une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ネオン・デーモン』

 


原題:The Neon Demon
ニコラス・ウィンディング・レフン監督
2016年
米・仏・デンマーク

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【駄作とまでは言えないが、退屈】

かなり特異な設定ではあったが、
観ているそばから「何だそれ」と興ざめするようなことはなかった。
観ている間は少なくとも、作品の世界に深く集中できた。
魔法が途中でさめないだけの工夫がきちんとされていたのだろう。
その意味では一定の質が確保された映画作品だったと認識している。
だけど、いかんせんテンポがゆるいために、先の展開が見え見えだ。
奇抜な世界観と設定の割には、予想外の展開はいっさいなかった。
人肉食や、女性同士の性愛の展開が入ってくることも、
個人的には割と予測できた所であり、意外さはなかった。

つまるところ、「退屈」の一言だった。

 

【「美」こそすべて、の世界】

登場人物のほぼ全員が、
この物語におけるマクガフィンである「美」をめぐって、
完全に血迷ってしまっている。
でも、この物語の世界では、それが当たり前なのだ。
ヒロインと淡い恋人関係となるディーン青年が、
「人間は外見じゃない。内面の美しさこそ大事さ」
なんて真っ当なことをのたまう場面があったけど、
こういう世界では、ディーンみたいな人の方がむしろ
逆にちょっと頭おかしい人みたいに見えてしまう。
そこはおもしろかった。



【至上の美とは何なのか】

今、わたしは、この映画の「マクガフィン」が
「美」であったと、述べた。
マクガフィンは、
 それをめぐってみんなが大騒ぎを繰り広げるが、
 それ自体は大して重要なものじゃない・・・そんな何かのこと。
 映画や小説などのフィクションストーリーのお話を構成する
 材料のひとつ)

「美」って、実際、なんなんだろうな。

物語の中で、デザイナーのロバートがこう語る。
「美とは『絶対』ではなく『唯一』のものなのだ」
「美容整形はしてはいけない。それは死と同じだ」
そして彼は、整形なしの天然美女ジェシーを称賛する。
整形依存ぎみのジジは、ロバートのこの言葉に傷つき、
ジェシーへの嫉妬を、一層強めていくことになる。
美しくあろうとして美容整形の力をかりる人は、
モデル業界のような所では決して少なくないだろうに、
こんなひどいことを言うなんて、ロバートは無神経だ。
だけど、良く良く考えてみると、別に彼は
「ジジは美しくない」なんて言ってないし、
「美しいのはジェシーだけだ」とも言っていない。
彼の発言の意図をわたしなりに言葉にすると、
「人それぞれに、その人だけが備えうる美がある」
そんな所だったのではないか。
ロバートが美容整形に否定的なのは、
そこで追求される美が、相対的なものだからだろう。
(例えば「芸能人の誰それみたいな鼻にしたい」)
相対的な価値基準に惑わされて整形を繰り返すと、
「その人だけの美」が何であったのかわからなくなる、
すなわちそこにしかなかったはずの唯一美が失われる。
ロバートは、そう言いたかったのでは。

本作品は、ファッション業界を描いた映画なのだが、
撮影シーンとか、ショーの控え室のシーンはあっても、
「モデルの写真が載った雑誌をながめる読者」や
「ファッションショーを見に来る観客」
が、まったく描かれない。
徹底的に、ゼロだった。
「世間で人気が出て一躍トップモデルになった!」
みたいなことをわかりやすく描写したいならば、
一般消費者や、オーディエンスの視点を入れるのが
一番わかりやすいんじゃないかと思うのだが。
わたしが思うに、作り手はやっぱり、この物語の中で、
人の容貌の美しさを
「世間」とか
「みんながどう思うか」とかいう視点では
規定するつもりがなかったのだろう。

ヒロインのジェシーを見てみるとそれがわかる気がする。
ジェシーが、ルビーの邸宅のプールサイドに立った時、
プールの水は抜かれていた。
ジェシーは自分が美しいことを完全に認識している。
その自己愛は強固で巨大だが、正当だ。
「あなたはちっとも美人じゃない」
「あなたはもう年なのでモデル生命は終わりだよ」
仮に誰かにそんなことを言われても、
それで動揺するような、ヤワな自己愛ではない。
神話のナルキッソスのように、水面に映った己の姿に
見惚れる必要さえ、ジェシーにはないのだろう。
あの水が抜かれた豪華なプールは、
怪物的に肥大化した(しかしある意味正当な)
ジェシーナルシシズムのメタファじゃないか。

