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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

Netflixドラマ『ワイルド・ワイルド・カントリー』

 


原題:Wild Wild Country
マクレーン・ウェイ、チャップマン・ウェイ監督
全6部
2018年3月16日 全話一挙配信(完結)

※以下で、実在特定の宗教組織の呼称を挙げて
 わたしの考えを述べる所がある。
 繊細なテーマなので、どんなに気を付けても
 場合によってはご不快にさせるかもしれない。
 また、事実関係で間違っている所などがあれば
 ぜひ教えて欲しい。 

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www.youtube.com

 

【概要】

1981年~1985年の4年間、米オレゴン州に一大拠点を展開した
宗教的コミューンの実態を、ほぼ時系列どおりに振り返る
ドキュメンタリーシリーズ。以下『WWC』。
関係者への取材と当時の報道VTRを中心に構成されている。
コミューンはインドの神秘思想家バグワン・シュリ・ラジニーシ
戴くもので、ワスコ郡アンテロープシティの広大な土地に
インドから集団移住、自力で開拓して、版図を広げた。
だが共同体の規模拡大につれて近隣住民との軋轢が激化し、
両者は(暴力的手段をも含めた)あらゆる方法で争った。
最終的に、バグワンが国外退去を承諾したことにより、
抗争は収束、アンテロープの拠点は打ち捨てられた。
バグワンはインドに戻ったのち死去、組織は現在も存続している。
コミューンがあった土地は現在キリスト教系組織が所有・運営し、
青少年向けのセミナーやサマーキャンプの会場として用いている。

※以下バグワン・ラジニーシのもとに集ったコミューンのことは
 だいたいの場合において「ラジニーシコミューン」と表記した。
 それ以外の時は、それ以外とわかるように都度明記する。

<エピソードやインタビューに登場するおもな人物>

◆コミューン内部

マ・アナンド・シーラ
コミューンがインドにあった頃からバグワンの秘書を務めた。
オレゴン移住計画を全面的に仕切った人物で、
のちの組織的犯罪行為の首謀者とも目された。

スワミ・プレム・ニレン(フィリップ・トークス)
コミューンの顧問弁護士。

マ・シャンティ・B(ジェーン・ストーク
シーラの元側近。バグワンの主治医的な存在だった医師の
殺害計画に加わった。

マ・プレム・サンシャイン(サニー・マサド)
オレゴンのコミューンの広報担当だった女性。
笑顔が、ぱっと大輪の花がひらくような明るい感じで、
年齢を重ねた今もすごくきれいな人だ。

アンテロープシティの非信徒の住民たち
ジョン・ボワマン、ジョン・シルバートゥース、
マクレガー夫妻など

◆連邦検事関係者など
チャールズ・ターナーオレゴン州担当の連邦検事)
ロバート・ディーバー(連邦検事補佐)

他、多数。各方面の当事者が健在のため、
当時起こったことについて、両方の立場の言い分を、
本人の生の声で聞ける、というのが
このドキュメンタリーのスゴイ所。



【おもしろかった!!!】

1日1話、1週間かけて全6部、夢中で観た。
わたしはわりと宗教や神秘思想の歴史に関心がある方だと
自分では思っているのだが、
ラジニーシコミューンのことは皆目知らなかった。
こんなに派手に活動を展開していたのに!!!
関心があるとか、もう人前で言わないようにしよう・・・。

ラジニーシコミューン側の人びとの回想が良かったな。
彼らはコミューンでの日々を
生涯忘れられない恋の思い出みたいに語っていた。
ニレン弁護士が、バグワン・ラジニーシ
国外退去を勧めた時の話は、
正直言ってわたしもちょっと涙ぐんだ。



アメリカ宗教史とモルモン教会という切り口】

アメリカ」で
「1つの街がそのまま1つの宗教組織」と言うと
わたしは
末日聖徒イエス・キリスト教会」(以下「モルモン教会」)
を、すぐに連想した。
モルモン教会の教徒の人たちは、
19世紀半ばにソルトレークシティに根を下ろすまでに、
どんなプロセスを踏んできたのかなと、思った。
それに、モルモン教会も、ラジニーシコミューンも、
拠点を築く場所として、なぜアメリカを選んだのだろう。
また、両者とも、地域の非信徒の人びとと折り合えず、
争った時期があったようなのだが、なぜそんなにも
激しく衝突することになってしまったのか。
末日聖徒イエス・キリスト教会の概要については、
 Wikipediaなどで調べてみていただきたい。

