une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ライド・ライク・ア・ガール』

原題:Ride Like a Girl
レイチェル・グリフィス監督
2019年、オーストラリア

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オーストラリアの名誉ある競馬レース「メルボルンカップ」を
女性として初めて制した騎手、ミシェル・ペインの半生。
10人きょうだいの末娘ミシェルは、早くに母親を失ったが、
にぎやかな家庭のなかで、元気に成長していく。
ペイン家は、子どもの半分以上がジョッキーという競馬一家。
ミシェルも当たり前のように騎手の道を歩み始めるが、
男性優位の旧式な考えが根強い競馬界では、
なかなか出走の機会が得られず、苦悩することとなる。
しかも、やっとこぎつけた大舞台で落馬したミシェルは、
生命が危ぶまれるほどの大ケガを負ってしまう・・・


いったい何がそんなに泣けるのか、
自分でも言葉では説明しきらんのだけど、
涙がひっきりなしに出るわ出るわ大変だった。
そんなに感情を煽り立てる演出は、
されていなかったと思うのだが・・・。
なんでこんなに泣けちゃったんだろう(笑)
ただただ、こみ上げてきたんだよ!

お馬さんはきれいで、高貴で、かわいいしさ・・・

でも、人間たちのドラマも良かったと思うんだよ。

特に、ミシェルのケガの療養期間の所は秀逸。
庭のイスに腰かけて、ウトウトしていると、
仔馬が鼻っぱしらをグイグイ押し付けて甘えてくる。
何してるの、遊ぼうよ、みたいな感じで。
目を覚ましたミシェルの顔を、良く見ると、
片目からひとすじ、涙が伝っているのがわかった。
それを見て、ああ・・・つらかったんだなあ、と思った。
いつレースに復帰できますか、と尋ねたら
医師に呆れられたほど、ミシェルのケガは重篤だった。
事実まったく思い通りにならない体を引きずって、
それでも「まだ道は途切れてない」と信じるのは、
苦しかったはずだ。きっと。
しかもミシェルはこの時、父とうまくいってなかった。
そもそも、お父さんに認めて欲しくて、ほめられたくて、
ムチャを重ねた結果だったのだ、あのケガは。
それほどまでに大きな存在である父と気まずい中で
いつ終わるとも知れない療養生活を送っているのだから
独りぼっちな感じがして、きっと心細かったと思う。

この映画のミシェルは、とても感情豊かな性格なのだが、
泣き顔を見せるシーンは、考えてみると案外少ない。
推測するに普段のミシェルは、どんなにつらくても、
その気持ちを「くやしい!」「何よ!」という
負けん気に即転換することで、心を奮いたたせる、
そうやっていろんなことを乗り越えてきたのだろう。
でも、今回ばっかりは、それじゃムリだったのかも。
私のケガは深刻だ、という現状を受け入れる所からでないと。
私は本当にボロボロなのだ、と自分で認める所からでないと。
何も知らずに甘えてくる、かわいい仔馬の前でだけ、
ちゃんとミシェルは泣いてたよ。
そして、仔馬の背中に乗って牧場を散歩したこの日から、
彼女の快復は、おもむろに加速していくこととなる。

馬が人語を話すファンタジー映画ではないので、
実際の所はわからない、としか言いようがないが、
あの仔馬がミシェルの心に何かを惹き起こした、と
思わされる展開ではあった。
ベテランの精神科医のカウンセリングを1000回受けても、
どうにもならないような、心の凝り固まった部分を、
一瞬でほぐしてしまう何かがあるのかもしれない。
人が、馬と交流することの中には。

ところで、この物語が
「天才女性騎手ミシェル・ペイン」
という感じの話ではなかったことは確実だろう。
ミシェルが天賦の才の持ち主かのような描写は皆無だった。
とはいえもちろん、彼女は実力ある騎手なのだろう。
ケガが非常に多かったうえに、
女性ゆえに出馬の機会自体が絶対的に少なかったなかで、
それでもメルボルンという大舞台の出場権を獲得できたのは、
限りあるチャンスを確実にものにする力があったからのはずだ。

