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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

「はじまりのうた Begin Again」

 

原題:Begin Again
ジョン・カーニー監督
2013年、米

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ONCE ダブリンの街角で(2007)」の監督が、
物語の舞台をダブリンからニューヨークに移し、
前作では望むべくもなかったであろう潤沢な予算に物を言わせて
作り上げた、新しい音楽映画といったとこか。



【ここが良かった!】

キーラ・ナイトレイが良かった。
こういうおねえさん、ほんとにニューヨークの街にいそう。
マーク・ラファロも、すごく、観て楽しい演技をしていた。
どうしようもないアル中の役だし、おしゃれじゃないし
ちっともサエないが、目で語る演技が光ってた。
何を考えているのか、ぜひ聞かせて、と 
こちらから頼みたくなる感じがあった。

ニューヨークの街の魅力的な表情のひとつひとつが
物語のなかに生き生きと取り込まれていた。
タイムズスクエア! ロックフェラーセンター
といった有名どころではなく、
例えば、若者向けの小ぶりなライブハウス。
地下鉄の駅。公園。ほとんど裸みたいな子どもたちが
遊びまわる裏路地。半地下のアパートの小窓・・・。

もうすっかりいい歳の登場人物たちだが
斬新なスタイルのレコーディングに身を投じていく姿が
美しい街並みのなかにキラキラと描かれ、
夏休みの高校生みたいに楽しそうだった。

モブキャラたちの表情も良かったと思う。
ただの通りすがりではなく、その一人ひとりに
別個の物語、人生が持たされているように見えた。

 

【サクセスストーリーじゃなく、ひとりだちの物語】

ヒロインのものの考えかたや、音楽への姿勢は、
最初から最後まで変わらなかった。
自分と、自分の曲が、他者によって扱われるという
体験をするなかで、おのれの立ち位置を確認し、
元いた場所に、改めて腰を落ち着けたのだ。
本作はいわゆるサクセスストーリーじゃなく、
ひとりの人間が自立を遂げる姿を追った物語だった。

彼女には元もと、非凡な音楽的才能があった。
でも、欲がないのと、音楽でやっていくという意思そのものの
有無がハッキリしてなかった(自覚がなかったのか何なのか)。
そんなこと考えなくても、困らない環境にいたからだ。
それが初めて「そこんとこどうなの」という問いを投げかけられ、
彼女は自分を見つめ直していくこととなる。

しかも、問いを投げかけてくれた相手が良かった。
決して急かさず、自分の都合で彼女を振り回さない。
彼女が正しく答えを出せたのは、そのおかげだと思う。

自分を見つめ直した結果
「やっぱり今のままでわたしはいいの」となっても、
それは「成長していない」ということにはならない。
成長とは、変化することと必ずしも同じではないからだ。



【ひとりだちの必要を感じてなかった】

自分も作曲に携わった(というかむしろ主導した)のに、
パートナーだけがその曲によって出世していくというのは、
はたで見ていると、むごい。だけど、
ヒロイン、グレタはそのことにはこだわっていなかった。
彼女が気にするのはあくまでも、
音楽の価値と、その扱われかただ。

これまではパートナーとふたりきりで全部やってきて、
多分グレタは、音楽は「趣味」みたいなつもりだった。
(「わたしはただ、ときどき曲を作ってるってだけよ」
 と語るシーンがあった)
作った曲が、自分たちの手を離れて
他人によって取り扱われるという経験が
まったくなかったんだろう。
世間を知らないというかお人好しというか・・・。
彼女はパートナーが一躍スターとなっても当然、
事務所と一流のプロデューサーが、
自分たちの音楽をしかるべき形で扱っていってくれる
・・・と信じきっていたように見えた。
音楽がちゃんと扱われる限り、
他のことは本当にどうでも良かったのだ。

パートナーだけがファンに街で見つかってキャーキャー言われ
「シャッター押して」とカメラを渡されても文句を言わない。
製作クルーの「お茶くみ役」も進んでするし、
パートナーが演奏旅行で長期間家を空けても、
不平ひとつ言わず留守番をしてた。

それでほんとに平気なのの~、と 観てるこっちが思うくらい
ヒドイ扱いを受けてたが、グレタの胸の内の描写はない。
実際、彼女は不安や不満を自覚してなかったんじゃないか。



【裏切りによる気づき、あるいはビジュアルイメージ】

だけど、パートナーとその音楽に重大な変化を見たとき、
初めて彼女は気づき、そして考え始めた。
「欲しいものを繋ぎ止めておくには、
 バカみたいに信じているだけじゃダメだった」。
「でも、じゃあ、わたしはどうしたいわけ?」。

