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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ドクター・スリープ』

原題:Doctor Sleep
マイク・フラナガン監督
2019年、米国

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2回観た。
1回目の翌日、同じ映画館の同じ席を取って観た。
2回とも、帰り道は良い気分だった。
だが、今、冷静に考えると、ま~
イマイチだったのかもなという感じがしている。
でも、おもしろかったけど。
そういうこともあるわな~。

わたしが、『ドクター・スリープ』を
イマイチだったかもなと思うわけは、
だいたいこんな感じだ。↓


・芸術性に欠ける
キューブリックの『シャイニング』への
オマージュシーンが盛りだくさんでうれしい限りだったが、
そこに『シャイニング』に匹敵する芸術性を感じたか? 
と言うと、感じなかった

・深みに欠ける
観たあともずっとその映画のことを考えてしまうような
強い印象、または深読みをさせてくれるような
懐の深さのようなものが、あまりなかった

・俳優
ダニー/ユアン・マクレガーは健闘していたが、
残念ながらジャック/ジャック・ニコルソン
足元にもおよばない。
『シャイニング』のジャックの表情は
忘れたくても一生忘れられないけど、
『ドクター・スリープ』のダニーの表情は
すでにして忘却の彼方

・スーパーパワー感濃いめ
キューブリックの『シャイニング』においては
存在がほのめかされる程度となっていた、
異能力/ダニーの言うところの「The Shining」が、
『ドクター・スリープ』では前面に押し出される。
映画『シャイニング』しか知らないわたしは
『ドクター・スリープ』の超絶異能力バトルシーンや
能力者たちの眼がビカーっと白く光る所などには
やや面食らった(でも、これはすぐ慣れた)

・展望ホテルとその霊たちの扱い
展望ホテル/死霊たち・・・が
『ドクター・スリープ』ではずいぶん軽く扱われていた。
単に、新たな敵を倒すための道具として使い倒されるのだ。
そこに何か、救いようのない、安直さみたいなものを感じた。
展望ホテルは、ダニーの心の傷そのものだ。
あのホテルでの冬さえなければ、ダニーは
今のようなみじめな人生を送っていなかったはずではないか。
それほどのことだったのに、ただの道具扱いなのかと。
あと、ダニーとアブラを狙う「真の絆」の者が
実の所、どいつもこいつもそんなに強敵ではなかった

ところで、
わたしはキューブリックの『シャイニング』が好きだ。
でも、原作者スティーブン・キング老は、あの映画の出来を
あまり気に入っていなかった、と聞いたことがある。

そのキング老は、
『ドクター・スリープ』の出来を絶賛している。

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察するに、
わたしがあの『シャイニング』を好きなわけと、
キング老があの『シャイニング』に不満だったわけ
(『ドクター・スリープ』にご満悦なわけ)は、
同じ根っこからきているんだろう。

『シャイニング』と『ドクター・スリープ』
両方観てみるとわかるんだけど、
キング老はやっぱり自身の作品が映画化される際に、
「異能力/The Shining」や「霊的存在」の要素に
しっかりフィーチャーして欲しかったんだな。
キューブリックの『シャイニング』は
そこが明らかに、あいまいにされていた。
他の視点での解釈も可能なようになっていたのだ。
ダニー坊やの「The Shining」のこと。
さらには、ジャックが「ああなった」理由。
ジャックの飲酒と暴力の問題、家庭の危機。
ホテルの過去と今。
それら全部が、ほのめかされる程度にとどめられていた。

わたしに限って言えば、それだからこそ、
かえって『シャイニング』が好きなんだよな。
わずかなヒントを頼りに勝手に情報を補完して、
自分だけの『シャイニング』を繰り返し作った。
大人になっていろいろ経験を積むにつれ、
前はわからなかったことがわかってきたりするので、
それは何度でも楽しめる遊びのようなものだった。
実際、わたしは今にいたるまで
原作小説に手を出そうと思ったことが一回もない。
本当に、自分なりの『シャイニング』を作るのが
楽しくて、それでまったく満足だったんだろう。

でも、老にしてみたらあの『シャイニング』は、
多分「ほとんど何も言ってない」に等しい映画だった。
「なんでそこをあいまいにしちゃったんじゃい!」
「ワシはThe Shiningや霊的存在を描くことにこそ
 意味があると思ってあの小説を書いたんじゃい!」
と憤懣やるかたなかったんだろうな。
だって仮に映画『シャイニング』が、
異能力者や霊的存在を全然描いていなくても、
他の方法、他の切り口で、キングのメッセージを継承していたなら、
キングは映画『シャイニング』に、そこまで不満を
いだかなかったと思うんだよ。
やっぱりキング老が『シャイニング』や
『ドクター・スリープ』で伝えたいことは、
「The Shining」や「霊」を描かないことには、
表現できないものだったんだと思う。
少なくともキング老は、そう考えているのだろう。
『ドクター・スリープ』を観て、
それがかなりはっきりと想像できた。

だが、そこで気になるんだけど、
キング老は小説『シャイニング』と
『ドクター・スリープ』で、何を描きたいのか。
あの人は自分の小説のなかで、いわゆる「超能力者」や
霊が生者に働きかけることで引き起こされる事件を
頻繁に題材としてとり上げて、描いている印象だ。
それらの作品のなかで、老が言わんとしていることの
内容がわからない。
キングの小説を、全然読んだことがないから。
そこがちょっと知りたいかな~。

『シャイニング』『ドクター・スリープ』を読んで
そこに託されたメッセージを理解することができたら、
それが、映画にどれくらい反映されているかを
知ることもできるはずだろう。

原作小説を、読んでみようと思う。