そして、それで良いのだ、と作り手は言いたかったのでは。
この映画で、作り手が至上のものとしている「美」とは、
相対的なものでも、絶対的なものでもなく、
「その人だけの」美、なのだろうから。
でも映画に登場する多くの美女は、そこをわかってない。
結局何が自分の欲しい美なのかを知ろうともしないで、
「誰と比べてあなたは美しくない、と人に言われること」
「もうあなたは美しくなくなった、と見なされること」
に、おびえている。

これは作品内の設定へのただの想像にすぎないのだが、
先に述べた有名デザイナーのロバートや、
それからカリスマフォトグラファーのジャックなどは、
モデルや、モデル志望の、並外れて美しい女性たちを
毎日何百人と見ているからこそ、思う所があったのだろう。
彼女たちはもちろんみんなスタイル抜群で、美しい。
だけど、みんな似たような顔をしている。
「こういう眉の形、こういう顎の形がウケる」
「体重何キロ、ウエスト何センチ以下だと採用される」
見えない「共通ガイドライン」を内面化して、
そこにムリヤリ自分をはめ込もうとしているので、
みんな似たような顔、似たような姿形だ。
彼らは、常日頃そう思っていたのではないか。



【なぜジェシーが求められたのか】

そんな所に、ジェシーのような子が、
ポッと現れたら、心魅かれて当然だ。
美しい女性を見慣れている人であればあるほど
ジェシーに惹きつけられるに違いない。
ジェシーは多分、
必ずしも「完璧な美女」なのではなく、
まして「誰かと比べて美しい」のでもない。
彼女しか持てない美しさを備えている、という点で
業界において「めずらしい」存在だったのだろう。
プロの目に彼女が水際立って見えたのは、だからではないか。
その証拠に、そんなにびっくりするほどきれいな子だったら、
一人の例外もなくみんなが彼女に夢中になるはずだろうに、
ジェシーの滞在先のモーテルの管理人は、そうじゃない。
ちっともジェシーに興味を持たず、むしろ非常に冷淡だ。

ジェシーは、自分の美貌が業界でウケるという確信を得て
自信を強めていくが、
モーテルの管理人だけは依然として冷たいので、
管理人のことをとても怖がっている。
「管理人が私の部屋に侵入して、寝ている私の
 口の中に、ムリヤリ刃物を突っ込んでくる」
という、悪夢まで見る始末だ。
刃物を口に突っ込まれるなんて、
処女喪失願望の暗喩として露骨すぎるほど露骨だ。
考えるにこれは、
「こんなにも美しいと称賛されている私を、あの管理人は、
 なぜ力ずくでもわがものにしたいと思わないのかしら」
ジェシーのそんな不満と一種の願望が、
夢の形で現れたものではなかったか。

 

【その他の印象的な場面:隣室の侵入者】

ちなみにジェシーはこの、ナイフを口に突っ込まれる
夢を見る直前に、不思議な体験をしていた。
モーテルの隣の部屋から、
争うような物音と、女性の悲鳴が聞こえる。
どうも隣室の宿泊客が、不審者の侵入を受けている様子だ。
でも、この場面をよーく観てみると、おかしな部分もあった。
襲われているのが女性らしいということは声で知れたが、
侵入者が「男性」である確証は、得られなかったのだ。
声がはっきり聞こえなかった。
だからまあ、
ある女性の美しさに心惹かれる者が、男性とは限らない、
ということを示したシーンだったと思わないこともない。
実際の所、この物語の中でジェシーの美しさに執着したのは、
ロバートやジャックやディーンといった男性だけではなかった。
女性であるモデル仲間のジジもサラも、メイクのルビーも、
「嫉妬」という形で、やはりジェシーに魅入られたのだ。




【その他の印象的な場面:『早く外に出さなくちゃ』】

終盤になると、なかなかにえげつないシーンがあった。
ジェシーの美を体内に取り込むという暴挙に出たジジが、
ジェシーの肉体の一部を吐き出して、
「早く彼女を(外に)出さなくちゃ」。
ハードな場面だった。
でも考えようによっては、これはハッピーエンドかもなあ。
「欲しい美を取り込めば自分もその美を手に入れられる」
なんて間違いだった、ジジがそう気付いたのだとすれば、
ジェシーを外に吐き出すという彼女の行為は、
「その人だけの美しさがある」という「正解」に向かって、
一歩を踏み出した行為、ととらえることができるので。
まあ、ジジ、死んじゃったけど(笑)・・・



【やっぱ退屈】

こんなところかな~。
振り返ってみると、読み取りがいはなくもない映画だった。
それに、かなり詳しく、作品内の描写の説明をしてきたので、
このブログを読んでくださる方は、もしかしたら
「イヤ、けっこう刺激的でショッキングな映画じゃない?」
とお思いになったかもしれない。
けどな~(笑) 
何と言ってもテンポが遅いんだよ~(笑)
やっぱ、退屈(笑)