自分なりに何冊か本を読んでみてちょっと考えた。
結果、彼らがアメリカを選んだ理由と、
非信徒や国家的マジョリティとの衝突が激化した原因には、
以下のことが共通して関わっているように思えた。

・信教の自由が憲法で保障されている
・ありあまる土地
・移民が都市を作りやすい社会システム
・一般の人でも武器を持てる

これはすべて、アメリカの特徴だ。
しかも時代にあまり関係なくずっとある特徴だ。
だから19世紀半ばに米西部に定着したモルモン教会も、
20世紀後半にやってきて定着に失敗したラジニーシコミューンも
時代は違うけど、条件としてはほぼ同じと言えると思う。




【信教の自由が憲法で保障されている】

WWC』の中で、ニレン弁護士も言っていたのだが
合衆国憲法は、
連邦政府が国教を定めてはならない」としていて、
これは1791年以来ずっと変わっていないのだそうだ。
ニレン弁護士は
「われわれは憲法で保障された集会、表現、結社、
 信教の自由という当然の自由を求めただけだ」
と、しきりに主張していた。
でも国としては宗教を定めない、というのと、
一つの宗教の元に集った人びとが街を作って良い、というのは
考えてみれば裏表で、うまく言えないが複雑な問題だと思う。
だがともかく1791年以来ずっと変わっていないということは
初期モルモン教会も、ラジニーシコミューンも、
憲法のもと自由に宗教活動をして良かったのは同じなのだ。



【ありあまる土地】

ラジニーシコミューンが選んだオレゴンの土地に、
当時、彼ら以外の人がいなかったわけではないが
その数はあまり多くなかった。
だがらラジニーシー(ラジニーシ教団の信徒)たちは、すぐに
その地域の政治経済、司法や警察権までも掌握するに至った。
アンテロープシティの近くの牧場を購入し、
従来の拠点だったインドを始め、世界中から信徒を呼び寄せて
大規模なコミューンを作り上げた。



【移民が都市を作りやすい社会システム】

アメリカ合衆国は移民社会だ。
西洋人があまりいなかった所に、
ほんの200年間くらいで続々と入植、という形で
一気に人が流入し、都市が作られて、できた国だ。
そんな経緯があるので、伝統的にアメリカでは、
移住してきた人たちが比較的容易に街を作れるよう
法的なシステムが整備されているという。
これは『WWC』を観ていて驚いたことなんだけど、
オレゴンなどは150人いれば「市」が作れるそうだ。
そんなんで良いんだ!!!
(日本では原則5万人以上が「市」で、他にも要件は多数)
だからラジニーシコミューンもスムーズに市を作り、
通りの名前や店の名前もラジニーシー流に一気に塗り替えた。
市長も警察もみんな信徒で、武装警備も合法的にできた。
また、オレゴンでは20日間州に居住すれば選挙人登録ができる。
アンテロープだけでなくワスコ郡の掌握をも企図したシーラは
この選挙人登録の規定を利用し、ホームレス抱え込みを決行した。
国中の路上生活者たちをコミューンに連れてきて生活を保障し、
郡議会選挙で投票させるようにしたわけだ。
スゴイ行動力だし、財力だ。力技だ。
※ちなみに日本で当該市区町村の選挙人名簿に登録されるには
 住民票登録した日から3ヶ月以上、そこの街の住基台帳に
 住民として記載される必要があるそうだ。

