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ユヌキャバンヌの「昨夜も映画を観てました」

Netflixドラマ『FOLLOWERS』-第6話

 

英題:FOLLOWERS
蜷川実花監督
全9話
2020年2月27日全話一挙配信(完結)

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【第6話 あらすじ】

自分と向き合い、再び前を向くなつめだが、
現実は厳しく、さらなる試練が降りかかる。
歌手のSAYOはプレッシャーの中でもがく。
リミにもたらされる吉報。
エリコは忍び寄る病のかげで恋人との関係に悩む。



【第6話 疑問・謎】

・なつめが着たきりスズメ状態。
 特に、台本の読み合わせの前夜? と
 台本の読み合わせが行われた日(昼間)と、
 台本の読み合わせが終了した日の夜、全部同じ服装だ。
 読み合わせ前日の昼間からあの服装だったと考えると
 丸二日とちょっと、同じ服装でいたことになると思う。
 着回しているならまだしも、着こなしまで同じだ。
 「小さな役でもベストを尽くそうと練習に励むなつめの数日」
 のダイジェスト的シーンだったので、
 同じ日のはずでもシーンが離れていたり
 さっきとこのシーンとは離れているが同じ服だったりと
 そういうことがある程度起こるのは、理解できる。
 だが、なつめは大変なおしゃれさんだ。
 その彼女が、同じ服を、同じ着こなしで、
 例えば一昨日と今日といったような近い間隔で
 続けて着用することなど、ありえないのではないか。
 時間が確かに経過していることを示すためにも、
 シーンをシャッフルするのではなく、
 過去から今へと順番通りに流して、
 都度、衣装を変えた方が良かったのではないだろうか。
 素人考えで恐縮だが。

・リミの懐妊が判明した場面の直後に、
 どこぞの砂漠で撮影に励むタミオの姿が一瞬入るのだが、
 これだとまるで子どもの父親がタミオかのようだ。
 だが父親は別の男友達(中村獅童)のはず。
 誤解を招きかねない描写を入れるのはいかがなものか。
 え、まさかタミオの子だとでも言うのか???
 どうでも良いけどあの友達(中村獅童)、
 ちゃんともう一度くらい登場させてやるんだろうな。 
 性的マイノリティである自分は子どもを持ちにくいから
 自分の遺伝子(子ども)を見てみたい、って言っていたぞ。 

・なつめはもうあきらめちゃうの?
 端役ながらテレビドラマに出演したにも関わらず
 エンドクレジットに名前が表示されなかった。
 己の引き起こした炎上騒動のせいでスポンサーから
 名前表示にストップがかかったのだ。
 落ち込んだなつめは
 「あたしはやっぱりただの平凡な『丸』だった」。
 ※「平凡な『丸』」については、過去の回において、
  なつめが説明している。実際に観てご確認を。
 まさかもうあきらめちゃうの?? 早くない?
 あきらめる理由は「傷付くのが怖い」。うーん。
 ちなみにこの劇中ドラマのエンドクレジット、
 映像もフォントも、目も眩むほどダサかった。
 安っぽいカラオケ映像みたい。 

・なつめの行動原理がおかしい。
 芸能活動を辞めるようなことをヒラクに言ったくせに、
 炎上の謝罪コメントを撮ることを事務所に指示されると、
 「顔も見えない人たちに謝るくらいなら辞めます」。
 イヤ、君、つい昨夜、あたしはどうせ平凡な・・・とか
 辞めたいようなことを自分で言っていたじゃないか。
 「意に染まないことをさせられるから」
 という大義名分を得て格好をつけたつもりか。
 でも、それはいったい誰に対しての大義名分だ。
 編集の問題(エピソードの配置の順番がおかしい)か、
 登場人物の心情の描写がデタラメなのか。
 このドラマ、みんな精神を病んでいるというか・・・
 自分のしたことを一晩寝たら忘れちゃう人みたいに見える。 

・リミの父親のセリフがヤバイ
 「ママの時代はどんなに勉強できて能力があっても
  女性は『家庭か・仕事か』の二択しかなかった。
  ママがリミの世代に生まれていたらきっと
  (リミと)同じようにバリバリ働いてたと思うよ」
 男性であるリミの父親にこれを言わせる脚本家の神経。
 フェミニズム論やジェンダーダイバーシティ理論が
 男こそそういう時代を作って強化してきた体制側、
 という基調で構築されていることを理解してないのか。
 百歩譲ってもこれは母親に言わせるべきセリフだろう。
 それともこの父親はフェミニズムの論客か何かなのか。

