une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ミッドナイト・イン・パリ』


原題:Midnight in Paris
ウッディ・アレン監督
2011年、米

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www.youtube.com

おもしろかった~。
観終わったあと、何も考えずにすぐ、2回観返した。

 

 

オーウェン・ウィルソンの演技に好感!】

主演のオーウェン・ウィルソンお鼻の形が特徴的だから
かの傑作『グランド・ブダペスト・ホテル』に出てたな、と 
わりとすぐに思い出した。
考えてみるとたしか、
エイドリアン・ブロディサルバドール・ダリ役)も
グランド・ブダペスト・ホテル』で見かけた。

本作のオーウェン・ウィルソンは、二枚目キャラじゃないが、
親しみやすいかんじがよかった。
表情が豊かで「顔芸」がうまい。
タイムスリップした自分の状況を理解し始めたときの表情がおかしい。
ハトが豆鉄砲をくらった、という慣用表現がしっくりきすぎて
コーヒーを吹き出しかけるほど笑った。
それに、演技がとっても自然だった。
ヘミングウェイアドリアナにご執心なのにきづくと、
彼が近づいてくるだけで、露骨に顔から表情が消える。
フランス語と英語がとびかう談笑のシーンなんか、
アドリアナが通訳をしてくれるのを聞いてるときの顔は 
ものすごくボ
ーっとしてる! 口が開いてる!
素を出しすぎだ笑

 

【実在の巨匠たちがそろいぶみ】

フィッツジェラルドとその妻ゼルダ
ヘミングウェイコール・ポーター
ガートルード・スタインロートレック
ピカソドガゴーギャン、ダリ、
ルイス・ブニュエルマン・レイ・・・
実在の大芸術家、超有名人が、わんさとギルの前にあらわれる。
そんなことってありなの、と思いたくもなるが
1920年代のパリは芸術家たちの憧れの街だった。
本作で描かれるように、本当に、
気鋭のアーティストたちが夜ごとバーやパーティーに集い
芸術談義でおたがいの創作意欲を高めあっていたそうだ。
ジャン・コクトーそうした社交場のいわば大御所、
フィッツジェラルド若きスーパースターだった。

関心がおありのかたはGoogle先生にちょっと聞いてから
本作を観たら きっと楽しいだろう。

ロートレックが足が悪かったことを、わたし、知らなかった。
本作を観て気になり、ネットで調べた。
ヘミングウェイ闘牛士とつるんでいたり
けんかっ早くて なにかというとすぐ
「ボクシングをやろう!」と言い出したりする事情も
ネットを当たったらすぐわかった。


 

ゼルダヘミングウェイがイメージ通り】 

どの偉人も いいかんじにキャラクター造型がなされていて 
観ているのが楽しかった。個人的にはゼルダが最高。
早口でパシパシしゃべるところ、
夫を呼ぶ「スコット!」の決然とした発音、
移り気で、はた迷惑で、危なっかしい性格。
想像していた通りだ。
ヘミングウェイもたまらないものがあった。
なんだ、あのタクシーの車内のシーン。
隣のギルを見つめて話しているという、ていではあるが
要はカメラに向かってひとりでしゃべっているところを撮ったのだ。
なにあれ。最高。小津安二郎みたい。




