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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『ナイチンゲール』

 

原題:The Nightingale
ジェニファー・ケント監督
2019年、オーストラリア

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※物語の核心に深く踏み込んでいます。
 また、場面の描写について述べるうえで、
 性暴力などのことについて書いているので、
 あらかじめご了承ください。


19世紀、英国の植民地政策下にあった頃の
タスマニアを舞台に繰り広げられる復讐劇だ。
ヒロインはアイルランド人の女性クレア。
すねに傷があって流刑されてきている弱みを、
英国軍の将校ホーキンスに握られて虐待されたうえ、
家族の命まで奪われてしまい、復讐を心に誓う。
だが、ホーキンスは遠方の街を目指して立ち去った。
クレアは先住民の青年ビリーを案内人として雇い、
危険な原生林をかき分け進みながら、憎き仇の後を追う。

英国軍と先住民アボリジニの人びととの間に、
激烈な戦争が起こっていた頃の物語だ(ブラック・ウォー)。
クレアは復讐の旅の途中で多くの悲惨な光景に触れる。
炎上する家のそばに立ち尽くして泣く白人女性、
寝込みを襲われたらしい白人夫婦の惨殺死体。
これらのシーンは唐突に放り込まれるので、
一見、ちょっと意味不明だ。
でも、歴史的な背景がわかれば飲み込める。
彼らは英国軍とアボリジニの戦闘に、
何らかの形で巻き込まれてしまったのだ。
クレアがこういう現場を目撃しても案外冷静なのも道理で、
当時、タスマニアで暮らしていた人びとにとっては、
死や血や暴力が、日常の一部だったということだろう。

作った人の気迫が伝わる、傑作だった。
おもに4つのことが心に強く残った。
性暴力描写、
差別や憎悪の構図、
ホーキンスの心の荒廃、
クレアとビリーの対比関係だ。



【性暴力描写】

ホーキンスたちが先住民の女性に加える
性暴力の描写は、
これまでに他の映画などで観てきたそれとは、
質的に全然違った。
すごく異様なものを投げかけてきた。

わたしが知る限り、映画の中の性暴力と言うと、
加害者側が「犯しても良いと思っている理由」を
こねくり出してくるのが常だ。
「お前は約束を破ったから罰を受けるべき」
「~してやるのだから見返りをもらう」
「誘ったのはお前」
「お前もそのつもりだったんだろう」
・・・こんな感じのことを、つまり、
よってあなたを犯します/犯しました、的なことを
加害者が言う。誰もそんなこと聞いていないのに。

だがホーキンスたちの認識は、もっと歪んでいた。
「この男たちには被害者が『モノ』に見えている」。
あえて言葉にするなら、そう感じた。

彼らは先住民の女性を犯すに際して、言い訳をしない。
犯すことを明確に目的に掲げて被害者を捕らえ、
殴るなどして無力化し、動けないように拘束し、
・・・と、迷いがなく、極めて手際が良い。
そしてまぬけな恍惚の表情を浮かべて行為にふける。
ずっと我慢していたトイレにやっと行けた時の、
あースッキリした、という、あの表情を連想した。

彼らには被害者が「人」ではなく
言わば「便器」に見えていた。
自分の下で、一人の生きた人間が、
死ぬほど泣き叫んでいるのに、全然平気なのは、
一人の生きた人間だという認識がないからだ。
観ていて、我ながら驚くほど冷めた軽蔑を覚えた。

これまでに他の映画で観てきた加害者たちは、
愚にも付かない言い訳をしていたという意味では
まだ頭のどこかに「相手は人間」という認識があった。
人はモノ相手に交渉や釈明はしない。
でもホーキンスたちはそれですらないのだ。

人を人として見ていない人を観るのは、気持ちが悪い。
例えば、嘔吐物とか人間の糞尿とかあるいは乾電池とかを
ナイフとフォークで喜んで食べている人がいるとする。
その人は嘔吐物や糞尿だとちゃんとわかって食べている。
わかっていないのは、自分のしていることの異常さだ。
そういうのを見たらそりゃもうゾッとするだろうな。
ホーキンスたちに感じた気持ちの悪さはそういう感じ。

 


【差別や憎悪の構図】

ナイチンゲール』では、至る所に
差別、憎悪、力による抑圧、の構図が見られたが、
ホーキンス一行には特に興味深いことが起こっていた。
部下たちに序列付けをしていた。
先ほどまでナンバー2待遇だった者を奴隷に格下げし、
子どもに銃を持たせて脅させる、そんなことをやる。
彼に従う者の間で、序列が目まぐるしく変動する。

こんな上官は早く見限って逃げれば良いのに、と思うが、
状況的に、そういうわけにいかない。
ホーキンスは、出世工作のために、部下たちを連れて
軍の司令部のある街へと向かっている。
でも、彼も部下も、街までのルートを知らないので、
先住民などを雇って、荷物持ちと案内係をさせている。
だからまず、ホーキンスは案内人を失うわけにいかない。
案内人は金で雇われているから、仕事を完遂したい。
部下も、帰り道を知らないからホーキンスと離れられない。
つまり下の者たちが逃げられない、というだけではない。
ホーキンスも、彼らと離れられないのだ。
ところで、白人が先住民の奴隷を連れて歩く場面があった。
奴隷たちの体を鎖か何かで繋ぎ合わせて、歩かせていた。
ホーキンス一行は、この奴隷の隊列と似ていた。
ホーキンスは下の者たちを牽引しているつもりだが、
実は自分も含めお互い離脱不可能な状態に陥っている。
鎖で繋がれて歩かされていたあのアボリジニたちと
それほど変わらないのではないか。

