une-cabane

ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

『アナと雪の女王2』

 
原題:Frozen II
クリス・バックジェニファー・リー監督
2019年、米

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www.youtube.com
【総括:3回観たら大好きになった】

おもしろかった。もう1回くらいスクリーンで観たい。
特にエルサが海を渡る所は素晴らしかった。
クリストフの歌が長い割に大して良くない、
クリストフの歌の演出がダサおもしろい、
クリストフが空気が読めない、
クリストフがアホ・・・などの点がやや不満だったが、
今ここに書いたら満足した。もうどうでも良い(笑)。

ネット上で、「良くなかった」というレビューが
前作よりやや目立つことは、一応知っている。
「説明不足」「設定盛り込みすぎ」あたりが、
そうしたレビューの基調にあるようだ。
実はわたしも最初は、全体的に納得いかない部分があった。
説明不足、中途半端、と感じた。
だけど、良かったシーンもあったので、
それらをまた観たくて繰り返し映画館に通うなかで、
不足な所、疑問点を以下のように自分なりに整理、補完した。
するとラクに観られるようになり、断然大好きになった。



【疑問1:四つの精霊が何だっての】

四大精霊/四元素/エレメンタルの概念は、
わたしたちの実世界で古来から支持されてきたもので、
何も、映画のために新規で開発された「設定」じゃない。
google先輩に聞けばすぐに教えてもらえる。
でも、そういうものがあるんだ、と思っておけば十分だ。
仮に四元素の難解な理論を理解しても、
それで『アナと雪の女王2』がおもしろくなる、
というわけではないから。



【疑問2:なぜエルサが『第五の精霊』なのか】

アナがこんな意味の発言をした。
「エルサの力は、お母さまが正しいことをしたから、
 その『ご褒美』として与えられた」
姉を励ましたい一心で言ったことで、何の根拠もないのだが、
これが疑問への答えと、とらえておけば良いのでは。
この際、エルサの力=「第五の精霊」くらいに思っておこう。
「第五の精霊」は、選ばれた血筋の者が代々務める「お役目」
・・・とか言うような、意義の明確な存在ではなさそうだ。
わたしのイメージとしては、
「精霊がノーサルドラの民にもたらす恩寵の最たるもの」。
それ以上でも以下でもないのではないか。



【疑問3:『魔法』の解釈がキャラによってブレブレ】

アナと雪の女王2』の世界においては、
魔法は精霊/自然現象。
これが解釈として適当な所ではないか。
魔法の栄養は、「信じる力」だ。
精霊の力を信じられる純粋な人がいればいるほど、
精霊はその力を増し、世界に大きく働きかける。
良く信じる人には力が分け与えられることもある(恩寵)。
亡き父王が娘たちに
「ノーサルドラの民は魔法を使わない」が
「精霊の恵みを受けて暮らしている」と語ったのは
そういうことなんだろう。
また、エルサが、自分が知るはずもない過去のできごとを
「真実が知りたい」と念ずるだけで眼前に可視化した
あのシーンを思い出してみると良い。
ずいぶんとまた都合良くパワーを操るね、って感じだが、
「ご都合主義だなオイ!」と意地悪くツッコむよりも、
エルサの信じる力のまっすぐさに精霊が呼応して、
アートハランに取り次いでくれた、とでも考える方が、
物語が崩れないんじゃないかな。
「信じる心に魔法は宿る」
・・・昔読んだ、妖精さんや魔法が出てくる物語は、
たいていこうした考え方に基づいて書かれていた。
「魔法」とか「信じる」とか意識しなくても実生活は回る。
だからわたしたちはそういう考え方を忘れがちなのでは。
それにしてもエルサに与えられた力は、強力だよね。
彼女が、優しい良い子だから良かったようなものの
(と言うか、そういう子だから力が与えられたのだろうが)
もしあんな力を敵に回したら、大変だ。



【疑問4:ダムが何なのよ】

「疑う力」増幅補給装置。
これが建ったために精霊が力を発揮できなくなり、
精霊の種類によっては、人に敵対さえするようになった。
思うに、魔法の森は、元は霧深い常闇の土地だったのかも。
ノーサルドラが土地を拓き、長い長い年月をかけて
信仰の「場」を形成した結果、
あのような奇跡の森になったのではないか。



【疑問5:エルサの前にも『第五の精霊』がいたのか】

わからない。
いたとしてもそれがエルサの母でないことは確実だ。
「第五の精霊」が精霊の恩寵なのだとすれば、
「第五の精霊」がいないからといって、
世界が崩壊するわけではないのだろう。
いれば理想的、くらいの感じなのかもしれない。



【疑問6:なぜ『今』、一連の騒動が起こったのか】

それを言ってしまうと映画が成立しない(笑)
だが、まあ、
精霊たちが姉妹の成長を待っていたのかもしれない。
エルサとアナが精霊の使者にふさわしいかどうかを
じっと見守ってきたのではないか。



【疑問7:アートハランとは結局何か】

ユングの言う集合的無意識
エンデの『はてしない物語』のファンタージエン
みたいなものなんじゃないかな、とわたしは思った。
亡き母の子守歌は、アートハランの川を
「すべての記憶が潜んでいる」場所だと、うたっている。
アートハランは世界のすべての経験の集積であり、
時間や空間の概念から解放されているんじゃないかと
わたしは想像している。
アートハランの源泉たる氷山でエルサは母と出会った。
あの氷山は、そこにたどり着いた人の心に感応し、
その時どきで、映し出すものを変えるのでは。



【おわりに】

全体的に、不十分な所があった映画だとは思う。
ディズニーにしちゃ不器用というか・・・。
でも、一貫して、プリミティブなものを肯定的に
描こうとしている物語だった。その意味でわたしは
ライオン・キング』(2019)よりはずっと好きだ。
想像力をできるだけ駆使しよう、というつもりになって
積極的な姿勢で細かい所を読み解いていけば、
それなりの答えを用意して待っていてくれる物語だと思う。

 

【やっぱりココはいただけねえや(笑)】

ラストでブロンズ像をおっ建てちゃったのは
必殺的に興ざめ・・・ 
いやあ、ほんと、あれさえなければねえ。
でも、しょうがないか。
アナにしてみれば、ああせずにはいられなかったのだろう。
国の人びとに真実を伝えなければ、
悲劇が繰り返されるかもしれないと思うと。