でも、映画のなかのミシェルは、優秀さが強調されてない。
というかむしろちょっと心配になるくらい弱そうだ・・・。
約100分の短い上映時間の中で負けがこみまくっていたし、
お父さんにまで「才能がないのかもな」とか言われていたし。
まあ、お父さんは、娘の負けん気の強い性格を良く知っていて、
あえて冷たいことを言ったんだろうけどさ・・・。

この通り、観ている方としては、
ミシェルは「弱い騎手」と思わされる流れだった。
だからどう考えても、この映画は、
「彼女は天才」「昔から抜群に優秀」みたいに
カッコ良く印象付ける作りではなかったと思うのだ。
でも、ミシェルはメルボルンで勝った。
その事実から、もう一度、この映画で観てきたことを振り返る。
・・・ミシェルには、勝てる騎手にぜひとも必要なものが、
やっぱり確かに備わっていたと思う。
簡単に言うとそれは、
どんな状況でも絶対に騎手であることを諦めない、
そういう気持ちだったんじゃないか。
だって、別に、騎手なんて辞めたってかまわないのだ。
泥だらけになって負けるし、脳挫傷や骨折で死にかけるし、
毎朝3時起きだし、3日で5キロとか殺人的な減量もあるし
つらいことばっかりではないか。
「ヤらせてくれたら走らせてあげる」
「女の騎手は勝てない」
こんなこと言われてまで、続ける必要あるか?

でも、続けた、それがミシェルの強さの秘密ではないか。
レースにちっとも出られてないのに、
部屋に置いたトレーニングマシン(馬の背中の型)にまたがって
汗だくでギコギコやってる所とか、
涙ぐましいを通り越して、
正直言うとちょっと滑稽だったくらいだからな~。

彼女の心には「諦めない」というクセが付いていて、
どんなにつらくても、騎手を辞める選択肢は最初からない。
そして、騎手でいるなら当然、勝ちにいくのだから、
彼女は、勝つことを諦めていなかった。
あの心の強さは、考えてみると、ちょっと怖いくらいだよな。
勝ちたい、という彼女の気持ちのまっすぐさは、
「幼い子ども」さながらだった。
恐れる気持ちや、疑う気持ちがまったくないのだから。

物語のクライマックス、メルボルンカップ
シーンは素晴らしかった。
ミシェルが優勝することは最初から知っているのに
尋常じゃないほどドキドキした。

出走ゲートの隣の騎手に
「今夜の予定は?」と聞かれて
「お祝いするわ」。
カッコイイーーー~!!!

ぶっちぎりの一着でゴールに飛び込むミシェルの
腰を高く上げてピタっと止めた騎乗フォームは、
馬の形のトレーニングマシンでギコギコやってた
あの時の姿勢そのものだった。
きっと、ラストスパートの立ち乗りのフォームは、
ああやってカッコ悪いマシンで毎日ギコギコやって、
筋肉を鍛えておくからこそ可能なものなのだろう。
ミシェルの美しいフォームと、
彼女のリードに応えて、力の限り走る馬を見た時、
やっぱりこれって「天才」とかいうお手軽な言葉で
片付ける話じゃなかったんだな、と感じた。

と、まあ、わたしの感想はそんな感じだ。
ストレートに胸を打つ、とても良い映画だった。
他にも、父親パディ役のサム・ニールの良さとか
ミシェルの制服姿と、水色のリボンの良さとか
個人的にグッと来たディテールを挙げたらキリがないが
まー文章ではとても表現しきれない(細かすぎるし)。

8月6日で劇場公開は終わってしまったのだが、
レンタルDVDでも良いから、ぜひ観てみて欲しい。
メルボルン杯のシーンの、さわやかな熱狂を、
どなたもぜひ、ご自分の眼で観て、
ご自分の心で味わっていただきたい。