・SAYOを励ますあかねのセリフがヒドイ
 「あなたの声で あなたの歌声で
 救われている人たちがたくさんいる
 あなたは神さまにギフトを与えられたの
 そしてトップに立ったの
 ステージに立つのは義務なのよ あなたの運命なの
 毎日 毎日 山のように送られてくるデモテープの中から
 あなた見つけた時 あなたの歌声を聞いた時
 私 思わず叫んだのよ『ああ これだ!』って」
 薄っぺらいだけならまだしも、このセリフ
 あかねの無能っぷりを露呈している。
 「ギフト」「義務」「運命」・・・オエっ。
 言わされた板谷由夏が本当に気の毒だ。
 優秀な女優さんになんてことを言わせるんだ。
 特にデモテープうんぬんという後半の部分。
 このようなことを本気で思っているならば、
 「私のために歌って」と一言 言えば。
 SAYOのことを本気で考えていないようにしか見えない。
 こう言っておけば場が収まる、という常套句を
 並べただけ、って感じだ。この時のあかねは。
 だいたいあかね自身がSAYOの歌に惚れ込んでいることを
 示す描写など、これまでの回に、なかったぞ。
 それに、事務所の壁は、SAYOのポスターでいっぱいだ。
 SAYOはルックスを前面に押し出して売られているのだ。
 当初はSAYO本人もそのことに満足していたようだ。
 だが息長く活躍できる見込みのある歌手に、
 この売り方をずっと適用していくことは酷というものでは。
 SAYOが歌に対して非常に真剣であることは、録音中に
 「これじゃ伝わらない」と言って泣く姿を見れば明白だ。
 彼女は歌を通じてクリエイティヴィティを追究している。
 見た目を取りざたされる売られ方が精神的な重圧となり
 彼女が真価を発揮することを阻んでいる。
 マネジメントの失策だ。
 才能ある者としての「義務」を果たさせたいなら、
 SAYOの性格や志向次第で柔軟に方針を変える必要があった。

 あかねはこんな人をバカにしたお世辞を並べ立てて
 SAYOをうまく動かしている気になっているみたいだが、
 その割になつめのような新人に「辞めてやる!」と
 啖呵を切られて動揺していた。
 なつめが去ってあんなに困った様子を見せるということは、
 事務所として、かなりなつめを重要視しているのだろう。
 だが・・・そこがピンとこないんだよ。
 なつめがそれほどの人材だ、という納得感がない。 
 やっぱり、あかねが単に仕事できないだけじゃない?
 だって、・・・そういう風に見えちゃうよ、これじゃ。

・スエオがエリコの病を知るシーンがちょっと・・・
 ブラウザの検索履歴に「乳がん」とかズラリと出てきたら、
 よほどの鈍感でない限り何かしら勘付いて当然だろうが、
 スエオの反応は、早合点が過ぎないか。
 「乳がんについて調べていたみたいだけど、
  もしかして体調に不安でもあるの」
 そう聞いてみれば良いではないか。そうすればエリコは
 「そんな歳だから一応ね」「友人に罹った人がいてね」
 その場しのぎを言うこともできた。
 こうして時を稼いでお互い冷静になったなら、
 病気の件でじっくり語り合うこともできたろう。
    このドラマの登場人物は、とにかくやたらとせっかちだ。
 まあ、その理由はわかるよ。
 「話を早く先に進めたい」。
 どのエピソードもどのシーンも、説明のための説明。
 役者の熱演がもったいないなあ、FOLLOWERS。



【第6話 好感】

・あかねの薄~い励ましは噴飯ものだが
 同じシーンのSAYOの表情は良かった。
 不安定で幼い、彼女の内面が伝わった。
 しゃべり方が幼稚園児みたいで腹立つが。
 SAYOが床にくずおれるのと同時に、
 壁に貼られたポスターもずり落ちる、という
 あの構図も良かった。

・エリコのパソコンの検索履歴を見て動揺する
 スエオの演技も、素直な感じで良いと思った。


物語の本質、方向性を探るうえで
第6話からは一筋の光さえ見えない。
基本的に退屈なドラマという印象しか今の所、ないが、
この回は特にひどかった。