 

【ホーキンスの心の荒廃】

わたしは、ホーキンスの瞳の中に
罪の意識や後悔の色が少しでも見えないか、探した。
そんなものはまったく見出せなかった。
だが、彼をサイコ野郎とは思わなかった。
極悪人と言うよりは、心が崩壊した人間だった。
ホーキンスの内面は壊滅的に傷付き荒んでいた。
ありきたりな表現で言えば「心に穴が開いて」いた。
心の巨大な穴を埋めたい、という衝動が、
ホーキンスを破壊と虐待へと駆り立てる。
彼には破壊も虐待も、言わば求愛なのかも。
美しいクレアに明らかに魅かれていながら、
傷付け奪うことでしか気持ちを表現できない。
あわれだ。

タスマニアで任務として行ってきた殺戮や虐待が、
彼の心を荒ませ、とは言い切れないと思う。
初めから、ホーキンスの心に「芽」があったのでは。
例えば自分だけは他人より良い思いをしたいとか、
美しいものや快いものを手に入れたいという、欲だ。
人間だったら誰でも持っているこれらの気持ちが、
置かれた環境によって、最悪に歪んだ形で覚醒したのでは。
殺して奪う必要のない平穏な環境にいる分には、
金を稼ぐとか知識を吸収するとか美しい妻を迎えるとかで
大抵の欲を、満たすことができる。少なくとも、
満たすことができると、信じていられる。
でも、環境によって、話が変わってくるんじゃないか。

もちろん全部環境のせいだ、とは思わない。
ホーキンスは惰弱だった。なぜなら
「それでも俺は虐待をしない」と
自分の意思で選択するべき所だったのに、しなかった。
わたしが言いたいのは、
「(もちろんホーキンスはクソ野郎だが)誰でも、
 環境や状況次第で彼のようになるおそれがある」
ということだ。

 

【クレアとビリーの対比関係】

クレアとともに旅をするビリーの、
本当の名は「マンガナ」だ。
彼らの言葉で「黒い鳥」という意味だそうだ。

映画を観終わってから、あっ! と気付いた。
クレアの歌の詞に「ナイチンゲール」が出てきた。
「小夜啼鳥/夜鳴鶯」だ。
黒い鳥マンガナ、夜に鳴く鳥ナイチンゲール
黒人男性のビリーと、白人女性のクレア。
対比的に配置されたキャラクターだったのだ。

それに、男女の愛ではないかもしれないが、二人の間に
特別なものが芽生えた可能性が示されていた。
でも、それでもやっぱり二人は「違う」のだと思う。
物語の最終局面に、それを感じた。

ビリーは、太陽を眺めて「俺の心臓」とつぶやいた。
クレアが繰り返し口ずさむナイチンゲールの歌には、
「あなたの元へ帰る」という詞があった。
クレアはホーキンスにこう主張もしていた。
「私は私のもの。あなたの持ち物ではない」。

まず、太陽を我が心臓と言うビリーの感覚は興味深い。
崇拝するべき神、と仰ぐのは理解できる。
生命を育む偉大な存在、という感じもわかる。これらは
我にはない、我とは違う、というニュアンスを含む感覚だ。
でも「俺の心臓」は、自分の中に太陽を取り込んでいる。
彼の民族ならではの世界観ではないかな。
自分と世界の関係のとらえ方が独特なのだ。

クレアは、ビリーとはまた違った感覚を持っていると思う。
陽の光を浴びる彼女の表情は、切なげだった。
というのも、彼女は復讐のために手を血で汚した。
どんな事情があったにせよ、重大な罪を犯した。
二度と「あなた(≒太陽)の元に帰る」ことができない。
明るい所で大手を振って生きられない者に、私はなった。
拡大解釈すれば、ビリーと共に新しい人生を歩む未来を
思い描くことももちろん許されない、ということだ。
ビリーもクレアに手を貸したので立場は同じなのだが、
世界観が根本的に違う以上、やっぱり二人は「違う」。
かくしてクレアの今後の人生は常夜の中を歩むものとなり、
ビリーの人生は・・・、と、ここでも対比が活きている。

このラストシーンは、セリフはほとんどなかったけれど、
美しい映像がどんな言葉より雄弁に語って、素晴らしかった。
二人はごく近い所に並んで、同じ太陽を見ていたけど、
遠くかけ離れた所で、違う太陽を見ていたのでは。

クレアのしたことは、行為としては間違っていた。
自分の意思で「やらない」と選択すべき所を、しなかった。
ホーキンスと同様、彼女も惰弱なのだろうか。
そうかもしれない。
でも、彼女を闇へと突き動かしたものがあった。
いったん闇の中に飛び込まないと、明るい陽の下に戻って
来ることもできないのだ、と信じたかったのかもしれない。
そう自分を騙しておかないと狂ってしまうからだ。
その結果、むしろ陽の下には帰れなくなった。
クレアを闇に突き落としたものは何なんだろう。