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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ザ・ライダー』

 

 

原題:The Rider
クロエ・ジャオ 監督・製作・脚本
2017年、米

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www.youtube.com

 

【あらすじ】

ブレイディは、馬の調教に従事するかたわらロデオに熱中してきた。
しかし、競技中の落馬事故で、頭に重傷を負ってからというもの、
突然手が硬直して動かなくなるなどの後遺症に悩むことになる。
医師には、ロデオはもちろんのこと馬と関わる仕事も止められる。
物心ついた時からずっと馬と一緒だったブレイディは、
若くして生きがいも希望も見失うこととなり、苦悩する。

人生の岐路に立たされ、体の苦痛もあって、・・・と
かなりつらい状態の青年が主人公の話なんだけど、
この映画には、たとえば、
「俺ってかわいそうだよね? そうでしょ?」
「人生いろいろだけど元気を出して行こうぜ!」
みたいなことをグイグイ押し付けてくる感じはなかった。
強く訴えてきたり、問いかけたりは何もしてこなかった。
ただそばで、疲れた心、傷付いた心に寄り添ってくれる、
ひかえめな共感の力を感じて、好ましい映画だった。
物語上の起伏みたいなものはあまり激しくなく、
淡々と、ごく静かにストーリーが進行するので、
観る方もゆったりと気分良く過ごすことができた。
昔からの伝統らしいカウボーイたちの習俗などを
ながめるのは楽しかった。
ブレイディたちは、ロデオ大会の時はもちろん、
馬の競売や、大きな病院に友だちの見舞いに行く時など
必ずきちんとカウボーイルックに身を包んでいく。
(ハット、ネッカチーフに銀のタイ留め、ジーンズ、ブーツ)
これが彼らの社会のスーツ&ネクタイなのかもしれない。
ブレイディは主役だからか服のセンスがあか抜けていて
特別カッコ良くしてもらっていた。

 

【演技経験のない人たちが本人役で出演】

主人公のブレイディ以下、主要キャラがみんな、
本人が、基本的に本名のまま、本人役で出演しているそうだ。
(ブレイディの一家だけは、姓を「ジャンドロー」でなく
 「ブラックバーン」に変えられている)
脚本はブレイディ・ジャンドローさんの実体験をベースに
作り上げられたものだという。
映画の作られ方として、おもしろい試みだと感じた。
アメリカ北西部の小さな町の、小さなコミュニティの、
普通の人たちの、ほんの狭い人間関係の物語だ。
そんな狭い地域社会に、中国系の若い、新人女性監督が
入り込んでいって、良く、信頼関係が築けたなと思った。
ジャンドローさんとこのブレイディが映画出るんだってよ、
という話にはなって、
みんなそれなりに力をかしてくれたのかもしれないけど、
「必要な頭数が揃えられるか」
ということと、
「映画としての鑑賞に耐えるレベルの演技をさせられるくらい
 (素人である)キャストの意欲や潜在能力を引き出せるか」
ということは、全然違う話だと思う。
演出とか編集も上手だったのだろうと思うが、
そういうところには出ない、裏方の部分というか、
出演者たちとの関係づくり、現場の雰囲気づくりが
非常にうまくいった映画だったんじゃないだろうか。

 

【手指の後遺症がなぜそんなに問題か】

ブレイディが、暴れん坊の仔馬の調教を行う場面は興味深い。
馬に最初に鞍を付けてまたがるのは、大仕事らしかった。
ブレイディは、馬の体の左側に立ちながら、背中に腕を回し、
体の右側を手で何度も何度も優しくさすって、温めていた。
「背中にまたがられると、体の両側面に刺激を受ける」
ということをあらかじめ疑似体験させて慣れさせるのだろう。
この間も、馬は全力で暴れて、振りほどこうとするので、
ブレイディの方はしまいにはヘトヘトだろう。
また、何度となく、鼻っ柱に手を突き出してにおいを覚えさせる。
うまく調教者の言うことを聞けた時は、優しく顔をなでて褒める。
こういうのを見ていて、気付かされたことがあった。
さっき述べたことだが、ブレイディは、
手がうまく動かせない(時がたまにある)後遺症により、
ロデオも調教の仕事も辞めた方が良いと医師に止められている。
だが、わたしは西部劇の荒事でしか「カウボーイ」を知らない。
なぜ「手が時どき固まってしまう」という、ほんの小さなことが
カウボーイにとってそんなに問題なのか、当初ピンとこなかった。
でも、
手を使ってさまざまなことを馬に伝えていくブレイディの姿を見て、
馬と関わるのに、手の繊細な感覚がいかにものを言うか、わかった。
むしろ、手が一瞬でも思い通りに動かせなかったら命にも関わる。
手が動かせなくなったことが死活問題なのは、だからなのだ。
体の他の部分は、順調に回復していっているのに、
よりにもよって手だけが・・・、ということなのだ。
ブレイディの無念が、本当に理解できた気がした場面だった。

 

 

【自分の体験を自分で演じ直すこと】

それにしても、自分の実体験をカメラの前でもう一度演じる、
というのは良く考えると、かなりのことだよね。
ブレイディ・ジャンドローさんの体験は壮絶だもんな。
本当に落馬してケガをしてロデオができなくなったのだから。
それを物語として自分で再現するとは、どういう気持ちなのか。