初期モルモン教会も、人がまばらな地域に集団で移住して、
やがて政治を動かす力を持っていった宗教集団だ。
ソルトレークシティの前にイリノイに拠点を置いた頃には、
教祖ジョセフ・スミスが大統領選に出馬表明している(1844年)。
スミスがその後逮捕され、民衆に襲撃されて命を落とすと、
教徒たちは西部の、当時まだ合衆国領でさえなかった土地に
一から都市を作り、これが今のソルトレークシティとなった。
1851年、教会の指導者ブリガム・ヤングが「ユタ準州」の
知事に指名されている(州都ソルトレークシティ)。
でも、この頃モルモン教会は、国の宗教的多数派である
プロテスタントとの衝突を深刻化させていった。
教徒の間で広まっていたデマが元で、
非教徒の人びとを襲撃して殺害する事件が発生。
元もと中央は、モルモン教会がユタの政権を握っていることを
警戒していたので、この虐殺事件を機に武力制圧を決意する。
米陸軍と教会の激突(1857年~1858年、ユタ戦争)の果てに
教会指導者ブリガム・ヤングはユタ準州知事を辞任した。
このできごとの影響で、
ユタが「準州」から「州」になるのには時間がかかった。
準州だと連邦政府の管轄下におかれていろいろ制約があり、
自治権限をフルに行使することができないのだそうだ。
教会が一夫多妻婚を廃止した(1890年)ことを受けて、
ようやくユタは「州」になることができた(1895年)。

誰もいない荒れ地を拓いて理想郷を作る、っていうのは
アメリカの精神的な母とされるニューイングランド
清教徒たちがそもそも志したことだったと思う。
でもいくら誰もいないつもりで入植したつもりでも
本当に人が全然いなかったはずはなく、先住民がいた。
そこへ入植して生活圏を拡げたことは、
先住民の伝統と暮らしを破壊することにつながった。でも、
「私たちが文明化してあげる」
「持ち腐れの土地を有効活用してあげる」
みたいな「上から」目線で、自分たちの選択を正当化した
・・・そんな面はやっぱりあるんだろう。

ラジニーシコミューンが
フロンティアスピリッツを継承してたかどうかは
わからないにしても、『WWC』の中で、シーラは
まるで昨日のことみたいに目を輝かせて振り返っていた。
砂漠同然だった土地を私たちみんなで耕して、
美しい都市を作り上げていったわ!
湖の生態系だって生き返ったのよ! と。

最高に楽しかっただろうな、とは思ったよ。
そんなことをやり遂げたのは、一生の思い出だろう。




【一般の人でも武器を持てる】

でも「私たちは良いことをしています!」
と言わんばかりのラジニーシーの主張を
アンテロープシティの住民はしりぞけたし、むしろ
静かなリタイアライフが脅かされる、と拒絶した。
アンテロープ市民は
コミューン建設の差し止めを求めて提訴した。
これはラジニーシーたちと近隣住民たちの
長い戦いの発端となった。

モルモン教会もアメリカ社会に根を下ろすまでに苦心があり
先ほど述べたように、ユタ戦争などで犠牲が出ている。
ラジニーシコミューンと近隣住民の対立も激烈で、
ラジニーシーたちが宿泊していたホテルが
何者かに放火される事件も起こった。
モルモン教会にしてもラジニーシコミューンにしても
彼らと非信徒との衝突がこんなにも激化したことには
やっぱり「武装する権利が保障されている」という
アメリカならではの背景があるだろうと思う。

ラジニーシーたちが移住後早々に武装し始めたので、
近隣住民たちも競って銃を買い、武装する道を選んだ。
住民たちは「私たちがコミューンを良く思っていないので
ラジニーシーが武力で脅してきている」と解釈したのだ。
アメリカらしい反応だと思う。
「銃を向けられたら銃を向ける」という風にやっていたら、
集団間で争いが起こった時に、それはどうしたって
「暴力」の形でエスカレートしていくと思う。
だが、銃で人が死ぬ痛ましい事件が、
今後どれほど繰り返され、どんなに多くの人が泣いても、
個人の武器保有権が合衆国憲法から削除されることは
まずありえないんじゃないかな、という気がする。




