une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ゴッホ 最期の手紙』

原題:Loving Vincent
ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン監督
ドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマン、ヤツェク・デネル脚本
2017年、ポーランド・英・米合作

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芸術家ゴッホがフランスのオーヴェルで拳銃死を遂げて1年。
人生にちょっと行き詰まってジリジリしている一人の青年が、
ひょんなことから一通の古い手紙を預かり、
本来受け取るはずだった相手に届ける役目を務めることとなる。
その手紙は、今は亡きゴッホが弟のテオにあてて書いたもの。
投函されず、ゴッホの死の床となった宿に残されていたのだった。
1年越しのメッセンジャー役を、イヤイヤ引き受けた青年だが、
生前のゴッホと接点のあった人びとから話を聞くうちに、
ゴッホの最期について疑問を抱くようになっていく・・・。

いまだ真相が判明していない「ゴッホの最期」をめぐって
静かに繰り広げられる、サスペンスストーリーだった。
結構ちゃんとセリフ劇で、ちゃんとサスペンスだった。
映像表現の手法の斬新や美しさを楽しむだけの作品に
止まってはおらず、その先のことをやろうとしていた。
そこに作り手の心意気を感じて好感を持った。
作り手がやろうとしていた「その先のこと」とは多分、
「生前のゴッホはきっとこういうことを
 思っていたんじゃないかな」
ということを、
ゴッホの絵画を動かして物語る」
という手法によって再現する、というものだった。
本当に相当愚直に、真剣に、それに取り組んだようだった。
エンディングを観ていて驚いたのは、
ほんのちょっとしたシーンにも、
まったく手を抜いていなかったらしいことだった。
物語の主要なキャラクターだけでなく、
一瞬、画面上に登場するだけのキャラ・・・
例えば、ゴッホが、可愛いねえと言ってだっこした、
よその家の子とか、そういうちょっとしたキャラでさえ、
適当に架空のモブキャラを作ったのでは断じてなかった。
ゴッホと付き合いのあった人やその子孫が保管していた、
古い写真に写り込んだ人などを細かく検討し、
雰囲気の良く似た役者を念入りに集めて、
ひとつひとつのシーンを作りこんでいったらしい。
まじめ~。

この物語の中では、
ゴッホと関わった人で、心ある人はみんな、
ゴッホの孤独とその死について、
それぞれの形で責任を感じてしまっていた。
自分があんなことを言ったから、
ゴッホが傷付いたのではないか。
自分があんなことをしなければ、
ゴッホはあそこに行かなかったのではないか。
そんな風に思ってそれぞれに悔やみ、
気に病んでいるように見えた。

彼らはみんな、
ゴッホの死という、過去のある特定の時間の中に
自ら閉じこもっていて、
そこから出ようしている感じの人はいなかった。
ゴッホが死んでやっと1年という設定だったので、
ムリもないかもしれないが。
「あいつは人に迷惑をかける変人で、
 不気味な行動が多くて、町の鼻つまみ者だった」
そんな風に決めつけていられる人たちの方が、
よほど人生がラクに見えた。

心に癒えない傷を負ってしまった、
大勢の人たちを見るのはつらかった。
ゴッホにしてみれば、
自分が死んだことによって、
周りの人びとをこんなに悲しませるつもりは、
さらさらなかったと思うので、
遺された人びとがこんなに苦しんでいることを、
もし天国のゴッホが知ったら、
さぞかし心を痛めるだろうな、と感じた。

人と人との関係というのは難しい。
ちょっとした一言や何の気なしの言動が、
大切だった人間関係を、修復不可能なほど
破壊してしまったりするんだよな~。
失ってみて初めて気付くんだよね・・・、
大切だったのだ、ということが。
それに、人間は、お互いに、
いつ死んで二度と会えなくなるか、わからない。
テオのその後などは、あまりにも痛ましかった。

でも、ゴッホの周辺の人びとにとっては、
そのつらい気持ちも、ゴッホとの思い出の一部、
という感じなのだろう。
だから、どんなにつらくても、
そのつらさを手放したくない、という風にも見えた。

メッセンジャーを務める青年ルーランは、
父親がゴッホと知り合いだった関係で、
生前のゴッホを一応知っているのだが、
他の人たちほど深く関わったわけではなかった。
ルーランは年齢的にとても若いこともあり、
この物語の、未来の希望と言える存在だった。
晩年のゴッホを診ていたガシェ医師が、
ある書簡を、ルーランに譲った。
それは心身とも充実していた頃のゴッホが、
テオに送った手紙の写しであり、
画家の道を歩む決意と希望が明るく綴られていた。
ガシェ医師はルーラン
「これから旅を始める君に、これをあげる」。
このシーンを観た時に、あることを思った。
この映画はゴッホの死についての物語ではあるのだが、
実は、ゴッホがいかに生きたかを語る物語だったのだ。
そして、その生は、これから生きていく人たちに、
確かに美しい何かを伝えようとしていると感じた。
心を病んでいた時、ゴッホはもしかしたら
「自分はこの世界に愛されていない」と
感じたことがあったかもしれない。
でも、彼自身は、いつもこの世を愛していたのだろう。
草木や花や、空の星や、生きとし生けるものを愛し、
可愛い子どもも、若く美しい女性も、老人の顔のシワも
しっかり見ていて、そのままの姿を描き残していた。
彼が人生を、世界を、前向きに受け入れていたことは、
彼の絵を観ればわかるのだ。
「この世界には、生きて、描く価値がある」
間違いなく、ゴッホはそう信じていたんだろう。

思い出に閉じこもってしまった友人たちの心にも、
ゴッホのそんな温かい思いが、いつか伝われば良いのだが。