ブレイディもそうなんだけど、この物語にはもうひとり、
同じようにケガで道を断たれたキャラクターが登場する。
それはブレイディの親友のレインという人物だった。
レインもロデオで大ケガを負い、ブレイディよりも
ずっと重度の後遺症があり、リハビリ施設に入所している。
ブレイディが、レインのリハビリを手伝う場面がある。
乗馬の訓練用の馬具みたいなものを家から持ってきて、
それにレインをまたがらせて、体を動かす練習を手伝う。
最初は、ふたりとも楽しそうに取り組んでいる。
でも、やがてレインが、たまらなくなったのか下を向いてしまう。
このレインも、レイン・スコットさんが本人役で出演している。
レインさんが、本当にリハビリ施設に入所しているわけなのだ。
ブレイディとの、このリハビリの場面なんか観ていると、
いったい彼らは、どういう気持ちだったことだろう、
どんな思いでこの映画に出演してくれたんだろう、と
思わずにはいられなかった。



【物語の中のブレイディの未来】

実際のブレイディ・ジャンドローさんの現在がどうなのであろうと、
物語の中のブレイディが、ロデオや馬の仕事をする道を断たれた、
この事実は動かない。
そこに奇跡とかいったものは一切起こらない物語だった。
ブレイディの今後の選択は明示されずに、物語の幕が閉じた。
物語の中のブレイディが今後どうしていくのか、気になった。
一生取り組むつもりだった夢や仕事を失うのはつらいものだ。
この先どうするか、どう心に折り合いを付けるか、
それを決めることは本人にしかできない。
本人だけが決められる。
他人がどう言ってもしょうがないことだとは思う。
他人ではなく、馬だったら、
ブレイディに何かを伝える資格があるかもしれないが・・・。
描かれなかったから、なんとも言えない。
ブレイディが、なんとか生きがいを見いだして行ってくれたらな。



【一か所ミス発見】

ひとつだけ、明らかなミスと思われる所を発見した。
物語の最初の最初の方で、
ブレイディが、自分の出場したかつてのロデオ競技会の
動画を観返すシーンがあった。
彼のケガの原因となった落馬事故の模様が記録されている。
レースの模様が映し出されていくなかで、
出場者を紹介する場内アナウンスが聞こえるのだが
そこでブレイディを紹介するアナウンスの音声が、
「次の出場者はブレイディ・ジャンドローさんです」
になっていた。
このあとで説明を試みるが、これは、おかしいのだ。

このシーンは、映画の序盤の序盤、本当に最初の方だ。
この場面を観ていたので、わたしは当然、
ブレイディの姓は「ジャンドロー」だと思って
この映画を観始めることになった。
だが、競技会の動画を観返すシーンの、数分後くらいに、
ブレイディが亡き母マリの墓参りをするシーンがあった。
(墓に「母さん(Mom)」と呼びかけていたので間違いない)
マリの十字架には「マリ・ブラックバーン」の銘があった。
ブレイディの苗字って、ジャンドローじゃなかったっけ?
なぜ息子の苗字と、彼が母と呼ぶ人の苗字が、違うのか?
いろいろ考えはした。
ブラックバーンはマリの旧姓で、ブレイディの父と離婚し、
のちに婿を取ったか、再婚しなかったかで、
旧姓で亡くなった、みたいな、そういう事情とか。
混乱した。
物語の中盤で、ブレイディに調教の仕事を頼みにきた人が
「あんた、ブラックバーンさんかい?」と聞く。
ブレイディは確か、うんともはいとも答えなかったが、
その人の仕事の依頼を結局は受けていたので、
やっぱりこの物語の中では、
ブレイディの苗字はブラックバーンなんだなと確認した。
(エンドクレジットでもそれは確認できた)
先にのべた通り、
ブレイディを演じているブレイディさんの本名は、
確かに「ブレイディ・ジャンドロー」なのだが、
この映画の中では「ブラックバーン」と姓を変えて
設定されているのだ。
つまり、序盤でブレイディが観る、あの動画のなかで
彼は「次はブレイディ・ブラックバーンさんです!」と
紹介されていなくてはならなかったのに、
「ブレイディ・ジャンドローさんです」になっていた。


ではどうして序盤の「動画を観返す」シーンで
「ブレイディ・ジャンドローさんです」というアナウンスを
聞くことになったのだろうか。
製作の背景を推測するに、
多分、実際のブレイディ・ジャンドローさんの
落馬事故の動画をそのまま映画に採り入れたのだろう。
この映画の脚本はブレイディ・ジャンドローさんの
実体験を元に作られたのだから。そのことは全然良い。
でもこの物語の中ではブレイディの苗字はブラックバーンだ。
個人的には、アナウンスの音声くらい、あとで編集して、
ブラックバーンに変えれば良かったのではないかと思う・・・。
ロデオの時だけは「ジャンドロー」の通り名を使っている、
という「設定」だったのかもしれないが、
そこについての説明は、物語の最初から最後まで、
まったくなかった。

劇中で登場するあの動画の、場内アナウンスの音声が
「ブレイディ・ジャンドロー」になっていたことは
シンプルに「ミス」だったと個人的には思っている。