【なぜ武器を持つのかね】

というのも、アメリカの人が武器を持ちたがる背景に
環境条件からくる不安や警戒心があると思うからだ。
前に『ウインド・リバー』(2017年)という映画を観た。
米西部の実情に着想を得て構成されたあの物語の中では、
資源開発会社の作業員とかがみんな銃を携帯していた。
銃なんか絶対に必要とも思えないのに、誰もが持っていて
そのせいで、本当に一瞬にして、
予想だにしなかった惨劇に発展するシーンがあった。
あまりのことに呆然としてしまったのを覚えている。

広大な土地で、知らない人間に会った時、
もしお前が暴力で来るならこっちだって黙っていない、
という気分は
アメリカの人の心の根本的な所にあるのかもしれない。

モルモン教会の人びとが定着を目指した19世紀のアメリカ、
特に開拓地域においては、西洋人はまだ少なかったはずだ。
自分と家族の安全を守るため、その日の糧を確保するため、
武器を持っていなくちゃいけなかったのは当然だったろう。
ウインド・リバー』でも説明されていたんだけど、
現在でさえ、お隣さんの家とか一番近くのスーパーとかまで
車で何キロ、みたいな所に住むアメリカ人は少なくないそうだ。
きっととても不安だろうし、警戒心が高まると思う。
武器を手元に置きたくなる気持ちは、わかる。




【いったんまとめ】

未開発の土地に移住して、私たちの理想郷を打ち立てよう、
これ自体はアメリカでなくてもどこでも夢見ることができるが
アメリカには本当にそれを可能にする広い広い土地、
民主主義に基づいて個人に保障された幅広い活動の権利、
そして暴力に転じる危険性をもはらむ熱く烈しい精神性、
全部が揃っている気がする。
どれも、ある種の人の心を強く惹きつける要素ではあるだろう。
モルモン教会の人びともラジニーシーたちも
あるいはそうだったのかもしれない。

 

 

【日本とオウム真理教

日本でこういう系の話というと
やっぱりまず一番に「オウム真理教」を連想するんだけど、
オウム真理教がどうしてああいうことになったのかについては、
アメリカに備わっている環境条件が日本にあるかどうかで
考えてみたら、ちょっと話が見えてくるのかもしれない。
いや、やっぱりムリがあるか? でも一応やってみよう。

・信教の自由が憲法で保障されている
・ありあまる土地
・移民が都市を作りやすい社会システム
・一般の人でも武器を持てる

信教の自由は日本にもある。でも、あとは全部ないな。
土地が豊富とは全然言えないし、
移民が新しい都市を作りやすいシステムでもないし、
日本の一般人は銃とか持たない。
オウムは確か東京を起点に信者を集め、選挙出馬も東京だった。
人がまばらなエリアを選んで多数派としての地位を確立し、
周到に政治力を伸ばしていったラジニーシコミューンとは
考え方が全然違うようだ。
アメリカと日本とではこの通り環境要件が異なっている。
ラジニーシコミューンが一時的にうまくやった例があっても
彼らとまったく同じ手法で、日本でオウムが何かしたとして、
同じようにうまくいったかどうかはわたしにはわからない。
(もしアメリカでやってたらうまくいったのだろうか・・・)

まだオウム真理教とその事件は「歴史」にまでは
なっていないような気がする。
自分の国のことなのに恥ずかしいんだけど、
実はわたしはオウム関連の事件については、
ほとんど何も知らない。
オウムの組織成立の経緯や彼らの起こした事件について
知識を得てから、この記事を書きたかった気もしたが、
どの本を読めば良いか、誰の研究から学べば良いか、
見当もつかなかった。
今後少し勉強して、何か自分なりに考える所までいったら
この記事に加筆するかもしれないが、
今回の所はここでおしまいにしておきたい。



※参考に読んでみた本
森孝一『宗教からよむ”アメリカ”』講談社選書メチエ
堀内一史アメリカと宗教 保守化と政治化のゆくえ』中公新書
森本あんり『キリスト教でたどるアメリカ史』角川ソフィア文庫
高橋弘『ユタ州とブリガム・ヤング
    アメリカ西部開拓史における暴力・性・宗教』新教出版社
ヒュー・ミルン『ラジニーシ・堕ちた神』第三書館
太田俊寛『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』ちくま新書