プロデューサー(マーク・ラファロ)が、グレタに
音楽ビジネスにおけるビジュアルイメージの重要性を説く場面は、
この物語にとって大きな意味があった。
曲の良さをひとりでも多くの人に伝えるために、
まず歌い手のルックスやファッションで
人の目を惹きつけることが大事なんだと。

彼はこのときは本当に、歌い手の顔やファッションに
ついてしか話していなかったと思う。
だが、ことグレタのプロデュースに関しては、それが自然と
「音楽のアレンジ」の話に、収束していった。
だって、いくらミュージシャンにもビジュアルは大事、とはいえ
無名のグレタがヘアメイクもドレスもバッチリ決めて
音楽番組でいきなりデビューなんてできるわけがないので、
当然、デモCDの製作から着手することとなる。

このプロデューサーは、落ち目だが、腕は確か。
歌手がギター1本で弾き語る、生の状態の音楽を聴くだけで、
ドラムを加えたら・・・弦を入れたら・・・
キーボードを入れたら・・・と、「アレンジ」を決めることができる。
音楽にどう「おしゃれ」をさせるか、考えるのがうまいのだ。
素材として出来の良い音楽を、見出すのがうまい、と言ってもいい。

アレンジに失敗すると、グレタの言葉を借りれば
「製作段階で音楽の良さが消えてしまう」。
グレタを置いてメジャーデビューを果たしたパートナーは
「失敗していくほう」の例だった。
グレタや共通の友人のスティーブに言わせると、
彼の「売り出されかた」は的外れ。
ひげを伸ばし始めたことも、音楽のアレンジも、
浮気の末に新しく作った彼女までも。
一方、グレタのプロデューサーのアイデアは、
素朴で飾らない彼女の音楽を、魅力的に演出する
最良の案であったばかりか、
今後の道を見出していこうとするグレタにも
決定的なインスピレーションを与えたと思う。

 


【グレタとヴァイオレット】

ところで、グレタは
「耳:あくまで音楽至上主義」で
「目:パフォーマンス」を重視しないところがあるので
「『見せかた』は大事!」というプロデューサーの意見に
ピンときてなかったのだが、
実生活の面では、そのことをちゃんと理解している・・・
というのがおもしろかった。
プロデューサーの一人娘・ヴァイオレットが
好きな男の子の気を引きたくて
やたらセクシーな服を選んでいることを知ると
「誘わせたいなら、まずそのアバズレみたいな服をやめて」。
すぐにヴァイオレットをお買い物に連れ出し、
品のある大人っぽい女の子に変身させてしまった。
グレタの口から「もてたいなら見た目からよ!」なんて
話が出てきたもんだから、
となりで聞いてたプロデューサーも「ん??」
って反応をしてて おかしかった。



【グレタが歩き出した道のこと】

わたしはグレタがどんな決断を下すのでも良かったが、
ただ、恋人とヨリを戻すとか、
ましてやプロデューサーと恋に落ちるとか、
そういう結末はヤダな・・・と思って、観てた。
どんなに納得性のある事情があったとしても、
「恋愛によって成長する主人公」で終わるのだとすると、
じゃあなんで一回彼女を失恋させて放流したんだという話になるし。
女の子には、支えてくれる王子さまがいないとね!的な
シンデレラストーリーは、わたしのなかでお呼びじゃなかった。
だから、グレタがおのれの二本の脚で
しっかりと自転車をこぎだすラストシーンを観て、
良かった、と。

元恋人は、ふたりの思い出の曲を
ハデなハードロックアレンジにしたことで、グレタの不興を買った。
彼はグレタにもう一度振り向いてもらいたくて、
曲を本来のバラードアレンジに戻し、ライブで発表する。
ライブを聴きに来たグレタは、
アレンジを戻してくれた彼の心ざしに最初は感激していた。
でも、彼女の表情は、少しずつ変化していく。
あの表情は
「もう彼とわたしの人生が交わることはない」と
気付いたことの、あらわれではなかったか。

元恋人は今や、ひとりのスターなのだ。
グレタの手の届かない所で、知らない人と仕事をし
会ったこともない人たちに愛される、別世界の住人。
でも、じゃあ自分も
元恋人と同じ場所に立ちたいかというと、そうではない。
元恋人が、グレタを何度もステージ上に誘うのだが
彼女はとうとうそれに応じなかった。
グレタは、ひと夏のレコーディング体験を通して、
今後どんな風に音楽をやっていきたいのか、
どんな人たちとそれをやっていきたいのかを知った。
そこに元恋人はもういないし、それでいいと自分でも思う。
そのことが少しつらかったんだろう。

まだちょっと、さびしそうではあったけど・・・
進むべき自分の道を歩み出したグレタは
一言で言って「良い顔」をしてた。

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お絵描き中。