【『皆殺しの天使』にまつわる小ネタ】 

ブニュエルがのちに発表する映画『皆殺しの天使』のプロットを
発案したのはギルである、という小ネタがおもしろかった。
『皆殺しの天使』はお金持ちたちが、パーティー会場から
なぜか外に出られない、という話だ。
「外に出られない、って話はどう?」
と提案するギル。
ブニュエルはしばらく考えて
「でも、なぜ出られないんだ?」
「単なるアイデアだよ」
「・・・でも、なぜだ?」
ギルは立ち去る。
一人残され、難しい顔をして考え込んでしまうブニュエル
『皆殺しの天使』はわたしも観た。
なんで外に出られないんだろうと。
外に出られない、ということに何か意味があるのかと
考えたけどわからなかった。その後、
ブルジョワジーの密かな愉しみ』を観たら、これもまた
「お金持ちたちがどうしても食事にありつけない」という
謎プロットの映画だったので・・・、
ブニュエルの映画はみんなこうかね、とちょっとイヤになった。
なぜ部屋の外に出られないのか。今も正直言うとわからない。
ブニュエルの映画が、ぜんぶこうってわけじゃないらしいが、
いくつかの作品はこういう、理屈による解釈を禁じてくるような
要素をもっていると思う。
モーリス・ピアラなどにもそういうところがあるなーと考えるのは
悪魔の陽の下に』とかを合理的な見地で解釈する努力を
わたしがなまけたいことの単なるいいわけなんだろうか笑
イヤー でもあれ、ほんと、考えたら負け系じゃない?

 

 

アドリアナは芸術家たちの女神的な存在】

ギルの前にあらわれる魅力的な女性の名が「アドリアナ」だと知って、
では、きっと最後には彼女がギルに自分の時代に帰ることを
うながすのだろうなとおもった。
アリアドネ」とかんちがいしたからだ。
ギリシャ神話で、テセウスが迷宮から脱出するのに手を貸す。
でも、アリアドネじゃなかった。
「アドリアナ」は「Hadrianus」のようだ。
わたしでもわかるところだとローマ五賢帝の、ハドリアヌスだ。
芸術・文化の振興と保護に力を尽くした王だったと学校で習った。
アドリアナは自身もデザイナー志望とあって、繊細な感受性をもち、
1920年代、スタインの画廊に集った芸術家たちの
いわばミューズとして描かれていた。
ピカソモディリアーニヘミングウェイもみんな、
彼女に夢中(だった)というキャラ設定だ。
美を愛するアドリアナは、無名のギルの小説も、積極的に評価する。
名前でもって彼女の存在に意味付けがなされていたとすれば、
アーティストたちの守り神、といったところだろう。




【女神は去った】

しかしアドリアナは、アリアドネじゃない。
「生まれてすらいなかった過去を懐かしむのはもうやめて。
 あなたはあなたの時代でこそがんばらなくちゃ」
なんて ギルを励ましたりはしない。
それどころか彼女自身が、あこがれてやまない19世紀末、
ベルエポックのパリにとどまるという選択をした、
ギルに別れをつげて。
物語も終盤になって急に、
アドリアナの時代であるところの1920年代から
ギルをさらに引きずり込もうとするように時代が逆行するのだ。
みんなの女神アドリアナが、姿を消し、
みんなの関知できない時代に身をゆだねてしまう。
彼女に言わせれば、彼女の時代は、退屈で美しいものがない。
ベルエポックこそ、美の黄金時代だと熱弁するのだ。



 

【黄金時代はいつなのか?】 

では、ギルが黄金時代と称するあの1920年代が
本当はろくな時代じゃなかった、
芸術的に貧弱な、女神の加護なき時代だった
ということに、はたしてなるのかなと。

本作は、そういうことを言ってるんじゃないとわたしには思えた。

ギルはアドリアナに励ましてもらわなくても、
自力で ある重要な気づきを得る。
・・・家に抗菌剤がない、歯医者に麻酔がない
懐古趣味のギルも、そんな内容の悪夢をたびたび見てきた、と。
彼が恋焦がれる1920年代には、抗生物質がなかったのだ。
過去を神聖視するのも良いが、どんな時代にも問題は必ずあった、
その事実をギルの合理的な思考が夢で彼に訴えていたのだろう。
自分の本当の居場所はここじゃない、とか
自分の本当の姿をだれもわかってくれない、とか
・・・この手の不満を解消していく方法は
「過去に居場所を求める」ことだけなのか?
ほかに、落としどころは探せないのか?
ギルはそんな問いと真剣に向き合っていくこととなる。




