une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『マリッジ・ストーリー』

原題:Marriage Story
ノア・バームバック監督
2019年、米国

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素晴らしかった。
これといって変わった所のない、
アメリカのごく普通の夫婦の、ごく普通の結婚と、
ごく普通の離婚訴訟と、ごく普通の離婚の物語だった。
特にびっくりするようなシーンとか華やかな演出とか
あるわけじゃないのに、惹きつけられてグイグイ観た。
これが脚本の力であり役者の力なんだろうな・・・

「チャーリーが、長年、ロサンゼルスに
 拠点を移すことを渋ってきた理由」
が最後まではっきりと語られなくて、
なぜ、その部分をはっきりさせないのかな、
誰も気にならないのかなと思いながら観ていたのだが、
(彼の弁護士さえも聞かなかった。
 どうして奥さんの要望を聞かなかったんですか、
 ロサンゼルスではダメな理由が何かあったんですか、と)

それは、チャーリーの一番突かれたくない所なんだと思う。

妻ニコールはロサンゼルスの実家の母や姉妹と大変仲が良い。
でも、チャーリーの実家の方は哀しいことにそうじゃない。
彼が非常に荒れた家庭環境のなかで育ったことが示されていた。
チャーリーはニコールの実家の人びとと険悪なわけじゃない。
むしろ、彼はみんなととても仲が良い。ニコールの母などは、
娘と孫と一緒に、チャーリーがロサンゼルスに遊びに来るのを
実の息子の帰省のように、心待ちにしていた。

そんなわけで、
チャーリーと妻の家族との関係は極めて良好だ。
だったら「妻の実家があるロサンゼルスに移住するのがイヤ」
なんてことあるはずがない、という話かもしれない。
でも、わたしはどうも、そうは思えない。

というか問題はもっと複雑なのだと思う。

チャーリーはつらい経験をバネに独りで故郷を飛び出し、
努力と才能で、ニューヨークに居場所を確立した。それは、
自分で立ち上げ脚本を書き監督して育ててきた、「劇団」だ。
劇団は、彼の収入源、疑似家族、人生そのものだ。
今やブロードウェイ進出を目前に控えるまでになった彼の劇団。
このチャンスを逃したくない、この居場所を失いたくない、
だからニューヨークを離れたくない。
ロサンゼルスに移りたくなかった理由として、
これはまず一つだろう。

一方、
彼は、ニコールの実家の人びとを本当に大切に思っている。
でもそれだけに、
あの人たちが本当の意味では自分のものではない
(逆に言えば『本当に自分のものだったら良かった』)ことを、
折に触れ意識してしまい、ずっとつらかったのではないか。
わたしが思うに、哀しいことにこの
「この人たちのことが大好きだ。でも、
 本当の意味では僕のものではないのだ」
という感じは、おそらく妻に対してもそうだし、
息子に対してもそうなのだという気がする。

チャーリーは、妻と息子をもちろん愛している。
もちろん自分の家族と認識している。だが、
自分の努力で一から作った居場所、という風には
多分、思えていない。
自分のものという確証が持てていないにも関わらず、
妻子のためなら何でもできるくらい妻子を愛していると認める、
これは、彼のような人にとって非常に危険な賭けだ。
また、先に述べた通り、
移住を決行したら、ニューヨークの活動拠点、
つまり劇団を失う(少なくともチャーリーはそう考える)。
「ロサンゼルスへの移住」は、
二重の意味で後戻りができない状況に自分を追い込みかねない。
チャーリーにとって、これはできれば
避けたい事態だったのではないか。

チャーリーが「妻」よりも「妻の実家」を愛していたとか
「妻子との生活」よりも「劇団」の方が大切だった、とか
そういうことを言いたいのではない(そんなわけがないし)。

チャーリーとニコールの結婚生活のなかでは、
「ロサンゼルスへの移住」という問題は、
何かあるたびごとに浮上するお決まりの議題らしかった。
おそらくチャーリーにとって、このLA移住というテーマは
「自分の人生にとって一番大切なものは何か」について
考えることを必ず迫られる、何かそういう問題なのだと思う。
なぜそんな飛躍した話になっちゃうのか、これは
チャーリー本人になってみないと感覚がなかなか
わからないだろうなと思うのだが。

わたしが思うに、チャーリーにとって、
「自分の人生にとって一番大切なものは何か」は
できればあまりまともに考えたくないテーマなのだ。
つらい家庭で育ってきて、独りで必死に生きてきたために、
大切なものがあることと、それを失う恐怖と闘うことは、
常に背中合わせであると、良く知っているのではないか。
愛を求めた時に愛されず、棄ておかれた思い出、
応えてもらえなかった思い出が多すぎるからだ。
一度獲得した居場所は、絶対に失くしたくないのだ。
「LAで新しい居場所を作れば良い」とか
「劇団をLAに連れて来ちゃえば良い」とか
「居場所は複数作れば良い」とか、人は簡単に言うだろう。
でも、チャーリーにとっては、
そんな単純な問題ではないのだと思う。

言ってしまえば、
チャーリーは大人になりきれていなかったのだ。
でも そんな人はいくらだっている。
チャーリーが大人になりきれていないことが、
特別まずいことだとは言えないだろう。
哀しい、というだけだ。
もしかしたらあと5年か10年、
何となく、だましだまし、やっていくうちに
環境も、状況も、気持ちも変わっていって、
チャーリーはひそかに大人の階段を上ることが
できたかもしれない・・・とわたしは思うのだが、
哀しいことにそうはならなかった。
チャーリーは、とても傷付いただろう。
なぜなら彼は心の底からニコールを必要としていたのに、
その事実を認めることができなかったから失った、
わたしはそう考えるからだ。
この物語を観ていて
ニコールよりもむしろ、チャーリーに同情した。

ニコールは、夫とどんなすさまじい言い争いになっても、
このチャーリーの、一番突かれたくない部分だけは、
最後まで突かなかった。頭に血がのぼっていて、
彼女もまた別の意味で、子どもと言えば子どもなので、
そんなことには思いも至らない、という感じだったが・・・

彼女はとても優しかった。
それは、すなわち、この映画が優しい、ということだ。
わたしは、そのことでかえってこの映画が好きになった。