてみると、
ミシェルは結局、レイプされたという事実さえも
自分の人生に効率的に働くように、
利用してきたように見える。

過去に重い影を落としてきた両親が死んだ今、
人生やり直そうかしら、と思ったこと自体は本心だろう。
でもパトリックの扱いを見る限り、彼女の生き方は
これまでも今後もあまり変わらないんじゃないか。
「いつ私の前から消えてもらっても良いんだけど、
 性の相手として役に立つ間は利用させてもらおうかしら」
みたいな感じだとしたら
パトリックを意思ある一個の人間として扱っていない点で
これまでの人間関係の作り方と何ら変わらない感じだし、
それを変革していくには相当時間がかかるのでは。

でも中には、
ミシェルの何もかもを知っていながら、
それでも彼女を愛する人間がちゃんといる。
親友のアンナだ。
アンナは夫とミシェルが寝ていたことを知っても、
ミシェルとの関係を切ろうとはしなかった。
母の墓参りをしていたミシェルの所にやってきて
彼女と和解し、しばらく同居しようと話し合う。
「あなたの夫を好きでもなんでもなかった。
 ただ寝たかっただけ」
ミシェルのひどい言い草を、アンナは
「言いわけにもならない」
と手厳しく退けたが、眼は優しく笑っていた。
ふたりが楽しそうに語り合いながら、
墓地をあとにするラストシーンを観た時、
「うわあ・・・ 
 これからもミシェルは
 周りの人間を食い物にして
 幾多の屍を積み上げながら
 パワフルに生きていくんだろうなあ・・・
 なんならアンナもそれに協力するんだろうなあ」
と連想して、ちょっとゾっとしてしまった。