【ギルの選択と女神の正体】 

自分の時代に帰ってきたギルは、けっこう迅速に「答え」を出した。
ギルが腰を落ち着けたパリの街は洗いざらしのようにさっぱりして、
ことさら美しい。
迷いが晴れたギルの心を映しているようだ。
ロゼワインをしみこませたキャンバスに
丹念に描き上げたみたいな、優しいピンクがかった映像が良い

時のむこうへと去ったアドリアナは、必ずしも女神ではなく、
みんなに「女神」と見られていた、ひとりの弱い女性だったのかも。



 

【イネスにとってのギルと、本当のギル】 

ギルの婚約者イネスは、嫌われ者の位置づけだ。
せっかちで浅薄で打算的なところ
インテリ気取りの男友だちに肩入れして、
婚約者をないがしろにするところ。
観てると下品そのものだったけど、
ああいうのは案外だれしも人のふりみて、だろう。
それにしてもギルのような人物と彼女が
なぜ
婚約なんてしたのかと考えたちゃったが
正直なギルは「エロい女が好き」と白状しているからそれでいいとして
イネスはギルの「売れっ子脚本家」という属性に価値を見たのかも。
だからギルが、売れるかどうかもわからない小説の執筆などに
のりだしたことが
気に入らなかったのだ。
「社交性に欠ける」とイネスに非難されていたのも、
ギルには気の毒だった。社交性に欠けるなんて。まさか。
1920年代に憩う真夜中のギルは、実にのびのびとしていた。
みんなと楽しくやっており、それこそ極めて社交的な男だ。
たまたまこれまで出会ってきた人たちが、
生きるスピード感が合わない人ばかりだったんだろう



 

【アーティストという存在】

人は不満だ。充足は停滞ともいえる。
変えたい、良くしたいという願いをパワーに変えて前進する。
人の不満の最たるもので、かつ絶望に至るものは、
病むこと、そして死ぬことだ。
恐れに視界を奪われてしまう人たちの足元を、
芸でもって明るく照らすのがアーティストなのかなと思う。

ガートルード・スタインが言ってたこれが、
本作のメッセージかもしれない。
まー聞き取りがまちがってたらもうしわけない。
死ぬほど何回も聞いたんだけど笑

We all fear death and question our place in the universe.
The artist's job is not to succumb to despair,
but to find an antidote for the emptiness of existence. 

人は死を恐れ、宇宙での魂を思う。
作家の仕事は絶望に屈せず、
人間存在の救いを見いだすこと。

アーティストも人だから、がんばれないときもある。
本作のポスターに取り入れられている『星月夜』ゴッホ
生涯売れず、しかも精神の危機との闘いだったと聞く。
でも、そのなかであのような美しい作品をものした。
負けても闘うのが、本当のアーティストなんだろう。


 

ゴッホが登場しないわけ】

でも、ポスターに使われているのに、
どうしてゴッホは作中に登場しないのか。
時代はマッチしているのだが。
ゴッホはギルに投影されていた・・・というのが
考えかたとしては自然かもしれない。
ぼくはフィッツジェラルドに会った!
ヘミングウェイがこう言ってた!と
眼をぎらぎらさせて語るギルは、
イネスから見たら、完全に気がちがってる。
彼女に話したってわかってもらえるはずもない。
イネスとの関係は、ギルにとって実はストレスだったらしい。
彼は安定剤を常用していた。
掠めるようにしか触れられてなかったが、じつはギルの心も、
創作の苦しみと合わない環境のなかで悲鳴をあげていたんだろう。
ギルもアーティストであり、ファイターなのだ。


 

【まさかとは思うが。】

それにしてもあの古道具屋の女の子、
ガブリエルっていうのか。受胎告知の天使だ。
イネスに、赤ちゃんができてたとか・・・?
いやいや まさか。